変わらない日

 夢主の設定や原作ゲームに登場しないオリジナルキャラクターが登場します。











 クリーニングに出していたスーツを引き取り、自宅に戻る。クリーニング屋の店名がプリントされたビニール袋に、スーツが一式入っている。片腕で持つには少々重いけれど、大事に抱えて歩く。ヨシュアさんが先日置いて行ったものだ。あの日、私の部屋でお風呂に入って着替えていったとはいえ、ずっと雨に打たれていたヨシュアさん。風邪など引いていないだろうか。


『ユウが過去と和解できたら、顔を出すよ。それじゃ』

 そう言ってひらりと去っていったヨシュアさん。過去と和解? 一体何のことだろう。

 ここ数日、そればかりを考えていた。いや、本当は薄々気付いていた。ヨシュアさんが何を言おうとしているか。

 死神組織に入ってから、色んなものが見えるようになった。
 死神のゲームの参加者たちのこと。死神のゲームそのもの。UGの事情。

 そんな中でも気になったのが、参加者達の抱える事情だった。たまたま勤怠の書類を提出した際、先輩に参加者名簿という物を見せてもらう機会があった。そこには、参加者の詳細な情報が書かれていた。名前と年齢、性別。そしてエントリー料。エントリー料に関連した生前の情報。

 先輩から『俺達補助部隊はこれを元に参加者の採点をしている。戦闘部隊にはあまり関係のないものだが、申請すれば参加者の情報を入手できる』と教えてもらった。つまりUG側には参加者の情報は筒抜けなのだ。

 私の生前の情報は、渋谷UGを統治しているヨシュアさんに、知られているのだろう。だから『過去と和解できたら』なんて言ったんだ。

 果たして、私は生前のことを乗り越えられているのだろうか。

 私が死神のゲームに参加した時のことを思い返す。たった数カ月しか経っていないのに、随分昔のことのようだ。

 私は高校生の男の子とパートナー契約をし、死神のゲームに参加した。いつもミッションを怖がって一歩動けずにいる私を、パートナーが引っ張ってくれたっけ。パートナーの男の子は野球部に入っていたとか。でも部内の派閥争いのせいで板挟みになり、フォローするのが大変だった、思うように野球ができないことを悩んで、そのまま事故で亡くなってUGに来たと言っていた。

 私は……。

 私のエントリー料が何だったのか、実はよくわかっていない。

 生前のこと、死神のゲームのことを思い浮かべながら、自宅への道を歩く。すると。


「え、もしかして、ユウか?」

 自宅に帰る途中の109前、聞き慣れた声に呼び止められた。特に警戒せず振り返る。

「あっ」

 野球のユニフォームを着た少年。胸の部分にどこかの高校の名前が印字されている。そして、彼の顔には見覚えがあった。死神のゲームで、私と契約を結んだパートナーだった。

 かつてのパートナーだった彼は気さくに笑いながら、口を開く。


「久しぶりだな。ところでさ聞いてくれよ。部活の奴らがマジでクソでさ、チームワークってのがないんだよいつまでも昔のことをぐちぐち言ったりしてさあやってらんないよ」
「え、えっと」

 彼は私が戸惑うのも気にせず、一方的に話し続ける。確かにゲーム中の彼は、常にこんな感じだった。嵐のように一方的に話しながら、リーダーシップを発揮する彼。懐かしむ間もなく彼の話は続く。

「でも俺はあいつらとは違うし、なんせ死神のゲームに勝ち残ったんだからな! でも部活がねーと野球はできないしマジだるいよなーなあお前もそう思うだろ?」

 彼の口からこぼれるのは、自分の所属する野球部への不満ばかりだった。自分は皆の為を思って指示を出しているのに、誰も言うことを聞かない、相変わらず部の空気はギスギスしていて最悪だ、それでも自分が野球をするには今の部活にいなきゃいけない等々……。


「お前は今何してんだ? 俺がいないとお前は何もできなかったもんなー」

 そこで彼ははた、と我に返ったそぶりをした。そして初めて、私と視線を合わせた。

「ところでさあ生きかえったのって俺だけだよな。なんでお前がここにいるんだ?」

 彼の表情が豹変した。彼の顔が怒り一色に塗りつぶされる。

「お前、まさか死神になったのか?」

 怒りで顔を赤く染めながら、彼が私に一歩、一歩とにじり寄ってくる。


「俺達を消そうとした奴らに落ちたのか! 俺があんなに面倒見てやって、生き残らせてやったのに! 何考えてるんだよ!」
「ヒッ」

 バッグのポケットに携帯していた拳銃に手が伸びたのは、ほとんど反射だった。

 そこでグイっと服の襟首を引っ張られる感触があった。視界が一瞬暗転する。
 目の前のパートナーだった少年は、まるで私のことが見えなくなってしまったかのように、右を左を見回していた。


