Sky After The Rain
-第2話 日常と非日常の狭間-

どうしてあの男性に、私が見えていたんだろう。
あの時の私は、まだ死神のままだった。

私達死神は、RGとUGを自由に行き来することができる。
男性と会ったあの日、私は『死神として』UGにいた。
普通の人間であればUGでの出来事やUGにいる人を、見ることも感じることもできない。
たとえどんなに近くにいたとしても。

つまり、あの時の私は幽霊のような状態だった。
普通の人に幽霊を見ることはできない。
それならどうしてあの男性には、私を見ることができたんだろう。
一時感じたときめきは、謎を前にしてすっかり消え去っていた。




「UGにいたのに、自分の姿を見られた?」
私の前でアイスティーをすすっているのは、研修でお世話になっている八代先輩だ。
今私達がいるのは、センター街の入り口にあるフルーツパーラーだ。
八代先輩お気に入りの店らしいけれど、お値段がやや高めに設定されているので、私1人ではしばらく入店できそうにない。

今日はここで昨日の反省会をかねてのお茶会をしている……というよりも、昨日出会った男性のことで、私が先輩方に泣きついたからお茶会をしているわけで。
「それってどういう意味よ」
「どういう意味って聞かれても……」

わからないから先輩に聞いているんだけど、八代先輩は私の顔を、きょとんとした顔で見つめている。
これではにっちもさっちもいかないなと思っていると、八代先輩の横から飴玉がにょきっと出てきた。
「ソレがわからないから聞いてるんデショ。というワケで、頼れるセンパイの俺達2人が、佐倉ちゃんの疑問に答えてあげまショウ」

八代先輩の隣りで飴玉をにぎっているのは、狩谷先輩だ。
2人はとても優秀な死神で、幹部になる日も近いと言われる大先輩だ。
ちなみに例のラパンの限定物ハンカチを私に贈ってくれたのは、八代先輩。
私は2人を、死神の中でも特に尊敬している。

その大先輩である狩谷先輩は、ンーとうなっている。真剣に考えてくれているらしい。
なんて頼もしいんだろう。
「ウワサの彼、実は俺達の同業者だったってことはナイカ?」
「死神だったかもしれないってことですか? ……死神ではないと思います。あの人の背中には、羽が生えてなかったし」

私は男性の姿を思い浮かべながら答えた。
一緒にいたのは1時間あったかどうかだから、男性のことを詳しく覚えていない。
それでも死神の羽があったら、必ず目に付いたはずだ。
「死神はRGにいても、UGを見ることはできるんダヨ」
「えっ、そうなんですか!?」
「そうよ。だから羽がないからってイコールUGの人間じゃないっていうのは、ちょっと早とちりね」
「死神ではなかったとしたら、卯月センパイの見解はイカガデスカー?」

話題を振られた八代先輩は、『センパイ』と呼ばれたことで少し気をよくしたらしく、ちょっと嬉しそうになりつつ、やっぱり真剣に答えてくれる。
「あたしは、そうねえ……。そいつはRGの人間なんじゃないかと思うわ!」
「でも、RGの人に私達は見えないんじゃ……」
「ストップ! まあちょっと落ち着いて聞きなさいよ」

首を傾げる私に、八代先輩は手を突き出す。
「そこが素人の考え方よねー。RGの人間でもごくたまにUGを見ることができるヤツがいるって、聞いたことがあるわ」
「そんな人がいるんですか?」
「いるらしいわよー。霊感体質って言うの? そういう『見えないもの』を視ることができる人間だったっていうのが、あたしの推理よ」
「そんな人がいるなんて、知りませんでした。確かにそれならつじつまが合いますね!」
「でっしょう?」

私のつたない説明だけで、ここまで完璧な推理をはじき出せるなんて、さすが八代先輩!
 満足そうに親指を突きたてる八代先輩の横で、狩谷先輩が前に乗り出した。
「それか俺達の同業者で、死神ではない立場の者、かもナ」

