何のために

電話をかけるときは、いつもドキドキする。
出てくれるかなとか、ちゃんとうまく話せるかなとか、そんな風に色んなことを考えて、不安になってしまう。
今はそれに加えて、どんなことを話そうと、ときめいていた。
何と言っても、今かけている相手はヨシュアさんだからだ。

私は、この間教えてもらったばかりのヨシュアさんの番号を、慎重に間違えないよう、プッシュする。
機械的な電子音が鳴り始める。

一回、二回、三回……とコール音を数えてから、唐突に途絶えた。
『もしもし』

出た!
受話器越しに少しくぐもった声が聞こえてきた瞬間、私の心臓は飛び跳ねた。
「も、もしもし、ユウです」
『やあ、ユウ。君か』

電話越しに聞こえる弾んだ声に、私も顔がほころぶ。
ようやくヨシュアさんと敬語を使わずに話すことに慣れてきたところだ。
しばらく電話の方がタメ口でも話しやすいねとか、初仕事はどうだったとか、少し他愛もない話をした後、私は本題を切り出したのだった。


『お祭り?』

受話器越しにヨシュアさんの穏やかな声が響く。
「うん。今度の土日に、宮下公園の近くでやるんだって。もし、ヨシュアさんの予定が空いていれば、どうかなって」

右手で持っているお祭りのパンフレットをいじりながら、ヨシュアさんに問いかける。
今までヨシュアさんにエスコートされてばかりだったから、私の方からデートのお誘いがしてみたかった。

そんな時に見つけたのが、宮下公園のそばで開催されるお祭り。
御神輿や出店もあるようで、なかなかにぎわうらしい。

夏といえばお祭り。
夏らしいデートをヨシュアさんとしたいと、私は思っていた。
『そう……。お祭りなんて何年も行ってないな』
「本当? それなら是非! 実は私、新しく浴衣を買ったんだけど、ヨシュアさんに見てほしいなぁ〜って。ダメかな?」
『…………』

私が尋ねると、受話器の向こうでヨシュアさんは黙り込んでしまった。

おかしい。
今日のヨシュアさんは、いつもみたいに喋ってくれない。
「ヨシュアさん、あの、どうしたの?」
『え? ああ、ごめん。………………悪いけど、一緒には行けないな』

大分間を空けてから、ヨシュアさんは申し訳なさそうに答えた。
ヨシュアさんの返答に、思わず肩を落としてしまいそうになる。
まさか断られるとは思わなかったけれど、落ち込んだ気持ちを悟られないように、できるだけいつもの口調で話しかける。
「そっか、何か予定でもあるの?」
『そういうわけじゃないんだけど』

何故だか歯切れが悪いヨシュアさんの返答に、私は首を傾げる。

何年もお祭りに行ってないなら、もしかしたらヨシュアさんはお祭りが苦手……、もしかしたら、人混みが苦手なのかもしれない。
この間映画館に行ったときも、浮かない顔をしていたっけ。
「ヨシュアさんって、もしかして人の多い場所が苦手?」
『どうしてそう思うの?』
「前に映画館に行ったとき、ちょっと怖い顔してたし。それにお祭りも何年も行かないってことは、人混みが苦手なのかなって」

おずおず尋ねる私に、ヨシュアさんはからりと笑ってみせる。
『まさか。人混みが苦手で、渋谷を統治はできないよ。ちょっと色々あって……』

そこでヨシュアさんの声が途切れる。
受話器越しに聞こえる、溜め息や身じろぎする気配から、ヨシュアさんが戸惑っているのがわかった。

もちろんヨシュアさんとお祭りに行ければ嬉しい。
浴衣姿を褒めてもらえたら、もっと嬉しい。

だけど、ここまでヨシュアさんがお祭りに拒否反応を示すなら、どうしても、と無理強いするつもりは毛頭ない。
ここまで嫌がっているのなら仕方がない。
「ごめんなさい。どうしてもっていうわけじゃないから、気にしないで。今度一緒に別のところへ出かけよう」
『ああ、だからそうじゃなくて……うーん、直接話したほうがいいかもね。ユウ、今日は予定空いている?』
「え? うん、空いてるけど」
『じゃあ一時間後にキャットストリートのカフェで落ち合おう。そこで事情を話すよ』
「うん。わかった。それじゃあまた後で」
『また後で』






キャットストリートに向かう途中、通りかかった宮下公園では、おみこしや屋台の準備をしている人がちらほら見えた。
ついつい、楽しそうだなと羨んでしまう。

半分お祭りに行くことは諦めていた。
ヨシュアさんの様子から、多分今回一緒に出かけるのは無理だろう。
ヨシュアさんに浴衣姿を見て欲しかったとか、夜店を見て回りたかったとか、もう行けないことを前提にうじうじしてしまう。

