『憎まれ口が恋しいなんて、呆れたものだと思う』 堀川国広は平素のブレザーから、黒のスーツに身を包んだ。六畳一間の自室に置いてある姿見に自身を写し、おかしいところがないか確認する。彼の目元は淡く朱色になっている。 刀掛けに置かれていた彼の本体である脇差を携え、障子を開け放つ。「いってきます」 堀川は無人の部屋にそう呟くと、障子を閉じて自室を後にした。 廊下はわずかに湿っていた。今朝は霧雨が降っているようだった。 堀川は本丸の大広間にやってきた。 そこには今代の主である審神者の笑う写真が、大きく飾られていた。そしてその周囲には可憐な花々が飾られている。この本丸の刀剣男士達が昨晩飾り立てた祭壇だ。 ある日の朝、主がいつまでも起きてこないことを不審に思った当日近侍当番だったへし切長谷部が、主の私室へ起こしに行ったところ既に息をしていなかったのだ。主の遺骸は現世の病院に搬送され、死因を調べられることになった。結果は心不全。主はまだ二十代半ばの女性で、死ぬにはあまりに早すぎるものだった。 突然の別れに本丸中の刀剣男士達は悲しみに暮れた。しかしそれだけでは済まなかった。こんのすけを通じて、政府は本丸を閉鎖すること、各刀剣男士は本霊に還るか政府所有になるか選択する必要があることを伝えてきたのだ。 式が始まり、坊主の読経が大広間に響き渡る。刀剣男士達のすすり泣く声が、そこかしこから聞こえる。 最前列の席では、喪服姿の長谷部がうっうっと声を抑えずに泣いている。彼は近侍だった自分が主の異変に気付けなかったことを、悔やんでいるのだ。医師の見解によると主の死は突然のものであり避けられなかった、恐らく眠るように死ねたのではないかとのことだった。けれど責任感が強く、主の一番を渇望していた長谷部にとって、主の異変に気付けずのうのうと眠っていた自分が許せないらしい。 二日前に主が亡くなったばかり。誰もが主の死を悼んでいた。 堀川は主の遺影を見る。生前撮影した新しい刀剣男士を迎えた時に、本丸の皆で撮影した写真を切り取ったもの。『もうっ、あなたってば全然来てくれなかったんだから。これからこきつかってあげるから、よろしくね!』 新しい刀剣男士は鍛刀キャンペーンで顕現したのだが、なかなか呼び出せずに主はやきもきしていたのだ。目当ての刀剣男士がやってきてくれた記念に本丸の皆で写真を撮ったのだが、その時は誰が主の隣になるかで、喧嘩になったっけと堀川は回想する。ずっと昔のことのように感じるが、まだ一月も経っていない。 これから審神者として活躍するんだって意気込んでいたのに……。堀川は心の中で呟く。「主さんの、嘘つき」 堀川は正座した膝の上でぎゅっと両手を握った。「国広」 隣に座っていた和泉守兼定が堀川の肩を、ぽんと小突く。しっかりしろ、と言いたいのだ。「ありがとう、兼さん」 堀川は遺影を睨みつけたまま、兼定の手をそっと戻した。 式が終わり、坊主が立ち上がった。棺が運び出される。「主っ、主……!」 黒スーツ姿の長谷部が棺に追いすがる。それを周囲にいた刀剣男士達が押しとどめる。「主! どうして俺を置いていったのですか! 俺はもっと、貴方と……!」 そこから先は言葉にならなかった。長谷部はその場で頽れた。あああああ……と喉の奥から絞り出すような慟哭が、離れた席で正座する堀川の耳にまで届いた。 堀川はその様子を見てから、すくっと立ち上がった。「僕達もお見送りに行こうか。兼さん」「国広、お前……大丈夫か」「僕なら大丈夫だよ。さ、行こう」「国広、お前本当は主とデキてたんだろ」「えっ」 堀川は驚愕に目を見張る。確かに堀川と亡くなった主は恋愛関係にあった。しかし本丸の中では秘匿していた。主自身がえこひいきに繋がらないようにという配慮からだった。だから近侍は日替わり制にしていたし、堀川と主の逢瀬も極力本丸の外で行われていた。「その指輪、主と揃いのものだろう?」 兼定が堀川の薬指に嵌められた指輪を指差す。