Sky After The Rain
-第5話 真実を宿した瞳-


『確実とは言えないけど、俺はそう思うヨ。アヤシイナ〜、そのオトコ……』

狩谷先輩の言葉が、頭の片隅に引っかかる。

あの男性は、いったい何なんだろう。
怪しいということは、UGに害があるということなのだろうか?

でも、初めて会った時も、映画館で一緒に映画を見た時も、とてもそうは見えなかった。
むしろ、何かに怒っているように見えた。
何か? 何かってなんだろう。
あれは誰か人に大してではなく、もっと大きな……。




ピッポー、ピッポー、ピッポー、ピッポー、ピッポー、ピッポー、ピッポー……。
 脳天気な音で我に返ると、壁にかかっている鳩時計のハトが、私の視線を避けるように時計の中に引っ込んでいった。

もう夜の7時になっている。
つけていたTVも、ニュース番組から賑やかなバラエティ番組に切り替わっていた。
司会のタレントが番組のタイトルを叫び、スタジオが沸く。

洗濯物をたたんだり、考え事をしていたら、いつの間にかこんな時間になってしまっていた。
空腹を意識すると、途端に腹の虫が騒ぎ始める。
「夕飯、買ってこなきゃ」

洗濯物をしまいTVの電源を落とすと、部屋は水を打ったように静まり返った。
 確か昼ごはんに残り物を使いきってしまっていたから、何か買いに行かないといけないはず。

大して期待せず、冷蔵庫を開ける。湿気った部屋に、冷たい空気が心地よい。
 上の段には調味料と、賞味期限の危なそうなチーズ。
冷蔵室は見事にカラ。
冷凍室には中途半端に口を開けた冷凍ピラフと、冷凍のラザニアにアイスクリーム。
「やっぱり買い物、行かなきゃダメか」

パタン、と冷蔵庫の扉を閉める。
この時間から買い物にいくのは、億劫で仕方がない。
でもここの住民は私1人。
だったら私で買い物に出かけなければならない。
1人暮らしは誰に邪魔されることなく生活ができるが、こういった面では不便だ。

死神だって食事は取る。
 元々人間なのだから、当たり前といえば当たり前だが、私は少々意外だった。

参加者だった時、私は死神を人間によく似た異形のモノだと思っていた。
 参加者を消して回る様子を見ていると、食事や睡眠、そういった人間に必要なものが、不要な存在なのだと思えてしまう。
 私自身が死神になるまで、死神たちも同じく元参加者たちであることに全く思い至らなかった。
 だからあの八代先輩や狩谷先輩にだって、『人間』としての過去があるのだろう。

あの人は、どうなのかな。
人間だった頃の過去はどんなだったのだろう。
それとも、今でも人間なのだろうか。
だったらどんな生活を、送っているんだろう。

自分で考えて、苦笑する。
 まだ2度しか会ったことがないのに、私の思考はいつも彼にたどり着いてしまう。
 これじゃあまるで……。

いや、“まるで”じゃない。
 正真正銘、彼が好きなんだ。
 たったの2回しか会っていないけれど、もしかしたら私のいる世界に害をなす人かもしれないけど。
それでも──。

この間、狩谷先輩が彼を怪しいと断言したとき、八代先輩も完全に彼を危険因子だと決めつけてしまった。
『いい!? もし例の男にまた会ったら、必ずあたしらに連絡入れなさいよ。これはあたしたちだけの問題じゃない。UGの危機でもあるんだから!』

八代先輩は険しい顔で私にそう言った。
普段なら暴走気味の八代先輩の止める狩谷先輩も、八代先輩を止めなかった。
彼は怪しい。だから危険かどうかを確認しなければならない。
もし危険な存在なら、排除する必要がある。
つまりはそういうこと。

私にだって、当然UGを守る義務がある。
 場合によっては彼を……。

でも彼は、本当に危険人物なんだろうか。
穏やかで大人の男性らしい仕草に思わずドキっとしたことも何度かあったけど、こどもみたいな無邪気さもあるあの人が、危険なんて私にはとても思えない。