「えっ、あっ……?」
「大丈夫か」
「え?」

 

 窮屈な思いをしながら背後を振り向く。私の襟首を掴んでいたのは、北虹指揮者だった。視線が合うと、すぐに北虹指揮者は襟首から手を離してくれた。そして半分開いた状態のバッグを一瞥すると、厳しい口調で言った。


「生き人に銃を向けてはならない。『ルール違反』だ」
「も、申し訳ありません」
「戦闘部隊の死神として銃の扱いに慣れているのは頼もしいが、ルール違反はいけない。わかったか」
「はい。申し訳ありませんでした」
「彼は君の知り合いかな?」
「はい。以前私のパートナーだった人です」
「ほう。元ゲームの参加者か」
「そうです。たまたまRGを歩いていたら、うっかり会ってしまって。迂闊でした」

 北虹指揮者の視線が私から、少年に移る。少年は「おいどこだよ! 逃げんな!」「俺はRGにかえってからも、ずっと辛い思いしてるっていうのに、死神なんかになりやがって!」と声高に叫んでいる。

 そんな少年を、北虹指揮者は黙ってしばらく見つめていた。


「……スキャン?」
「ああ」

 北虹指揮者は彼の思考を読み取っていたようだ。それが終わると、私に向き直る。


「あの、やはり生き人に私が気付かれたことは、よくなかったでしょうか。どうしたらよいでしょう?」
「ああ、いや、そういうわけではない。ただあの少年が気になってな」
「彼が、気になりますか?」
「『俺はRGにかえってからも、ずっと辛い思いしてる』。これはゲームを勝ち残り生きかえった人間が言うには、不適切な言葉だ」
「そうなんですか?」

 北虹指揮者が私を見下ろす。


「佐倉はエントリー料の意味を知っているか?」
「死神のゲームに参加するための対価、ですよね?」
「そうだな。それにもう一つ意味がある」

「意味……?」
「歩きながら話そう」

 北虹指揮者が歩き始める。私もそれについていく。

「死神のゲームの参加者は、エントリー料として最も大切な物を徴収される。それは佐倉も知っているな」
「はい」

 北虹指揮者に言われて思い出す。死神のゲームに参加した時に、通達された。自分の一番大切な物をエントリー料として徴収すると。


「生きかえりの権利を得るのは、エントリー料を克服できた者だけだ。つまり、生きかえった者が『ずっと辛い思いをしている』のはおかしい」
「彼は人間関係に悩んでいたと言っていました。同じ環境に生きかえったからこそ、また悩むのは自然なことではありませんか?」
「いや、それでもおかしい。エントリー料とは参加者にとって大切な物であると同時に、生前のこだわりでもある。死神のゲームはそれを克服するための試練とも言える」
「えっ?」

 そんなことは聞いたこともなかった。生前のこだわり? 克服する?


「佐倉は何も聞いていないのか」
「は、はあ……」

 北虹指揮者は歩きながら、淡々と説明する。


「死神のゲームは七日の間に参加者達が各々の問題に向き合うための猶予期間だ」
「あの、どうしてそんなことをするんですか?」
「そうだな。簡単に言ってしまうと渋谷のソウルを浄化するため、と言ったところか」
「はあ……?」

 渋谷のソウルの浄化。なんだか壮大なワードに戸惑ってしまう。私の戸惑いに気が付いた北虹指揮者が、私の方に顔を向けて、少し考え込む仕草をした。

「悩みを抱える人間の多くは、自分の可能性に気付くことができずに停滞してしまっている。ネガティブなソウルが停滞すると、悩みで頭がいっぱいになって、さらなる停滞を招く。そして悩みの発信源の人間から、周囲の人間にネガティブなソウルがうつってしまう。結果ネガティブなソウルにノイズが引き寄せられて、ノイズの大量発生にも繋がる」
「それは、困りますね」