「そ、それは……」 堀川は慌てて指輪を覆い隠す。 この指輪は決して高価な物ではない。以前万事屋街で行われた縁日の屋台で売られていたものだ。『わあ、この花の指輪可愛い!』 主と二人で屋台を冷やかしていたところ、主の目に指輪が留まったのだ。『この花言葉はなぁ、久遠の愛情っていうんだ。お二人さんにお似合いだよ。今ならお安くしとくぜ』 店主の二つセットなら安くするという言葉に惹かれて、主は指輪を二つ買ったのだ。購入した指輪を早速自分の薬指に嵌め、そして堀川に向き直り膝を折った。『これを堀川様に……。久遠の愛情をあなたに誓います』 そう言うと主はまるで騎士のように、堀川の薬指に指輪を嵌めた。『主さん、普通は逆でしょう! もうっ、僕が嵌めてあげるから指輪外してください』『いいじゃんいいじゃん! 堀川は可愛いんだから』『だから可愛いって言うのは禁止ですっ』『あはは、ごめんごめん。でもね……』 久遠の愛情を誓っているのはホントだよ、と主は笑った。 堀川は主の肩を掴み、ぐっと顔を寄せて強引に唇を重ねる。驚いて息を呑んだ主の唇を割り開き、舌と舌を絡ませる。 慌てて堀川の胸を叩く主に、堀川はそっと唇を離した。二人の間を透明な糸がつうと伝う。『僕も、主さんに久遠の愛情を誓います』 堀川が真顔で主に囁くと、主は首筋まで真っ赤にさせた。 ドン、ドンと大きな音がした。 主の背後で花火が上がっているのが見える。夏祭りの花火大会が始まったのだ。『堀川、早く行っていい席取ろう!』『はいっ』 主と堀川は手を繋ぎ、良い場所を取ろうと走り出す。 二人の手は先程のキスの余韻ですっかり熱くなっていた。「兼さん、いつから気付いていたの?」 堀川は指輪をさすりながら、兼定に問いかける。「なんとなーくな。いつかは覚えてねえよ。主とお前の様子が妙によそよそしいなと思ったら、揃いの指輪をつけだしてたから、もしかしたらと思っただけさ」 兼定はそっぽを向いてがりがりと頭を搔く。その言葉は堀川にとって完全に図星だった。「そっか……」 堀川はほっと息を吐く。「主さん、僕と付き合うようになってから、ずっと僕との関係でえこひいきに繋がらないか心配していたんだ。だから、そうじゃないならよかった」「えこひいき? そんなの俺達の主には無縁の言葉だろ。曲者ぞろいの俺達と平等に接していた審神者なんて、そういないぜ」「それを聞いたら、主さんもきっと喜ぶよ」 堀川と兼定が連れ立って大広間を出る。 すると先程まで降っていた霧雨はいつの間にか止んでいて、晴れ渡る空に虹がかかっていた。「泣いた烏がもう笑ったな」 兼定が眩しそうに空を見上げる。「主さんって僕と付き合うようになってからも、僕のことを男扱いしないっていうか、いつも『可愛い』『可愛い』って言っていたんだ。本当は頼りになるとか格好いいとか言われたかったけど……」 主は生前よく堀川の隣に立っては、自分の方がやや背が高いことを自慢していた。ヒールのある靴を履いて二人で出かける度、『堀川は可愛いねー』と頭を撫でまわしていた。「あの主がか?」 兼定が驚いた様子で堀川を振り返る。「うん。主さんって弟が欲しかったみたいで、僕をよく弟扱いしてたよ。現世で僕の正体がバレそうになった時なんて、僕を『弟なんです』なんて言ってさ」 堀川も兼定を真似して空を見上げる。鮮やかな虹が眩しかった。「そうだったのか……」「でも、あの憎まれ口がもう聞けないんだね。なんだか寂しいな」「お前、主と契ってはなかったのかよ」 兼定の問いに堀川は首を横に振る。「ううん、僕達はそういう関係になっていなかった。僕も現状の関係に満足していたし……。ただね、名前くらいは聞いておけばよかったなあ」 堀川は空を見上げながら言う。「こんな時、名前を呼んで寂しがることもできないなんてさ」 堀川の頬を透明な粒が零れる。 涙は昨晩までに流し切ったはずなのにおかしいな、と堀川は思った。#堀川夢#夢小説 2023.6.19(Mon) 01:12:51
