Sky After The Rain
-第3話 再会はスコールの中で-

雨粒が窓をなぞり、少し開けた窓から、湿った風が入り込んでくる。
今日は私にとって、初めての休暇だ。
研修を終えて、私は無事に死神の一員として認められ、期待に応えるべく頑張ろうとはりきったけど、死神のゲームは当分先。
今のうちに体を休め、体調を万全にしておくようにと、幹部の虚西様にありがたいアドバイスを頂いたけれど、しとしと降り続ける雨と生ぬるい空気で、少し憂鬱になってしまう。

せっかくの休みを家でくさくさしていたらもったいない。
止みそうにない雨にひるんだけれど、思い立ったが吉日。
私は早速でかける準備を始めた。
出かける準備はいいけれど、どこへ行こう。
テーブルの上に置いた携帯電話を取ろうとしたとき、近くに置かれた朝刊が目に入った。
「そういえば、昨日から色々映画が始まってるんだっけ」
新聞のテレビ欄に、映画の広告が載っている。
魔法使いが出てくる人気のファンタジーシリーズと、洋館でゾンビと戦うホラー映画の2本が、特に人気らしい。
それ以外にも犬の一生を追ったドキュメンタリー映画に、音楽家の挫折と栄光を描いたフランス映画、雨宿りで偶然出会った2人のラブ・ロマンスもある。
「雨宿りから始まる恋か……」

私はキャッチコピーを口ずさんだ。
雨宿りから始まる恋。
何故かこの言葉が、妙に私の頭を駆け巡る。

はたと我に返って、ぶんぶんと首を振る。
違う、あれは好きとかそういうのじゃない。
私はあの男性の正体を知りたいだけであって、そういう意味で興味を持ったわけじゃない。
とりあえず行くだけ行って、何の映画を見るかはあとで決めよう。
私はかばんを掴んで、玄関に向かった。




結局悩みに悩んで決めた行く先は、宮下公園すぐ近くのランドマークだ。
映画館だけでなく、たくさんのお店が入っているので、いい暇つぶしになるだろう。
そして何より宮下公園のそばということは、キャットストリートにも近い。
ここならもしかしたら、あの男性に会えるかもしれない。そんな淡い期待をこめて、私はここを選んだ。

さすがにあの人が「渋谷にはよく来る」と言っていたけれど、だからって渋谷にいればまた会えるなんて考えは、単純な考え方だ。
淡くても期待する方がどうかしている。 私もそれは自覚している。
自覚しているけれど、正体不明な人物を野放しにしていたら、UGに危害を加える可能性もある。
だからこそ、新米とはいえ死神の一員として、あの男性を探さなければ。

ところで、映画館はどのフロアにあるのだろう。
自分の目的地がわからなくては元も子もない。
吹き抜けになっているエントランスで、案内図に目を通したところ、映画館は7階と8階にあるらしい。
「へえ、ここスポーツジムまであるんだ」
お店以外にも色々な施設があることに私は感心した。

さて入ろうと思ったとき、雨音が響いた。雨が降り出してきてしまったらしい。
それも降りだしこそ大したことはなかったけど、一気に強くなる。
いきなりどしゃ降りだ。

念のために折り畳み傘を持ってきておいて良かった。
そう思って外を走っている人を見ていると、見覚えのある人影が目に入った。
大粒の雨に打たれながら、走りもせず悠然と歩いてくるあのスーツ姿の人は……。
私がその人を見つめていると、こちらに気付いたらしい。男性は軽く手を上げた。
「やあ、この間一緒に雨宿りした子だね」

私は心の中で思いっきりのけぞった。
こんなところでいきなりチャンスが訪れるなんて!
男性はしっとり濡れてしまった髪を払いながら、私の隣りにやってきた。
その隙に私はさりげなく自分の背中を撫でた。
背中に羽はない。これなら男性に見られてもおかしくない。
「こ、こんにちわ」
「こんにちは。今日はどうしたの?」
「ここに入ってる映画館で映画を見ようと思って」
「そういえば今日はたくさん映画やってるみたいだね」
「そうなんです。まだ何を見ようかまだ迷ってて。……あの、あなたは何を?」
「僕はね、この間雨宿りしたカフェに行くつもりだったんだけどまた開いてなくて、帰ろうとしたら雨に降られたってワケさ」