 ネガティブな人間にノイズが乗り移るのは、何度か見た。死神のゲーム中に、RGの人に乗り移ったノイズを払ったことがある。


「ああ。狭い範囲で事態を食い止められるなら問題ないが、広い範囲をネガティブなソウルに支配されてしまえば、渋谷のソウルは流動性を失い停滞し、いずれは荒れ果ててしまう。そうならないために死神のゲームは存在するんだ」
「そうだったのですね」

 つまり死神のゲームは、RGにネガティブなソウルが溢れかえらないようにするための仕組みでもあったのだ。

「本来生きかえった人間が、生前と同じ悩みを抱えることはありえない。生前と同じ環境で生きることになったとしても、困難を克服できる者のみをRGに返還しているからだ。我々組織は多くの人員を割いて、綿密に参加者の成績を採点している。その上でコンポーザーはその結果から、生きかえる権利を授ける参加者を厳選される」

 私は北虹指揮者にそこまで説明されて、やっと事態の深刻さを理解する。参加者はいくつものフィルターを通して、生きかえる権利を得ていた。実行部隊の死神達、幹部の死神、そして、コンポーザーであるヨシュアさん。

 なのに彼は、生きかえってもまた同じ苦しみを味わい続けている。

 これは……。これでは、まるで……。


「それじゃ、彼の言っていたことって」
「そうだ、あってはならない事態ということだ」

 そして北虹指揮者は口を閉ざした。足早にスクランブル交差点を渡り、滑るように渋谷川を歩く。私は小走りで追いかける。

 怖かった。北虹指揮者の言っていることを完璧には理解できなかったが、渋谷に何かよくないことが起ころうとしている。それだけはわかった。

 渋谷川をずんずん進み、死神本部の部屋に辿り着く。北虹指揮者が入り口のパネルを操作すると、すぐさま死神本部の扉が開いた。本部には誰もいなかった。


「どうするんですか?」
「少年のエントリー料を調べる。手伝ってくれるか?」
「はい!」

 北虹指揮者は本部の奥にある棚から一つの引き出しを開けた。そこには整然と多くの書類がファイリングされていた。


「これは?」
「過去の参加者の書類だ。ここに少年の詳細な情報がある。佐倉も彼の書類を探してくれ」
「わかりました」

 書類の束を半分に割って、二人で手分けして彼の書類を探す。しばらくして、私はある書類を見つけた。

「……あ」

 私の書類。いかにも自信のなさそうな私の顔写真が、目に飛び込んできた。

 そっと書類をわきによけて、再び書類の山と格闘する。

 書類の山の下の方に、彼の書類はあった。


「北虹指揮者、ありました」

 私から書類を受け取ると、北虹指揮者はさっと目を通す。


「ふむ……。『他人を思いやる心』、か」
「えっ」
「何か気になることでもあったのか?」
「私は七日間彼と一緒にいましたが、思いやりに欠けると思ったことはありませんでした。むしろ、二の足を踏む私を引っ張ってくれる、いいパートナーだったと思います」
「……そこにあるのは、君の書類だな? 見せてくれるか」

 有無を言わさぬ口調だった。


「……はい。どうぞ」

 北虹指揮者は私の書類を受け取ると、少し黙読し、顔を上げた。


「君のエントリー料は『プライド』か。プライドをエントリー料として徴収されたから、彼の横暴な振舞に何も言えなかったのではないか?」
「えっ、えっ? わ、私にも見せてください」

 北虹指揮者から書類を受け取り、目を通す。書類には、私の生前の記憶──それこそ死ぬ直前までの記録──が、履歴書のように書かれていた。

 佐倉ユウ。事故死。生前は人に依存した生き方をしており、内心では他人に依存しない自立した人間になることを望んでいた。しかし元来の他人への依存心の強さから、実像と理想像が乖離し、苦悩していた。佐倉ユウが自立するために最も必要なのはプライドである。以上の理由により、エントリー料はプライドとする。




「え?」

 目を見開く。死神のゲームに参加している間も、今も、必死だった。だから自分のエントリー料が何かなど、考えたことがなかった。

 だが、改めて思い返してみる。ゲーム中、私の力不足で指示通りのサイキックが出せなくて、彼に理不尽なくらい怒鳴られたことがしばしばあった。今思えば彼の判断ミスで招いた失敗を、私のせいだとなすりつけられたことだって一度や二度ではなかった。私の意見を一切聞こうとせず、どれだけ私を傷つけても顧みなかった、パートナーの彼。