堀川国広は平素のブレザーから、黒のスーツに身を包んだ。六畳一間の自室に置いてある姿見に自身を写し、おかしいところがないか確認する。彼の目元は淡く朱色になっている。
刀掛けに置かれていた彼の本体である脇差を携え、障子を開け放つ。
「いってきます」
堀川は無人の部屋にそう呟くと、障子を閉じて自室を後にした。
廊下はわずかに湿っていた。今朝は霧雨が降っているようだった。
堀川は本丸の大広間にやってきた。
そこには今代の主である審神者の笑う写真が、大きく飾られていた。そしてその周囲には可憐な花々が飾られている。この本丸の刀剣男士達が昨晩飾り立てた祭壇だ。
ある日の朝、主がいつまでも起きてこないことを不審に思った当日近侍当番だったへし切長谷部が、主の私室へ起こしに行ったところ既に息をしていなかったのだ。主の遺骸は現世の病院に搬送され、死因を調べられることになった。結果は心不全。主はまだ二十代半ばの女性で、死ぬにはあまりに早すぎるものだった。
突然の別れに本丸中の刀剣男士達は悲しみに暮れた。しかしそれだけでは済まなかった。こんのすけを通じて、政府は本丸を閉鎖すること、各刀剣男士は本霊に還るか政府所有になるか選択する必要があることを伝えてきたのだ。
式が始まり、坊主の読経が大広間に響き渡る。刀剣男士達のすすり泣く声が、そこかしこから聞こえる。
最前列の席では、喪服姿の長谷部がうっうっと声を抑えずに泣いている。彼は近侍だった自分が主の異変に気付けなかったことを、悔やんでいるのだ。医師の見解によると主の死は突然のものであり避けられなかった、恐らく眠るように死ねたのではないかとのことだった。けれど責任感が強く、主の一番を渇望していた長谷部にとって、主の異変に気付けずのうのうと眠っていた自分が許せないらしい。
二日前に主が亡くなったばかり。誰もが主の死を悼んでいた。
堀川は主の遺影を見る。生前撮影した新しい刀剣男士を迎えた時に、本丸の皆で撮影した写真を切り取ったもの。
『もうっ、あなたってば全然来てくれなかったんだから。これからこきつかってあげるから、よろしくね!』
新しい刀剣男士は鍛刀キャンペーンで顕現したのだが、なかなか呼び出せずに主はやきもきしていたのだ。目当ての刀剣男士がやってきてくれた記念に本丸の皆で写真を撮ったのだが、その時は誰が主の隣になるかで、喧嘩になったっけと堀川は回想する。ずっと昔のことのように感じるが、まだ一月も経っていない。
これから審神者として活躍するんだって意気込んでいたのに……。堀川は心の中で呟く。
「主さんの、嘘つき」
堀川は正座した膝の上でぎゅっと両手を握った。
「国広」
隣に座っていた和泉守兼定が堀川の肩を、ぽんと小突く。しっかりしろ、と言いたいのだ。
「ありがとう、兼さん」
堀川は遺影を睨みつけたまま、兼定の手をそっと戻した。
式が終わり、坊主が立ち上がった。棺が運び出される。
「主っ、主……!」
黒スーツ姿の長谷部が棺に追いすがる。それを周囲にいた刀剣男士達が押しとどめる。
「主! どうして俺を置いていったのですか! 俺はもっと、貴方と……!」
そこから先は言葉にならなかった。長谷部はその場で頽れた。あああああ……と喉の奥から絞り出すような慟哭が、離れた席で正座する堀川の耳にまで届いた。
堀川はその様子を見てから、すくっと立ち上がった。
「僕達もお見送りに行こうか。兼さん」
「国広、お前……大丈夫か」
「僕なら大丈夫だよ。さ、行こう」
「国広、お前本当は主とデキてたんだろ」
「えっ」
堀川は驚愕に目を見張る。確かに堀川と亡くなった主は恋愛関係にあった。しかし本丸の中では秘匿していた。主自身がえこひいきに繋がらないようにという配慮からだった。だから近侍は日替わり制にしていたし、堀川と主の逢瀬も極力本丸の外で行われていた。
「その指輪、主と揃いのものだろう?」
兼定が堀川の薬指に嵌められた指輪を指差す。
「そ、それは……」
