Sky After The Rain
-第1話 恋はとつぜん-

雨が降り出したのは、今日のミッションが終わった直後からだった。
死神になったばかりの私は、先輩死神のアシスタントとして死神のゲームに参加して早2日、色々失敗してもいるけれど何とか奮闘している。

しかも今日の仕事が終わった後に、この雨だ。
先輩は仕事の後に予定が控えていたらしく、お疲れさまを言い合った後、すぐにどこかへ行ってしまった。
そして一人取り残された私は、雨宿りできる場所を探して、1人渋谷を走っていた。

そろそろどこかで雨宿りしないと。
焦る私をよそに雨脚はどんどん強くなっていく。

きょろきょろ周囲を見回していると、メインストリートから少し外れたところにカフェが目に入り、迷わず飛び込んだ。
ガラスの扉に手をかけるが、扉は開く気配がない。
ドアノブにかかっている看板には『CLOSED』の文字が書かれている。
どうやら今日は開いていないようだ。
扉越しに店内の様子を伺うと、照明が落とされており、あいにくの天気で店の中は真っ暗だった。
がっかりしてノブから手を離す。
だけど入り口の扉の上には、テントが張ってある。これなら多少の雨はしのげそうだ。


「開いていないのかい?」

突然背後から声をかけられた。
驚いて声のした方を振り向くと、男性が入ってくるところだった。
長身の若い男性だった。
ウェーブのかかった髪から、水滴がポタポタと垂れている。
どうやらこの人も雨宿りに来たらしい。
私は男性の言葉にうなずいて、スペースを空けるために一歩引いた。
「どうぞ」
「ありがとう」

男性は軽く礼を言って、私の隣に入ってきた。
肩にかかったしずくを払い、男性は扉を何度かノックする。
明かりの落とされた店内からは、人のいる気配は感じられなかった。
男性はため息をついて、ズボンのポケットを探り始めた。
右のポケットからオレンジ色の携帯電話を取り出し、ボタンをプッシュしてから耳に押し当てる。

電話がつながるのを待つ間も、男性の左手はポケットの中の物を探っている。
しばらく電話が繋がるのを待っていたようだが、結局相手は出なかったようだ。
男性はまたため息をつきながら、携帯電話をポケットにしまった。

探し物はなかなか見つからないらしい。
落ちてくる前髪を払いながら、男性は探し物を続けている。
男性の探している物がなんとなく検討のついた私は、ハンドバッグの中からそれを取り出した。

「あの、もしよかったらどうぞ」

おずおずとハンカチを差し出す。
髪が湿るほど雨に降られてしまった人がほしいものと言えば、ハンカチやタオルの類だろう。
男性はハンカチと私を交互に見てから、フッと目元を和ませた。
「ありがとう。お借りするよ」
 私からハンカチを受け取った男性は、濡れた髪や顔、肩を拭う。
 ハンカチが水分を吸って、淡いピンクが濃く染まっていく様子をじっと眺めていた。

男性にハンカチを受け取ってから、私達はしばらく口を開かなかった。
 水しぶきを上げながら大通りを走り去る車や、どんより曇った空を眺めていた。

「雨、やみそうにないね」

男性がポツリとつぶやいた。視線は分厚い雲の切れ間に投げられていたが、私に話しかけているらしい。
「そうですね、困りましたね」
私が答えると、男性は振り向いた。
「困る?」
「困りませんか? こうしている間にも時間は過ぎていくし、髪や荷物が濡れるし、洗濯物は乾かないし、例え傘があっても足元は濡れるし」
私の言葉に、男性はくすっと笑った。
「随分所帯じみた心配をするんだね。僕はちょうど仕事が一段楽したところだから、特に困らないかな。急ぎの用もないし。たまにはこういうトラブルにあうのもいい経験さ」

男性は随分悠長に構えている。
慣れない場所に一人でいるせいか、今の私にはそんな余裕を持てそうもない。
すると男性はまた口を開いた。
「君は学校の帰りかな?」
「な……、違います! 仕事帰りです」