そう言いながら、男性は体についた雨粒を払い始めた。
「それは災難でしたね。あのカフェにはよく行くんですか?」
「うん。僕の知り合いが経営している店だからよく行くんだけど、そのマスターっていうのがすごく気まぐれな人で、開いているときの方がまれなんだ」

言う間にも雨粒を払っているが、手だけではとても払いきれそうにない。
「よければ使ってください」
前回同様水も滴るイイ男になっている男性に、見かねた私はハンカチを渡した。
「今日はらぱんちゃんじゃないんだ。残念」

受け取ったハンカチを広げて、男性は片眉を下げた。
 らぱんちゃんで散々からからかわれたから、今日は派手な柄やキャラクター物は避けてきたのが幸いだった。
 まさか本当にこの男性は、ゴスロリ系の服を日頃から愛用しているのか。
 疑惑の視線に気付いた男性は、私と目が合うとフフッと意味深に笑った。

やっぱり怪しい、怪しすぎる。色んな意味で。
死神を見られることといい、本当にこの人は謎だらけだ。
それにしてもこの男性には、ハンカチを持ち歩く習慣はないのか。
「それにしても、ひどい雨ですね」
「うん。でも、この降り方ならじきに止むと思うな。帰りに傘を買う必要はなさそうだね」

ハンカチで拭こうとしている男性の髪を、突風があおった。
すさまじい勢いでやってきた風は、そのまま入り口の扉にぶつかってすごい音を立てた。
「まるでスコールみたいだよね」

それを横目に見ていた男性は、ダークグレーの空を見上げた。
「スコール?」
「熱帯の地域で起こる突風のことだよ。大雨と一緒に吹くことが多いみたいだけどね。こんな風に」

男性はあごをしゃくった。
ちょうどまた強い風が、街路樹を揺らしているところだった。
「元々今の季節は高温多湿だけど、こんなに蒸し暑いと熱帯雨林にでもいるみたいだ。本当、今の気候ってどうかしてるよ」

男性は吹きつけてくる風と雨に目を細めて、妙に深いため息をついた。
私には男性の言葉に、梅雨のしけった空気ではなく、何か別のものに対する不満が隠されているような気がした。
「あの、とりあえず中に入りませんか? ここも一応屋根の下だけど、ちょっと雨が入ってきちゃうから」
「そうだね。はい、ハンカチありがとう」

少し険しかった表情をゆるめて、男性は微笑んだ。
「どういたしまして」
すっかり濡れてしまったハンカチをかばんに戻して、私達はランドマークに入った。

男性からどこに行こうとか特に申し出がなかったので、何となく映画館のあるフロアに向かうことになった。
エレベーターホールがかなり混み合っていたので、エスカレーターを使う。
映画館に向かう私が、男性を先導する形で歩いている。
「今日はこれからどうするんですか?」
エスカレーターに乗りながら、後ろを振り向いて男性に聞いた。
「うーん。今日は予定がないから、雨が止むのを待つつもりだよ。コーヒーでも飲みたいな」
「あ、だったら映画館と同じフロアにありますよ、コーヒーが飲めるところ。一緒に行きませんか?」
「いいね。そこのコーヒー、おいしいのかい?」
「さあ。私も初めて来たから……」
「そう」

エスカレーターが次の階に近付くと、私は前に向き直った。
 さらに上の階に続くエスカレーターに乗ると、男性は声をかけてきた。
「ところで見る映画は決めたのかい?」
「あ、そういえばまだです」

