わずかなぬくもりを求めて

徐々に季節が夏から秋へと移り変わりつつある、少し肌寒い日だった。
ヨシュアさんと出会ったときは梅雨の季節だったのに、いつの間にか夏になってもう秋が迫っている。

時間が経つのは本当に早い。

今週開催された死神のゲームが滞りなく終了し、帰りにヨシュアさんと待ち合わせして、いつものカフェに入った。
ここ二ヶ月で死神のゲームが終わった後にデートするのが習慣になった。
お疲れ様を言い合って、互いに些細なことを報告しあうのだけれど、それさえも楽しい。
「へえ、やっと銃を的に当てられるようになったんだ。これで拳銃の訓練からは卒業だね」
「すっごく嬉しいの! 銃を扱うのって苦手だったから」
「ユウの銃の腕はすばらしいみたいだね」
「すばらしく命中率が低い……というか、なんというか。苦手なのもあるけど、銃を使うのは心臓に悪くて」

参加者を消す立場の者が、心臓に悪いも何もと言われそうだけど、正直なところ銃を手放せてほっとしている。
最初の頃は本当にひどかった。
指導してくれた、八代先輩の足を引っ張るどころか、文字通り背中を撃ちかけたことが何回かある。
そのたびに大目玉を食らったが、生身の人間ならあわや殺人事件……という場面も数知れず。

身の危険を感じた八代先輩は、アフターでは付きっ切りで射撃訓練をしてくれた。
的から数メートル離れたところに弾丸が飛ぶのは日常茶飯事。見物に来た同僚や、八代先輩にあてそうになったこともある。
いくら死神でも、銃が撃たれれば無事ではすまない。
『あああああ!! あんた、あたしを殺す気!?』

先輩の金切り声の上がらなかった日はない。
八代先輩の熱心な特訓のおかげで、何とか最低限銃の扱い方と大きな的に当てることはできるようになった。
「あんたって根はマジメだし、仕事の飲み込みも早いのに、戦闘スキルだけは本当にダメダメだったわね」
と、特訓が終わってしばらく経った後に、言われる始末だった。


「色々あったんだ……、本当に」

しみじみ思い出に浸っていると、ヨシュアさんは愉快そうに笑った。
「その『色々』の部分をぜひ聞きたいな」
「全力で拒否します!」
「えー、ちょっとくらい話してくれたっていいじゃない」
「だだ、だめ! 恥ずかしいし……」
「恋人同士で隠し事はよくないよ」
「え、そ、それでも!」
「じゃあ上司命令」
「うううう」

さすがに上司命令と言われては困る。
「無駄な抵抗はやめなよ。僕の権限を使えば、すぐにわかっちゃうことなんだから」
「意地悪……」
「うーん、どうもユウの顔を見ると、つい意地悪したくなっちゃうんだよね」
「もう」
クスクス笑うヨシュアさんを見ていると、意地悪されても許したくなってしまうくらい幸せな気持ちになる。
ヨシュアさんがこの渋谷を統治している人だとはとても思えないくらい、無防備な笑顔が大好きだ。
「ノイズ精製だけじゃダメなの? ゲームマスターしか、参加者に直接手出しできないなら、銃の扱いを練習しても仕方ないんじゃないかな」

私の問いに、ヨシュアさんは少し間を空けて答える。
「──銃はもしもの時、自分の身を守るためのものだよ」
「『もしも』?」

今の渋谷に不穏な空気はないし、以前に比べて少し治安も良くなったと先輩たちが言っていたのを思い出す。
そんな渋谷にもしもの時なんて、起こりうるのだろうか。
「そう、『もしも』」

にっこりと笑顔でけむにまかれる。
「嫌かもしれないけど、普段から練習しておいてね」
「それも上司命令?」
「ううん、これは警告と、お願いかな」
「わかった。でも、もしもの時なんて来ないと思うな」
「そんなのわからないじゃない。もしかしたら、明日来るかもしれないよ?」
「来ないよ」

何故か笑顔で食い下がるヨシュアさんに、私も負けじと言い返す。
とはいえ、ここまでヨシュアさんが念を押すということは、きっと銃の扱いも重要なことなんだろう。
毎日とはいかなくても、なるべく銃に触れることを習慣づけておこうと、心に留める。

「ところで今度の連休はちょっと遠出しませんか? ゲームも当分ないですし」
「あ、そうそう連休ね。僕もユウに言わなきゃいけないことがあったんだ」
「言わなきゃいけないこと?」
「今度のお休み、僕には仕事があるんだ」