それにしても、大事な話とはなんだろう。
ただデートに行けないなら、電話の段階で断ればいいだけなのに、ヨシュアさんにしては珍しく煮え切らない返事だったし、私の申し出を断るだけで、わざわざ呼び出すだろうか。

とりとめのないことを考えながら、例のカフェの扉に手をかける。


「いらっしゃい」
「こんにちは」

カフェの照明はついていなかったけれど、外の日差しが随分明るいので、店の雰囲気はわかる。
ただ、奥の方は光が届かず、暗い。
お店に入ると、ヨシュアさんはいつものカウンター席で待っていた。

当たり前のように、ヨシュアさんの隣の席が引かれているのに気付いた私は、クスリと笑う。
そしてそっとヨシュアさんの隣に腰掛けた。

ヨシュアさんは、ぽつりぽつりと自分のことを語り始めた。
難しい単語が飛び交い、チンプンカンプンなところもあったけれど、「今は無理に全部を理解しようとしなくていいから」とヨシュアさんは、もっと柔らかく噛み砕いた言葉で、改めて説明してくれた。
「この世界に存在するものは、ソウルとイマジネーションでできてるって話は聞いていると思うんだけどさ」
「え? う、うん」

いきなりソウルの話に飛んで、思わず面食らう。
お祭りに行けない話と、どうつながっているのかわからない。

要点をまとめると、ヨシュアさんがUGから離れると、UGにあまりよろしくない影響が出てしまうという。
RGにいるとき、ヨシュアさんも死神と同じように力が使えなくなってしまう。
だからヨシュアさんはコンポーザーという立場のため、RGに移動することができないということらしい。
「僕のソウルの量は特に多いから、UGからRGに移動するときに、イマジネーションの調整がうまくいかないんだ」
「うまくいかない? それって、危ないんじゃ……」

イマジネーションがほどけてしまったら、ソウルが拡散してしまう。つまりそれは消滅するということであって、この世界では『死』と同じだ。
「そう。だから僕は、RGに行くことはできない。RGに移動しなきゃいけない場所には、行けない」
「それじゃ、今までのデートの時は……あっ!」

今までのことを思い出す。
雨が降りそうな夜に、偶然コンビニで再会したとき、そばにいたお客さんにやたら凝視されたこと。
映画館で座席について、妙に固執していたこと。
そしてヨシュアさんと会うときは、ほとんどこのカフェを指定してきたこと。
「じゃあ今までよくここのカフェで待ち合わせてたのって……」
「ここが一番安全に会える場所だからだよ。ここのマスターは“こちら側”の人間で、理解のある人だから、好意で場所を貸してくれているのさ」

その時、今の今まで私たち以外に人の気配がしなかったカウンターの奥で、扉の開く音が響いた。

ヨシュアさんがそちらに目を向けたのに合わせて、私も目をやる。
今扉を開けて出てきた誰かは、ちょうど光の届かない奥の方にいるので、どんな人かわからない。

サンダル独特の足音を立てて出てきたのは、サングラスをかけた男性だった。
サングラスのすきまから眠そうな目が覗いている。
無精ひげの生えたあごをさすりながら、よう、と手をあげた男性と、カウンター越しに向き合う形になった。
「遅いよ、羽狛さん」
「悪い悪い、もう来てたのか」

二人の声のトーンが、長年の友人のように気安い雰囲気だった。
今出てきた男性が、ここのマスターなのだろうか。
ボリボリと頭を掻きながら、ふわあとあくびをする。
もしかして、寝起き?
「ユウ、紹介するよ。彼は羽狛早苗(ハネコマサナエ)さん。ここのマスターだよ。羽狛さん、この間話した僕の恋人だよ。名前は佐倉ユウ」
「はじめましてっ。佐倉ユウです」

ヨシュアさんに紹介されて、ぺこりとマスターにおじぎをする。
「おう、ご丁寧にどうも。俺は羽狛早苗だ、よろしくな。しっかし、初対面って感じがしないなー」
「? どうしてです?」
「嬢ちゃんの話はさんざんヨシュアから聞かされてるからなー」
「え、えっとどんな話を」
「いいじゃない。少しくらいのろけたって」

ヨシュアさんがいつもの笑みで、私の言葉を遮った。
何を言っているんだろう。気になる。
「あっ、そういえばさっきヨシュアさんから聞いたんですけど、マスターもUGの人なんですか?」
「ん? おお、まあそうだ。死神のゲームで不正が行われていないか、監視する立場の者だ」