男性の言葉に唖然となって、思わず大声を出してしまった。
確かに今の時間は学生の下校時間とかぶるけれど、まさか私が学生と間違われるなんて……。死神なのに。
着ている服も学生服じゃないのに。
「失礼。さっき借りたハンカチが可愛かったから、てっきり学生さんかと思った」

可愛いハンカチ?
我に返って、ハンドバッグからハンカチを取り出して、広げた。
そこにいたのは、ピンクのうさぎだった。
「ち、違います。これ、職場の先輩に頂いたもので、私が買ったわけじゃ! それにこれ、子供向けのキャラクターじゃありません!」

きゃーきゃー喚く私に、男性は涼しい顔で答えた。
「知ってるよ。ラパン・アンジェリークのらぱんちゃんだよね」

私は予想外の返答にフリーズした。
ハンカチにプリントされているキャラクターは、ラパン・アンジェリークのらぱんちゃんで間違いない。
ではどうして私が驚いたのかと言えば、この20代半ばに見える男性が、ゴスロリ系ブランドのラパン・アンジェリークの名前だけでなく、マスコットの名前まで知っていたからだ。
「ああ、誤解されないために言っておくけど、僕にそっちの趣味はないからね。ただ知識として知っているだけだよ」

さりげなくフォローを入れてくるところが、なおさら怪しい。
背は高いものの、中性的な顔立ちのこの男性なら、その……ロリータ系の服を着ても、ものすごくおかしいというわけではないかもしれない。
「ラパンは君の趣味じゃないかもしれないけど、その先輩はなかなかいい趣味をしているね。そのハンカチはちょっと前に限定発売されたもので、今だとなかなか手に入らない代物なんだよ」
「え、そうなんですか?」
私はまじまじと手の中のハンカチを見つめた。
「いらないんだったら僕に譲ってくれない?」

男性が手を伸ばしてきた。
「だ、駄目ですよ。他人様からいただいたものなんですから」
慌ててハンカチを奪われないように隠すと、男性はクスクスと笑い出した。
「フフフ、冗談だよ。僕が初対面の女性の物をとるわけないじゃない」
どうやら冗談だったようだ。


「ところで君はどんな仕事をしているの?」
男性が首をかしげ、私は固まった。
馬鹿正直に「死神やってます」とは、さすがに言えない。
しかも仕事をしているかさえ怪しいらしい私の外見では、うかつなことを言えば余計不審がられてしまいそうだ。
「えっと……今は研修中なので、具体的なお仕事はまだなんです」
「そう。早く正式な仕事ができるといいね」

苦し紛れな答えだったが、男性は私ににっこりと笑いかけてきた。
「はい、ありがとうございます」
男性の笑顔に、私も自然と顔がほころんだ。




「そろそろ雨もやんできたみたいだし、僕は行くよ」
男性が手をかざして、空を見上げていた。つられて私も空を見る。
ダークグレーの雲間から、光が一筋差し込んでいる。雨はいつの間にかやんで、けだるい梅雨の空気が少しずつ晴れていた。
「それじゃ。ハンカチありがとう」

男性は片手を上げて、今まさに通りに出ようとしていた。
「あ、あのっ」
「ん? 何だい」

何となく男性を引き止めてしまったが、後が続かずしどろもどろと続ける。
「あの、この辺りにはよくいらっしゃるんですか?」
「キャットストリートに知り合いがいるから、よく来るよ。渋谷によくいるから、運がよければまた会えるかもね」

じゃあ、と軽く手を振って、男性はスマートに去っていった。
私も手を振りかえして、しばらくカフェの前にたたずんでいたが、ふと思った。
「どうして私、あの人によくここに来るのかなんて、聞いたんだろう」

私はカフェのガラス扉に自身を映し、身支度を整えようとした。
ガラスに映った自分の姿を見て、息を呑んだ。
映っていなかったのだ。私の姿がガラス扉に。
 背中に手を当てて確認してみると、死神の証である、黒い羽が生えていた。