コンポーザーは多忙だ。私たち死神が休んでいても、その裏では色々な仕事を抱えていることも多いとか。
もちろん、ずっと仕事にかかりっぱなしというわけではないから、空いた日は一緒にすごすようにしているけれど……、どうも今回はそうではないようだ。
「いつ頃だったら空いてるの?」
「それが、今回の休みはずっとなんだよ」
「ずっと?」
「うん、各地のコンポーザーが集合して会議をするんだ。大勢のコンポーザーが、自分の受け持つエリアの現状報告やら何やらをするから、相当時間がかかるんだ」
「もしかして、今回のお休みが長いのって」
「そう、その会議のせい。会議中はゲームを開催する余裕がないから、いったんお休みするんだよ」
「じゃあ当分は会えないんだ……。会議ってそんなに遠いところでするの?」
「ここ」

ヨシュアさんが床を指差す。
「『ここ』って、もしかして渋谷のこと?」
「うん。渋谷川の奥にある僕の部屋を使ってやるんだよ。あそこなら広いし、出入りできる外部の人間は早々いないからね」
「そっか。そこなら安全だね」

私もまだ行ったことのないコンポーザーの部屋。
そんな大人数を収容できるって、どれくらい広いのだろう。
ヨシュアさんがコーヒーを飲むのにつられて、私も手元のミルクティーをすする。
そこでなんとなく会話が途切れてしまった。

一ヶ月の連休。
とても長いお休みをもらえて有頂天になっていたのに、私の気持ちはしぼんでしまった。
ヨシュアさんと一緒にいられるからこその休暇。

なのにその間一度も会えないなんて、寂しい。
ヨシュアさんの負担にならないよう、不安も不満も口に出さないようにしなきゃ。
そう思っていたのに、ヨシュアさんにはお見通しだったよう。
「そんな顔しないで」

頬に手を添えられる。
ヨシュアさんの大きな手。
「二度と会えなくなるわけじゃないんだから。なるべくこまめに連絡を入れるようにするから」
「……はい」

こくんと頷くと、ヨシュアさんの手がポンと頭に置かれた。そのままくしゃくしゃと髪を撫でられる。
「いい子で、待っててね」

一ヶ月丸々会えないことに不安で仕方なかったけれど、ヨシュアさんのどこか切なそうに微笑む顔を見てしまったら、頷くしかなかった。






十五日後。
だめだった。
やっぱりヨシュアさんに会えないのは辛い。

元々多忙な人だから、メールがすぐに返ってくることもあまりなかったけれど、今まではヨシュアさんと会えたからこそ、気にならなかったんだと気付く。
何もない日はフローリングの床に寝そべって、携帯電話を一分毎にチェックしてしまう習慣がついた。

ここぞとばかりに自堕落に生活してみたり、掃除をしてみたり、映画を見に行ったり、先輩たちと遊んでもらったりしたけれど、ため息ばかりがつもっていく。
八代先輩と狩谷先輩に会ったときは、私のため息の回数を数えられたなんて、恥ずかしいエピソードまである。
『あー、もうさっきからためいきウザいわね。そんなに彼氏が恋しいなら、会いに行っちゃいなさいよ!』
『先輩……、でも彼すごく大事な会議の真っ最中なんですよ。そんなときに会いに行ったらKYにも程があります』
『KYとかどうでもいいじゃない! あんたが行動しなきゃ、一ヶ月間本当に会えないわよ』
『イキナリ会いに行くなんて強硬手段に出なくても、会いたいって言うくらいはいいんじゃないカ?』
『でも……、そんなこといきなり言ったら、重いって思われません?』
『重いかどうかよりも、自分の気持ち伝えるほうが大事でしょ。何言ってんのよ!』
『むしろ自分だって彼女に会いたいのに彼女からはメールの一通も来ないんじゃ、それはそれで彼氏もサビシイと思うナ』
『そうなのかな……』
『うじうじしないでよ、マジウザいから。あんたは会いに行くなり、会いたいって言うなりすればいいのよ。むしろ行っとくくらいはしないとまずいんじゃない?』
『まずいって、何がです?』
『だってあんた、彼氏と一月も会えないのに、彼女が大して寂しくなさそうにしてたら、俺の立場は? って思うでしょ』
『うっ……』
『あんたはとにかく、彼氏にメールなり電話なりしなさい!』

先輩方二人に背中を押されて、メールを出したのがついさっき。
ヨシュアさんの体調を気遣い、最近の出来事を書き、
『今どうしてますか? ヨシュアさんに会えなくて、さびしいです』