堀川は慌てて指輪を覆い隠す。
この指輪は決して高価な物ではない。以前万事屋街で行われた縁日の屋台で売られていたものだ。
『わあ、この花の指輪可愛い!』
主と二人で屋台を冷やかしていたところ、主の目に指輪が留まったのだ。
『この花言葉はなぁ、久遠の愛情っていうんだ。お二人さんにお似合いだよ。今ならお安くしとくぜ』
店主の二つセットなら安くするという言葉に惹かれて、主は指輪を二つ買ったのだ。購入した指輪を早速自分の薬指に嵌め、そして堀川に向き直り膝を折った。
『これを堀川様に……。久遠の愛情をあなたに誓います』
そう言うと主はまるで騎士のように、堀川の薬指に指輪を嵌めた。
『主さん、普通は逆でしょう! もうっ、僕が嵌めてあげるから指輪外してください』
『いいじゃんいいじゃん! 堀川は可愛いんだから』
『だから可愛いって言うのは禁止ですっ』
『あはは、ごめんごめん。でもね……』
久遠の愛情を誓っているのはホントだよ、と主は笑った。
堀川は主の肩を掴み、ぐっと顔を寄せて強引に唇を重ねる。驚いて息を呑んだ主の唇を割り開き、舌と舌を絡ませる。
慌てて堀川の胸を叩く主に、堀川はそっと唇を離した。二人の間を透明な糸がつうと伝う。
『僕も、主さんに久遠の愛情を誓います』
堀川が真顔で主に囁くと、主は首筋まで真っ赤にさせた。
ドン、ドンと大きな音がした。
主の背後で花火が上がっているのが見える。夏祭りの花火大会が始まったのだ。
『堀川、早く行っていい席取ろう!』
『はいっ』
主と堀川は手を繋ぎ、良い場所を取ろうと走り出す。
二人の手は先程のキスの余韻ですっかり熱くなっていた。
「兼さん、いつから気付いていたの?」
堀川は指輪をさすりながら、兼定に問いかける。
「なんとなーくな。いつかは覚えてねえよ。主とお前の様子が妙によそよそしいなと思ったら、揃いの指輪をつけだしてたから、もしかしたらと思っただけさ」
兼定はそっぽを向いてがりがりと頭を搔く。その言葉は堀川にとって完全に図星だった。
「そっか……」
堀川はほっと息を吐く。
「主さん、僕と付き合うようになってから、ずっと僕との関係でえこひいきに繋がらないか心配していたんだ。だから、そうじゃないならよかった」
「えこひいき? そんなの俺達の主には無縁の言葉だろ。曲者ぞろいの俺達と平等に接していた審神者なんて、そういないぜ」
「それを聞いたら、主さんもきっと喜ぶよ」
堀川と兼定が連れ立って大広間を出る。
すると先程まで降っていた霧雨はいつの間にか止んでいて、晴れ渡る空に虹がかかっていた。
「泣いた烏がもう笑ったな」
兼定が眩しそうに空を見上げる。
「主さんって僕と付き合うようになってからも、僕のことを男扱いしないっていうか、いつも『可愛い』『可愛い』って言っていたんだ。本当は頼りになるとか格好いいとか言われたかったけど……」
主は生前よく堀川の隣に立っては、自分の方がやや背が高いことを自慢していた。ヒールのある靴を履いて二人で出かける度、『堀川は可愛いねー』と頭を撫でまわしていた。
「あの主がか?」
兼定が驚いた様子で堀川を振り返る。
「うん。主さんって弟が欲しかったみたいで、僕をよく弟扱いしてたよ。現世で僕の正体がバレそうになった時なんて、僕を『弟なんです』なんて言ってさ」
堀川も兼定を真似して空を見上げる。鮮やかな虹が眩しかった。
「そうだったのか……」
「でも、あの憎まれ口がもう聞けないんだね。なんだか寂しいな」
「お前、主と契ってはなかったのかよ」
兼定の問いに堀川は首を横に振る。
「ううん、僕達はそういう関係になっていなかった。僕も現状の関係に満足していたし……。ただね、名前くらいは聞いておけばよかったなあ」
堀川は空を見上げながら言う。
「こんな時、名前を呼んで寂しがることもできないなんてさ」
堀川の頬を透明な粒が零れる。
涙は昨晩までに流し切ったはずなのにおかしいな、と堀川は思った。
#堀川夢#夢小説