内心例のラブ・ロマンス映画を見るのはすでに決まっていたけれど、素直に答えられない自分が悲しい。
女1人でせっかくの休日にラブ・ロマンスの映画を見に行くなんて、男性に話す気にはなんとなくなれなかった。
「そうなの? こういう日って映画は混みやすいから、早く決めちゃったほうがいいよ」
「あ、はい。あの、もし自分が見るとしたら何の映画を選びますか?」
「僕だったら、そうだなあ。魔法使いが出てくるファンタジー映画かな。新作が出るの、待ってたんだ」
「へえ! あのシリーズ好きなんですか。ちょっと意外です。フランス映画とかが好きなのかなって思ってました」
「フランス映画でも面白い作品はあるけど、今やってるのは結構固い雰囲気の映画みたいだからね。暇つぶしのために見るのに、眉間にしわ寄せっぱなしじゃ気が休まらないでしょう?」
「確かに。魔法使いが出てくる映画だったら、頭空っぽにして見られそう。魔法使いの映画、原作の本は読みました?」
「もちろん。全巻持ってるよ。君は?」
「はい、私も読みました。ただ、読んだのが結構前だから、映画見る前にもう1度読んで復習しないと。ちょっと忘れちゃってるところがあるから」
「映画化されるのは、本が出版されて何年かたってからだし、どうしても忘れちゃうね」
「そうなんですよ。今回の映画って、結構クライマックスに突入してるから、絶対もう1度読み直そうって思ってるんだけど、なかなか時間が無くて」
「そういえば今回、味方のキャラクターが敵方に寝返っちゃうんだっけ」
「いやー! ネタバレはやめてください。……もうあれを原作で読んだときは、本当にショックでショックでしばらく立ち直れなかったくらいなんですから」
「じゃあそのショックを、映画でもう1度経験できるんだ。よかったね」
「他人事だからって笑わないでくださいよ」
「フフ、ごめんごめん。あ、ついたよ」
男性の言葉に顔を上げると、もう映画館の看板が見えていた。




ちょうど何本かの映画は、上映開始時間が近かったけれど、ほとんど満員になっていた。
仕方なく先に映画の券を買ってから、ロビーのカフェで時間をつぶすことにした。

そこで男性から思わぬ申し出があった。
この間男性に貸したらぱんちゃんのハンカチのお礼に、映画券をおごってくれると言うのだ。
さすがに私も狼狽して、慌てて断ろうとする。
「そんな、悪いですよ。たかがハンカチで」
「いいから。僕もちょうど映画見たかったし、ついで」

あまりにも熱心に、にこやかに押し付けがましくなくそう言ってくれる男性に、私は折れた。
「……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「その代わり、何の映画を見るかは僕に任せてくれないかい?」
「あ、はい。もちろん」
「じゃ、映画の券、買ってくるね」

男性が映画の券を買うための列に並んでから、5分程経ってから戻ってきた。
「おまたせ。それじゃ、コーヒーを飲みに行こうか」
「はい。あの、券は何を買ったんですか?」
「フフフ、ヒ・ミ・ツ。楽しみは後に取っておく方が、わくわくするでしょ?」

結局男性は何の券を買ってくれたかは教えてくれず、スタスタとカフェに向かってしまった。
腑に落ちないが、私もそれに続く。

テーブル席は満員だったので、カウンター席に通された。
男性と一緒に並んで座ってオーダーを待っていると、数分と経たないうちうにコーヒーが届いた。
温かいコーヒーに、体が温まる。
「コーヒー、ホットにしてよかったね。雨に打たれるし、冷房は寒いし、結構体が冷えちゃった」
「本当。外はあんなにむしむししてたのが、ウソみたいですね」

 最初は難しい顔をして雨をにらんでいるように見えた男性は、すっかり和らいだ表情になっている。
もしかしたら、私の思い過ごしだったのかもしれない。
男性の機嫌も直ったところで、私はそわそわし始めていた。
いつ、男性にUGのことを聞き出そう。
正面から「あなた死神ですか?」と聞いたところで、とても正直に話してくれそうには見えない。
万が一何も知らないRGの人だったら、私が変な人だと思われることは確実だ。

そんなこと言っても、なかなか難しいですよ。先輩。

私が脳内でうんうんうなっているとは露知らず、男性は魔法使いの映画の話をしてくれた。
 それもどのキャラクターが好きだとか、どのシーンが印象的かなんて話じゃなくて、魔法の呪文の由来だとか、映画のロケ地の歴史なんかを語っている。