最後の一文にしのばせた本音のメールを送るのに、ずいぶん時間をかけてしまった。
「はあ……」

携帯電話が鳴る事はない。
当たり前だ。今の時刻は十四時二十三分。
平日のこの時間なら、絶賛会議中だろう。

鳴らない携帯を見て、私は思い出す。
ヨシュアさんが、いかに渋谷を大切に思っているか。
『はっきり言うけど、今から話すことは渋谷UGを揺るがすことだ。触りにも入っていないのに、この程度のことで動揺するなら、話すことはできない』

梅雨の終わり頃、初めてキャットストリートのカフェで話したとき、ヨシュアさんは真剣そのものの顔で言った。
憧れの人に告白されるかもしれないと浮かれていた私の気持ちを、一瞬で凍らせるくらいの気迫。

今渋谷川の奥で開かれているのは、全国のコンポーザーが集まった会議。
ヨシュアさんと同じくらい、自分のUGを大切に思っている人達が、何を話すのだろう。
きっと皆真剣に話し合っているんだろうな。

──そんな大事な会議の最中に、ちょっと会えなくて寂しいからなんて理由で、『会いたい』なんて言ったら、いけなかったんじゃないの?

唐突に冷静な心の声が突き刺さる。

もしかしたら、仕事中のヨシュアさんを邪魔したことになるのではないかと、メールを送った直後に気付いてしまう自分が、嫌になる。
今更気付いたって、取り返しのつかないことなのに。

今何してるの? 仕事中? 仕事のしすぎで、体調を崩してない?

寂しい。ヨシュアさんに会いたい。

ふらりと立ち上がり、私は部屋を出た。






渋谷川。
ヨシュアさんが蛍を見せてくれたり、ノイズの精製を手伝ってくれた場所だけれど、一人で来ると全然印象が違う。
初めて来たのは、死神組織に入ったときだけれど、あの時も先輩の死神に付き添ってもらっていたっけ。

薄暗く湿っぽい渋谷川を、ヘドロの刺激臭にしかめっ面をしながら、とぼとぼ歩く。
私に気付いたヨシュアさんが、来てくれないかなとちょっと期待したけれど、そんな素敵なことは全くなく、境界の川を渡り、渋谷川の奥にたどり着いた。

死神組織の本部のある部屋だ。
いつ見ても物々しい、雰囲気のある扉が私を待ち構えていた。
この部屋は幹部たちの控え室であって、ヨシュアさんの部屋はこのさらに奥にあるらしい。

とりあえずノックをして、ドアノブに手をかけるけど、鍵がかかっている。
ふと扉の横にあるセキュリティコードを入力する機械が、目に入った。
以前先輩死神がここにパスワードを入力していたことを思い出す。
当然、ついこの間組織に入ったばかりの私では、パスワードを知るはずもない。

これではヨシュアさんに会いにさえ行けない。
部屋の内部にいるヨシュアさんなら、開けてくれるかもしれないと、とりあえず携帯電話を開き、電話をかけても出てくれない。
どうしよう、困ったなと立ち往生していると、扉が細く開いた。

扉から出てきたのは、赤いヘッドフォンとサングラスが特徴的な人。
幹部のナンバーワン、北虹指揮者だ!
私に気付いた指揮者は、不思議そうに少しだけ首をかしげながら、私に話しかけてきた。
「休暇期間に実行部隊の者が来るとは珍しいな。君は確か、戦闘部隊の……、佐倉と言ったか?」
「は、はい。北虹指揮者ですね。そうです。先月戦闘部隊に配属された佐倉ユウですっ」
「報告が届いているぞ。新人としては、随分奮闘したようじゃないか」
「あっ、ありがとうございます! これも先輩方の指導のおかげです」

組織のナンバーツーの人に、名前を覚えてもらえていたなんて、何だか恥ずかしいような。でもちょっとうれしい。
その後も北虹指揮者に、ゲーム中の話をしたり、仕事についてのアドバイスをしたりと、話しかけられた。
意外に気さくな人なんだなと思っていると、北虹指揮者はおや? という顔をする。
「てっきり仕事の相談があって、ここに来たのかと思ったが、佐倉は違うようだな」
「私は?」
「ああ。一度ゲームを経験してから、配属先の変更を希望する新人が多いんだ。戦闘部隊では難しいから、補助部隊に行きたいといった具合にな」
「そうなんですか?」
「まだ戦闘スキルに難アリと思っているようだが、いずれ仕事に慣れれば、もっとノイズ精製も銃の扱いも問題なくなるだろう。で、佐倉はどうしてここに来たんだ? 誰かに用があったのか?」