言い終わると、すっと目を細めて手に持っていた飴玉を、口に入れた。
「何それ。どういう意味よ」

八代先輩が怪訝な顔で、狩谷先輩に詰め寄る。
「俺達の同業者は、何も死神だけってワケじゃナイ。死神よりさらに上の地位があるらしいンダ。 佐倉ちゃんは聞いてるカ?」
「え、いいえ、私は知らないです」
「ありゃ、ソウカー。まず俺らの上司のコンポーザー。ほんとのところは、コンポーザーが一番上の立場なんだけど、どうもさらにその上の人間がいるって噂があるンサ。つまりその男はコンポーザー以上の隠れた重役なんじゃないかっていうのが、俺の考えダヨ」
「謎の重役ねー。あたし死神になって2年経つけど、そんなヤツ見たこともないわよ。本当にいるワケェ? ちょっとうさんくさいわね」
「いるんじゃネーノ? ただ俺たち下っ端は会えないダケデ」
「あ、羽がないんだったら、その人死神の幹部なんじゃない? 幹部になると羽を出さなくてもUGにいられるって聞いたことがある!」
「アー、そういやそうだったナ。死神の幹部はサイキックを使うとき以外は、羽を出さなくてもいいんダッケ」
「うちのエリアにいる幹部って言ったら、虚西さんとオブジェの人と北虹さんかー」
「ウワサによると東沢ってヤツも、近々幹部候補入りするらしいヨ」
「えー、マジで!? 先越されちゃったなあ……」

八代先輩が悔しそうに歯噛みした。出世欲旺盛な八代先輩は、ずっと組織の幹部になることを、夢見ている。
 そういえば、狩谷先輩はどうなんだろう。狩谷先輩だって、死神の中でも相当強いはずだ。
「マアマア、そんなことより幹部の中にその男がいるかどうか、考えマショ。 佐倉ちゃん、その男ってどんな外見だっタ?」

急に話を振られた私は、男性の姿を思い返す。

……あれ?
なぜだろう。
ついさっきまでは彼の表情や一挙一動を鮮明に思い出せていた気がするのに、いざ彼の顔を思い出そうすると、まるで煙の中に逃げるように不鮮明なものになってしまう。
あの落ち着いた声と湿った髪、弧を描いた綺麗な唇だけは、鮮やかに思い出せるのに。

と、八代先輩のとがった声が、私を現実に引き戻す。
「ちょっと、何ぼやっとしてるのよ」
「あっ、す、すみません! えーと、背はわりと高くて、ウェーブのかかった髪だったと思います」
「ウェーブねえ。だったらオブジェの人じゃないわね」
「卯月、上司なんだから名前で呼びなサイ。南師さんデショ」
「本人の前ではちゃんと呼ぶんだから、いいじゃない。オブジェの人の方がわかりやすいわよ。幹部候補の東沢さんは置いておいて、ウェーブって言ったら北虹さんか」
「ボスはいつもグラサンをかけてて、ロンゲだったナ。どう?  佐倉ちゃん」
「その人の髪は肩につくぐらいで、ロンゲっていうほどではなかったです。それにグラサンもかけていなかったし」
「幹部の線はなしカ。じゃあやっぱり謎の重役か、卯月の言うようにRGの霊感人間かもナ」
「そうねー。それぐらいしか考え付かないわ。女の人だったら、虚西さんって可能性もあるんだけどねー。あー、虚西さん、本当に素敵な人よね」

八代先輩はアイスティーをすすりながら、虚西さんをうっとり顔で思い浮かべている。

虚西充妃。
死神の幹部で唯一の、女性死神だ。私も死神になったとき、1度だけ会ったことがある。
冷静でメガネの似合う、とても綺麗な人だった。そんな虚西さんを、八代先輩は憧れているらしい。
「まあ、どうしてもその人が気になるんだったら、直接聞くのもアリよね。今度会ったときにでも聞いてみたら? 『あなた死神ですか?』とか何とか」

他人事のように言う八代先輩に、私は「さすがにもう会えないと思いますけど」と笑った。

あくまであの男性と私が出会えたのは、偶然だった。
 1日に何万人もの人が行き来する渋谷で、名前さえ知らない男性と再会できるなんて、私は思ってもみなかった。