できることなら、彼の本当のことを知りたい。
そして彼の味方になりたい。
まだひよっこの私では、八代先輩と狩谷先輩を止められる可能性が絶望的なのはわかっている。

事態は一触即発の危機に瀕している。
渋谷UGを守るためだけではない。
彼に狙われているかもしれない私のことを、心配してくれているのだ。

だからこそ、もし私や八代先輩が彼と鉢合わせしたら、まずいなんてものではない。
彼には会いたい。でも会いたくない。
今の私は、複雑な葛藤の中にあった。




頭上に浮かんでいた月が、薄い雲の中を見え隠れしている。
 もしかしたら雨が降るかもしれない。
 コンビニならビニール傘も売ってるし、いざという時は濡れずに帰れるだろう。
 そう思いながら、自動ドアをくぐる。

コンビニ独特のこもった匂いと、強烈な冷気に全身を包まれる。
 冷気が気持ちいい。
 屋外も決して暑くはないが、今の時期、特に今のように雨のふりそうな時は、湿気が辛い。
 そんな時に、とことん冷やされた空気を肌に感じるのは、爽快だ。

それにしてもコンビニや電車は、どうして冷房をガンガンにきかせるんだろう。
確かに涼しいのは心地いいが、それもほんの一瞬だ。
長居をすればすっかり体が冷えてしまう。
ノースリーブのシャツに短パン姿で立ち読みをしている男の子を見ていると、いかにも寒そうだ。

そんなことを考えながら、食品コーナーに向かう。
お弁当にしようか。そばもいいかもしれない。
「あ、あのっ……」

規則正しく並べられたお弁当を眺めていると、背後を誰かが通っていくのを感じた。
横目でちらっと振り返ると、私の意識はその背中にみるみる吸い込まれていく。

彼だった。
なんて偶然。
まさか彼がこんなところにいるなんて。
私の控えめな呼び掛けに、彼は答えてくれた。
「やあ、君かい。また会ったね」

落ち着いた声。柔和に細められた目。
間違いなく彼だ。
先程までの葛藤が、あっさり霧散してしまっていた。
「もしかして今日の夕ごはんはコンビニ弁当かい? やめた方がいいよ、体に悪いから」
「うっ、そうかも……。って、だったらなんであなたはコンビニにいるんですか!?」

ノースリーブの男の子がこちらをぎょっとした顔で見ている。
しまった、今のはそんなに大きな声だったかな。
「僕はただ暇つぶしも兼ねて、涼みにきただけだよ」
「ああ、そっか。今日は蒸し暑いですよね」
「うん。そろそろ梅雨が明けてほしいところだね」
「そうしたら今度は夏の猛暑が待ってますよ」
「猛暑が終わってしばらく経つと、冬の寒さが待っている。こう考えると、日本って不便だね。生きている僕らは1年中気候に振り回されるわけだから。日本の四季は美しいと思うけど」
「私も日本の季節は好きです。でもこの時期だけは苦手です」
「雨が止まないし、髪や荷物が濡れるし、洗濯物は乾かないし?」
「例え傘があっても足元は濡れるし」

最初に会った時の私が言ったことを、2人で繰り返す。
まるで2人だけの秘密を共有しているみたいで、クスリと笑いあう。
「足元は濡れちゃうかもしれないけど、お弁当のついでに傘は買った方がいいんじゃないかな」

するりと1本のビニール傘を抜き取って、私に差し出す。
「どうしてですか?」
「外を見てごらん。もうすぐ雨が降り出すよ」

男性が店の外を振り返ったので、私もそれに倣う。
雨はかろうじて降っていなかったが、分厚い雲の上で雷が唸っているらしく、時折フラッシュで照らされたように周囲が明るくなる。
「あの、あなたは傘買わないんですか?」
「え?」