 彼に理不尽に責められるたび、私が悪いんだ、気をつけなきゃ。彼に見捨てられては終わりだ! と思いつめていた。自分が生き返るためというより、彼に見捨てられたくない一心で、七日間を生き残った。



「君は自分のエントリー料が何か、気付かなかったのか」
「……はい」

 北虹指揮者の視線が痛い。しかし今は彼のことの方が重要だ。


「でも、思い当たる節はあります。私はあのゲーム中、ずっと彼の指示に従っていました。きっと理不尽に責められたことも、たくさんあると思います。あれは本来の彼ではなかったということですか?」
「……そうなるな」
「では先程の彼は……」

 かつてのパートナーの振る舞いを思い出す。私の返事を待たず、一方的にまくしたてるように話す彼。部員のことを口汚く罵る彼。こちらの事情を聞かずに私に激怒した彼。どれも他人への思いやりなんて感じられなかった。

 むしろ死神のゲームに参加していた時は、同じ部員同士の諍いを上手くいさめられなかったことを、後悔しているようだったが……。



「…………」

 北虹指揮者は顎に手を添えて沈黙している。

「すまない、佐倉。この件はコンポーザーと協議する。君はもう戻ってくれ」
「は……」

「はい」

 頷く他、なかった。




 生前の私は、漠然ともやのような不安と不満を感じていた。私はその理由が何なのかわからないまま、不安を抱えて生きていた。

 でもそれが死神のゲームに参加したあの日に、すっと消えてしまった。どんなにないがしろにされても、傷つかなかったし、怒ることもなくなった。

 だって、プライドがないから。ないがしろにされていることそのものに、気付けなかった。

 私は自分に自信がなかった。要所要所で自分の判断に自信が持てず、何もかもを他人に任せていた。昼食はいつも友達と一緒。トイレに行くタイミングも友達に合わせていた。服も、アイテムも。そして受験先の高校も大学も、友達と同じところを選んだ。あまりにべったりな私に、友達が音を上げるまで、ずっとそうして過ごしていた。その友達がいなくなってしまってからは、同じように別の人に……。


「あっは」

 思わず笑みがこぼれてしまった。

 私は自分に自信がないことを口実に、全ての判断を他人に任せていたのだ。そんな自分が嫌で愚かで、むなしかった。RGにいた頃は、自分を省みることも、自覚することもできなかった。どれだけ依存相手におざなりに扱われても、依存先がなくなることを恐れてにこにこ笑って、自分と周囲をごまかしていた。私は、私自身を大事にできていなかったんだ!

 今……。今はどうだろう。

 先輩達にはお世話になっているけど、これは仕事を始めたばかりだから当然だ。この間のデビュー戦では、一人できちんと仕事ができた。依存しているとは言わないだろう。

 ふとヨシュアさんの顔が脳裏をよぎる。

 むしろ依存しているのはヨシュアさんにではないか?

 確かにデビュー戦の前夜、忙しいとわかっているにも関わらず、ヨシュアさんに電話をかけて弱音を吐いたこともあった。今、ヨシュアさんに置いてけぼりにされて途方に暮れてはいる。

 でも、何をするにも一緒でないとだめというわけではないし、何もかもをヨシュアさんにゆだねて依存しているわけではない。

 そうだ。私は一人で死神として参加者に立ち向かった。ヨシュアさんの特殊な事情で、RGでデートできないと知ったときは折衷案を模索しようとした。ヨシュアさんが雨に濡れた時だって、私は自分の意志でヨシュアさんを自宅に招いた。

 RGにいた頃に同じシチュエーションに遭遇していたら、きっとヨシュアさんをずぶぬれにしたまま、おろおろと泣いていただろう。

 そうだ。私は死神になってから、成長できていたんだ。まだふらふらしていて、足取りもおぼつかないような状態だけど、それでも。


 無性に、ヨシュアさんに会いたかった。

 でも、今はヨシュアさんに会う前に、聞いておかなきゃいけないことがある。

 ポケットから携帯電話を取り出し、八代先輩の番号を呼び出す。何度かのコール音の後、『はい、八代です』と聞き慣れた先輩の声が返ってきた。

「佐倉です。八代先輩、今お時間よろしいですか? 確認したいことがあるんです」