なんだか含みのある言葉が少し気になるけれど、死神の先輩なんだろうか。
戦闘部隊で見かけたことがないから、補助部隊の人かもしれない。
「それで嬢ちゃんに、どこまで事情を話したんだ?」
「僕の体質でRGに行けない理由についてまで」
「なんだ、ほとんど話してるじゃないか。俺が出てこなくても、よかったんじゃないか?」
「そもそも羽狛さんが来るの、遅かったせいだから」
「ちょっと仕事が詰まっててな。悪い悪い」

二人のやり取りを見ていて、少し前のヨシュアさんを思い出す。

『僕の正体自体、死神の中でも指揮者のメグミ君しか、知らない。だから、君のことを知らせなきゃいけないんだ。メグミ君や、あとまあ上の人にも』

この人が、『上の人』なのかもしれない。
「もしかして、マスターが前にヨシュアさんが『紹介したい』って言っていたえらい人?」
「そうだよ」

小声で聞くと、ヨシュアさんもひそひそと返して答えてくれた。
そんなやり取りをしている横で、マスターがコーヒーを淹れている。
カップを三つ取り出し、流れるような手つきでコーヒーを注ぎ、ヨシュアさん、私、そしてマスターの手元に置いた。
「それで、嬢ちゃんは大体の事情は把握したんだろ? 何が問題なんだ」
「ちょっとね」

先ほど話してくれたのと同じ話を、ヨシュアさんがかいつまんで事情を説明する。
「そういうわけで、僕はRGに行けないから、出かけられないねという話をしたんだ」
「RGに行けないってのは不便だな。それで、何が問題なんだ?」
ヨシュアさんの話に耳を傾けながら、テーブルに出ていた空のカップをさりげなく下げていった。
お祭りに行きたいという話から、ずいぶん大事にしてしまった気がして、少し居心地が悪い。
「 ユウがお祭りに行きたいって言うんだけど、どうしようかなと思ってね」
「祭りって、宮下公園のか?」
「そうです。渋谷でこういうお祭りって、あんまりしないみたいだし、行ってみたいなって」
「祭りくらい、一緒に行けばいいじゃねえか。減るもんでもなし」

あっけらかんとした羽狛さんを、気分を害した様子のヨシュアさんが軽く睨む。
「そういう問題じゃないだろう。体質のせいで僕はRGに行けないんだから、一緒には行けない」

珍しく語気が荒くて、私が睨まれたわけでもないのに、ドキドキしてしまう。
すると羽狛さんはからから笑って、手を振る。
「いやいや、ヨシュアがわざわざRGに移動しなくても、一緒に祭りに行くことはできるだろ?」

ヨシュアさんの話し振りから、お祭りには絶対いけないものだと諦めていたけれど、マスターの言葉に少しだけ希望が見えた。
本当にヨシュアさんとお祭りに行けるなら、どんな方法でもいいから試してみたい。
「ぜひ、その方法を教えてください!」
「ユウ」「私とヨシュアさんでも、一緒にお祭りに行けるんですか?」
「ああ、もちろんだ。ちょっと手間がかかっちまうけどな」

身を乗り出す私に、マスターがいたずらっぽくウィンクしてみせる。
ふたりでお祭りを楽しめるなら、ちょっとの手間なんて全然おしくない。
「ぜひ、その方法を教えてください!」
「ユウ」

ヨシュアさんが眉をひそめ、たしなめるように私の名前を呼ぶ。
「話を聞いて、ダメそうだったら、諦めます。だから、聞くだけなら、いいでしょう?」

必死にとりなそうとしたけれど、ヨシュアさんは深く息を吐いて、黙り込んでしまった。
「方法っていうほど、おおげさなものじゃないぞ。嬢ちゃんがRGとUGを行き来して、買い物するんだ。それならヨシュアはUGにいても問題ない。な?」
「そっか。ヨシュアさんがRGに行けないなら、私がRGに行けばよかったんですね! これなら……」

喜び勇んで振り向くと、ヨシュアさんは固い表情のまま、私と目を合わせてくれなかった。
途端に、弾んだ心がしぼんでしまう。
私の表情の変化を読み取って、マスターがやわらかい声でヨシュアさんに話しかける。
「ヨシュア、お前さんは自分のルールに縛られすぎなんだよ。たまにはグレーゾーンを楽しむのも、いいんじゃないか?」
「余計なお世話だよ」

固い表情のまま、冷たくマスターの声をはねのける。
「僕がRGに行かなくていいのはいいけど、周りへの影響は考えた? 買い物するのがユウだけなら、その費用はどうするの? これは僕とユウの問題。君には関係ない」
「…………」

激しい感情を押し殺すように言葉をつなぐヨシュアさんに、今度はマスターが渋い顔になる。
「あの」

私が恐る恐る口を開くと、二人が同時にこちらを向いた。
ちょっと怖い。
「今回のお祭りは、もういいです。だけど、これからはどうすればいい? ヨシュアさんと、安心して会える場所がなかったら、電話で話すくらいしか、できないですよね。そうならないためにも、これからどうするか、話し合いたい……です」