そして男性の話し方は理路整然としていて分かりやすく、さらにとても楽しそうに映画のことを話すのだ。
歴史という言葉を聞いただけで眠くなってしまう私でも、つられて夢中で聞き入ってしまうほどだ。
男性も熱中して話してくれている。

面白い。
話よりも楽しそうに映画の世界を解説してくれる男性を見ていて、私は思った。

この人のことが、もっと知りたい。
私は男性のことをもっと聞きたくなった。

話が一段楽したとき、どちらともなくコーヒーに手を伸ばした。
「なんだか僕のほうが一方的に話し込んじゃったね」
「いえ、そんなことないです! お話とても面白かったです。映画が楽しみになってきました」

これはお世辞でもなんでもなく、私の本心だ。
「そう? なら、よかった」

カップを傾けてコーヒーを飲む男性の動作を、私はじっと見つめた。
コーヒを飲み終わったら、男性にUGのことを聞こう。
 私は決心した。

じゃあUGのことをどうやって聞こう。
 そんなことは当たって砕けろだ。
「あの」
「何だい?」
「えっと、『死神のゲーム』って知ってますか?」
死神のゲームのところで思い切り声が裏返りそうになった。危ない。
「死神のゲーム?」

男性は私の言葉を繰り返し、眉を寄せた。
これはもしや脈アリか。
 激しくなる鼓動を悟られないよう、なるべく表情を変えないように気をつけて続ける。
「渋谷で行なわれているゲームなんだそうです。この間渋谷によく来るって言ってたから、何か知ってるかなーと思って」
「ふーん、死神とは物騒だね。サバイバルゲームか何かの一種かな?」
「さ、サバイバルゲーム?」

聞き慣れない言葉に私は首を傾げた。
「知らない? サバイバルゲームって言うのは日本から生まれたゲームで、簡単に言うと────」

熱心に話す男性を前にして、「そうじゃなくて」と話の腰を折れる人がいるだろうか。
少なくとも、私にはできません。
こうして今度はサバゲーなるものの知識を、私はたくわえることになってしまった。
明日使えるムダ知識より、目の前の男性の情報を聞きたかったのに。

結局『死神のゲーム』についてはうやむやのまま、話をサバゲーに持っていかれてしまった。
カップに少し残ったコーヒーを飲み干すと、男性は立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
「はい」
「そうそう、先に券を渡しておかないとね。はい、これが君の分」

この時点で私は魔法使いの映画を見ることになるだろうな、となんとなく思った。
さっきあれだけ熱心に話していたし、今見るなら魔法使いの映画がいいと言っていたのだから、男性はきっと魔法使いの映画を選んだだろう。
ラブ・ロマンスはまた今度でいい。
「ありがとうございます!?」

男性の手の中にあるチケットを見て、私の語尾が思いっきりハネ上がる。
チケットに書かれていた映画のタイトルは、魔法使いの映画ではなかった。
ましてやラブ・ロマンスでもない。

ゾンビと戦うホラー映画のタイトルだった。

何故。
一体どうして、よりによってこの人はホラー映画を選んだんだ。
カフェで話しているとき、ホラー映画のホの字も出なかったのに。
私はホラー映画の類は、全般的に苦手だ。
絶対見たくないと思っていた映画の券を前に、私は呆然とした。
「魔法使いの映画もいいけど、やっぱりホラー物もいいかなと思ってね。さっき死神がどうとか言ってたから、こういうのが好みみたいだし、よかったよ」

男性はにこにこ笑っている。
満面の笑みで映画に誘ってくれる男性を前にして、「ホラー映画、ダメなんですよ」と断れる人がいるだろうか。
少なくとも、私にはできません。
「はい。実は私、ホラー映画も好きなんです」

このときの私の気持ちを、理解してもらえるでしょうか。
 行きたくない、絶対見たくないと思っている物を、好きだなんて答えなきゃいけない気持ちを。
 表面上は笑っているが、もはや涙目である。

「じゃあ行こうか」
「……はい」

男性に促され、私は観念してホラー映画を見るべく1歩を踏み出した。