彼が私をきょとんした目で見つめ返す。
「『え』って?」

数瞬考えて、はたと気付いた。
「まさか私の傘に入るつもりですか?」
「ダメなの?」
「いや、ダメとかそうじゃなくて……」

もごもごと口ごもってしまう。
相合傘を男女でするとなると、必然的に密着するし、それになにより何だか漫画のようで恥ずかしい。
「傘なら自分で買えばいいじゃないですか。この季節なら当分使えるし」
「僕はいいよ。使い捨ての傘なんて地球に優しくないし、あんまりおしゃれじゃないし」
「その地球に優しくない行為を、私にだけさせるつもりですね。もう……。あ、でも、最近の使い捨ての傘だと、ちょっとお金出せばおしゃれなのもあるんですよ」

緑のチェックが入った傘を抜き取って見せる。
他の傘の下に敷かれていたようで、彼のようにスマートとは言い難い動作になってしまったけれど。
彼に向き直ろうとした時、何故かまたさっきの男の子と目が合った。
それもそそくさと背を向けられてしまった。そんなに私はうるさくしているのだろうか。
「傘はまた今度にして、君は早くお弁当を選んだら? 本当に雨が降るよ」

彼に促されるまま、傘を片手にお弁当選びに戻る。
私がお弁当に手を伸ばすたび、あれはおいしくないだの、そっちはおいしいけどカロリーが……と茶々を入れられるはめになった。




「あざぁっしたー」

ダルそうな店員に見送られて、私たちは表へ出た。
「よかった。雨はなんとか持ちそうだね」
「はい」

答えたとき、携帯電話の着信音が響いた。
私の携帯だ。
電話の相手は、八代先輩だった。
「ごめんなさい。電話が……」
「どうぞ」

ケイタイの電源を切り忘れていた自分を叱咤しつつ、電話に出る。
「はい、もしもし、 佐倉です」
『ユウ!? あんた今、例の男と一緒にいるでしょ?』
「え? なんでそんなこと」
『狩谷がきっとあんたの前にまた現れるからって、最近あんたの周りを見てたのよ。そしたらビンゴじゃな〜い。あたしたちがいて、ラッキーだったわね』

八代先輩の声は、にんまり笑う顔が想像出来るほど、語尾が跳ね上がっていた。
「それって……」

ここ数日、私は先輩たちに監視されていたのか。
『ああ、あんたを見張ってたのは後で謝るわよ。今はとにかくそのオトコを確保するのが先! あんたたちが歩いてる道の、次の十字路を左に曲がりなさい。行き止まりになってるから、そこでオトコを取っ捕まえるわよ!』
「先輩、でももし間違いだったら……」
『何煮え切らないこと言ってんのよ! あたしたちは死神なのよ? UGを守る義務があるの。今迷ってる場合じゃないわ。わかったらカクゴ決めて、こっち来なさいよ。狩谷もいるし』

啖呵を切ると、八代先輩は一方的に電話を切ってしまった。
どうしよう。
私のせいで、彼を危険にさらしてしまう。
「どうかしたかい?」
「いえ、なんでもないんです」
「そう?」

彼の笑顔が痛い。
どうしよう。十字路はもうすぐなのに……。
「ねえ、本当に大丈夫? 顔色悪いよ」
「…………」
「よかったら喫茶店でちょっと休まない? 今来た道を少し戻らなきゃいけないけど、静かな店だから、少しは──」
「逃げてください」
「ん?」

彼の言葉を遮って、私はぴしゃりと言った。
言葉の真意を飲み込めず、彼が首を傾げる。
「お願いです。十字路につく前に、別の方向へ、逃げてください」

あの十字路で、先輩たちが待ち構えている。
だったら、鉢合わせになる前に、彼を逃がさなきゃ。
「でも」
「早く!」

私の切羽詰った様子に、男性は不思議そうに私を凝視していたが、すぐに事情を察し、静かに頷いてくれた。
「……分かった。それで君は大丈夫かい?」
「大丈夫です。だから……」

私が祈るように言うと、彼は足早に来た道を戻っていく。
彼の足音が私から離れていく。
様子を伺っていた先輩たちが、角から飛び出してきた。

これでいい。
彼にはもう2度と会えないかもしれないけど、これで、いいんだ。