つっかえながら、なんとか言いたいことをまとめる。
「RGに行けないなら、ステッカーの貼ってある場所だと、強制的にRGにチューニングされちゃうから、そこもだめですか?」
「……そうだね。この間映画を見に行った場所は、ステッカーが貼っていないから、入れたんだ」

私たちのやり取りを眺めていたマスターが、少し気まずそうな顔で口を開いた。
「そんなに困っているなら、武士の情けで、ここを貸出してやるよ。……有料で」
「! あ、ありがとうございますっ」

ぐっと頭を下げる。
思わぬ助け舟を出してくれたマスターに、感謝してもしきれない。
とにかくこれで一番の障害だった、『安心していられる場所』の確保はできた。
あとは費用の問題だ。

「それと、お金のことが気になるなら、ふたり用の財布を作ったらいいんじゃないかな。お互いに同じ金額を財布に入れて、ふたりで出かける時の費用は、その財布から出して……。で、RGに移動して物を買うのは私、っていう感じにすれば、ヨシュアさんはRGに行かなくて済むし、ふたりで出かけるのに、問題はない、です、よね」
「ふたり用の財布か」

少し明るい表情で呟くマスターに対し、ヨシュアさんは悲しそうで何か言いたげな表情で、私を見つめる。
「確かにそれなら、ヨシュアの気にする問題もなくなるな。俺はいい案だと思うぞ」

明るいマスターの声が、静まり返った店内でむなしく響いて吸い込まれた。






結局、具体的な案は出ないまま、気まずい時間が続いてしまったので、お店を後にした。
キャットストリートを離れてから、どちらともなく手をつないだ。
「私、ずっとヨシュアさんにばっかり、負担をかけてたんだね。ごめんなさい。今日のことがなかったら、ずっと気付けなかった」
「ユウが悪いわけじゃないよ。それに謝られると、僕も肩身が狭くなるんだけどな」
「ああ、えっと、でも、今までいくつかおかしいなって気付けたことが、あったのに、全然わからなかったから」
「気取られないように振る舞ってきたんだから、当然だよ。そもそもちゃんと事情を話さなかった僕のほうが、よっぽどフェアじゃないでしょ」
「だ、だから、ヨシュアさんは重要な立場にいるんだから、当たり前じゃないですか!」

私が思いのほか大きな声を出してしまうと、ヨシュアさんは驚いたように目を見開いて、まじまじと私を見つめる。
「それより、前から気になっていたんだけど」
「な、なに?」

強い視線に、少したじろぐ。
「僕と一緒にいて、体調を崩したことはない? 頭が痛いとか、めまいがするとか」
「……ううん。むしろこっちに来てから、体が軽いし、風邪引いたこともないよ」
「本当? ユウが気付いていないだけなんじゃなくて?」

心配性なヨシュアさんに、思わず笑みをこぼっしてしまう。
「そんな、私が気付いていないんじゃ、わからないよ。もし何かあったら、すぐ伝えるから、大丈夫だよ」
「そう?」

しきりに首を傾げ、ヨシュアさんは不満そうに私を見つめている。
「ヨシュアさん、私ヨシュアさんが安心していられる場所がないか、探してみるよ。マスターはあの場所を貸してくれるって言ってたけど、それ以外にも落ち着ける場所があれば、ヨシュアさんも私もホッとできるでしょ」
「うん、そうだね。ありがとう」

私はただヨシュアさんと一緒にいられることで、有頂天になっていたけれど、きっとそれだけじゃだめなんだ。
コンポーザーという立場だからこそ、気を付けなくてはいけないことが、いくつもある。
ふたりで幸せになるには、ヨシュアさんと安心していられる場所を探そう。

そんなことを考えていると、ヨシュアさんがねえと呼びかけてきた。
「お祭り、行こうか」
「えっ、いいの?」
「うん。ふたりで出かける練習も兼ねて。さっきユウが言っていた共用の財布を作ってさ」
「……うんっ!」

うれしくて嬉しくて、力いっぱいうなずいて見せる。
ヨシュアさんと夜店を見て回りたい。
そして私のゆかた姿を見てほしい。

だけど──。
「でも、無理はしないでね。私、ヨシュアさんと一緒にいられるだけで、うれしいから」

今みたいにと心の中で付け加える。
もちろん、私だってわかっていた。
ヨシュアさんが自分のせいで、デートに行けないことを気にしていて、私に気を使っていることくらい。
「お祭りじゃなくたって、いくらでも行きたい場所はあるし」
「無理じゃないよ。たまにはいいかなと思っただけさ」

そう呟いて、ヨシュアさんは、握る手の力を込めた。