しまった。
幹部の誰かと会ったときの言い訳を、全く考えていなかった。

正直に「コンポーザーに会いに来た」というのは少し恥ずかしい。
少しぼかした言い方で、それとなく水を向ける。
「今、渋谷川で会議をしてるって聞いて、何かお手伝いができないかと来たのですが……」
「会議? いいや、そんなものはしていないが」
「え、私、渋谷川の奥で重要な会議をしていると聞いたんですけど」

会議の内容から考えるに、相当重要なものらしいし、もしかしたら北虹指揮者に箝口令がしかれているのかもと思ったけれど、真剣な表情で顎に手を添える指揮者を見ていると、そういうわけでもないようだ。
しばらく考え込んでいた北虹指揮者は、諦めたように首を振る。
「いいや、すまない。俺には心当たりがないな。実際今はコンポーザーも我々幹部も休暇期間のはずだ。あの方は普段から多忙だから、不在のことも多いようだが」
「そうですか……」

疑っている私に気付いた北虹さんが、扉を開けて北虹さん以外誰もいない室内を見せてくれた。
「な?」
「はい……。北虹指揮者はどうしてこちらに?」
「ああ、不測の事態に備えて、幹部は持ち回りでこの部屋にいるようにしているんだ」
「そうでしたか。お忙しいところ、失礼しました」

せっかくここまで来たのに、逃げてどうする。
でも、北虹指揮者の怪訝な顔と、気まずい空気を前にして、渋谷川から出て行くしか、選択肢がなかった。

組織のナンバーツーさえ知らされない、謎の重要な会議。

もしかして、本当に会議は開かれていないけれど、ヨシュアさんが不在なだけ?
ヨシュアさんはどこに? なんで連絡も取れない状態なの?

もやもやと不安が湧き上がっては、私の中に染み込んでいく。
不安をかき消すために、半ば早足で渋谷駅を目指す。
前方に人がいることにも気づかないで。
「わっ」
「おっと」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫です……か……」

この香水の匂いと、見覚えのあるスーツ。顔を見るまでもない。
私の前にいるのはヨシュアさんだ。
「ヨシュアさん……」
「いい子にしててねって言ったのに」

腕を回して、ぎゅっとハグしてくれた。
「メールをくれているのはわかってたんだけど、なかなか返事が出せなくて」
「いいよ。ヨシュアさんに会えるのが、一番嬉しいもん」

しばらくはただ互いの息遣いを聞きながら、髪を撫でたりしていたけれど、ヨシュアさんがやんわりと体を離した。
「実は、今もちょっと休憩になったから、来られただけで、もう行かなきゃいけないんだ」
「そっか……」

ヨシュアさんは体をくるりと反転させた。
「途中まで送っていくよ」と私の手を引き、渋谷川の出口に向かう。
「会議、大変?」
「どうしてそう思うの?」
「何だか、顔色が悪いから」

私が指摘すると、ヨシュアさんは珍しく少し驚いた顔をして、足を止めた。
つられて私も足を止める。
顔色が悪いと言ったけれど、私が感じたものはもっと抽象的なものだ。
いつもより言動が控えめなように思えるし、前髪で隠れているけれど少し辛そうな表情をしている気がする。

しばらくじっと見つめ合っていたけれど、ヨシュアさんは破顔して、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「大丈夫だよ。自分のエリアの大切な会議なんだから、疲れて当然だよ」

いつもどおりの微笑みを取り戻し、ヨシュアさんは再び出口へ向かう。
「そうかもしれないけど、あんまり無理はしないでね」
「わかった。ユウも会議が成功するように、応援して」
「頑張って。ヨシュアさんなら、きっと会議を成功できるよ」

私の励ましに、ヨシュアさんはこくりと頷き、力を込めて手を握ってきた。
私も強く握り返す。

せっかく強く繋ぎ直したばかりの手だけれど、もう出口まで来てしまった。
「今日はここまでしか送れないけど、帰れる?」
「大丈夫」
「会えてよかった。気を付けて帰ってね」
「うん。……会いに来てくれて、ありがとう」

名残惜しかったけれど、時間が押しているヨシュアさんを引き止めるわけにはいかない。
つないだ手を、そっとほどく。
ヨシュアさんは「じゃあ」と二、三回手を振った。
私も手を振り返して、渋谷駅の方へ体を向ける。
少し歩いたところで、もう一度ヨシュアさんの方を振り向くと、ヨシュアさんは颯爽と渋谷川へ戻っていくところだった。

頑張って、と心の中で呟いて、私も渋谷の雑踏に紛れていく。

何故かヨシュアさんの手のぬくもりが、ずっと私の手のひらに残っていた。