告解

第二話

 面と向かって「あなたのことが知りたい」というのは、さすがに気恥ずかしい。
 私の元に来てくれた刀剣男士達に報いるために、少しでも変わっていこうと決心したあの日。
 私は刀剣男士の中でも少し打ち解けた雰囲気の人達に、もごもごと話しかけるようになった。最初は彼らに不思議そうに見られるのが、恥ずかしくて仕方なかった。
 当然だ。今まで執務室に引きこもり、彼らと交流を深めようとしなかった私がある日を境にいきなり話しかけてくるようになったのだ。「あなたのことが知りたい」なんて出し抜けに言われたら、驚くに決まっている。
 が、好奇の視線は甘んじて耐えた。それだけ私が彼らに無関心だった証なのだと思ったから。

 居心地悪そうにしている私を見て、彼らは大層喜んだ。
 やっと私が自分らしく振る舞えるようになったと、彼らに受け止められているらしい。

 執務室に引きこもって一人きりで仕事を片付けていた時より、部屋の外に出ることが少し増えた。
 畑仕事や厩の仕事を手伝いに行ったり、剣道場で手合せをしている男士たちの様子を見に顔を出したり……。私が雑事に手を出して失敗しても、怒る者や邪険にする者はいなかった。わざわざ作業の手を止めて、私にもできそうな仕事を探してくれる者ばかりだった。

 私が仮面を少し、ほんの少しずらすだけで、随分呼吸がしやすくなるのだと気付いた。
 今まで私にとって本丸は、私を閉じ込める箱庭のようなものだった。

 私は何故刀剣男士達をあんなに恐れていたのだろう。
 私の予想に反し彼らは私を温かく迎えてくれた。
 私はここにいていいんだ、彼らの主と胸を張っていいんだ。

 そう思った。
 そう思っていたけれど、はりぼての自信というのはちょっとしたきっかけで簡単に折れてしまうのだ。



 ある日のこと、私は畑当番の手伝いにいった。
「えっと、お仕事手伝いに来ました。私にも何かできること、ありますか?」
 畑に向かいぎこちなく声をかけると、当番だった御手杵と大倶利伽羅がこちらを見やる。
「おお、あんたも手伝いに来てくれたのか。えっとぉ……、何してもらうかな。今日は雑草抜いたり、排水路掘ったり、力仕事が多いんだよ」
 御手杵がそうだよな? と大倶利伽羅に尋ねると、彼は私の姿を一瞥しそっけなく口を開く。
「まずは軍手を持ってこい。素手でやったら怪我をする」
「お、そうだな。じゃあまずは軍手を持ってきてくれるか? そしたら~……雑草抜いてもらうか。できるか?」
「わかりました。適当な軍手を持ってきますね」
「おう」
 言われるままに屋敷の中にとんぼ返りする。

 軍手。軍手。
 持ってきますと言ったけれど、そういえば私は軍手がどこにあるのか知らない。
 審神者になってすぐの頃は私が消耗品を管理していたけれど、長谷部が来てからは彼に任せきりにしてしまっている。

 縁側でスニーカーを脱いで、屋敷へ上がる。
 消耗品の保管場所はどこだったか……と考えながら歩こうとしたら、沓脱石の上のだらしなく脱ぎ散らかされたスニーカーが目に入った。
 慌てて戻って行儀悪く脱ぎっぱなしになっているスニーカーをきちんと整えてから、軍手を探しに行く。
 私自身が本丸全体を管理していた頃の、おぼろげな記憶を引っ張り出す。
 確か手入部屋に少し近い北寄りの部屋の箪笥に、消耗品を保管していたはずだ。確か救急箱なども一緒に保管していたはずだ。
 そう思いながら、急ぎ足でそちらに向かう。

 が。
「あれ?」
 障子に手をかけて、止まる。
 部屋の中から明らかに人の気配がする。何人かで談笑する声が漏れていた。
 すぐ横の柱を見ると、やたら達筆な文字で何かが書かれた木札がかけられている。

「……兼……定、かな?」

 目を凝らし一文字ずつ観察する。私は残念ながら崩し字が読めないが、兼定という文字はかろうじて解読することができた。そこから兼定の上の文字数が二文字でないことから、恐らくこの部屋の主は和泉守兼定だろうと判断した。

「ん? ちくっと待っとーせ」
 部屋の中から聞き慣れた声がし、障子越しに人影がぬっと立ち上がる。すぐに勢いよく障子が開かれた。

「おーおー、主やいか。どおいたが? こんなところでぼうっとしちょって」

 障子を開けたのは初期刀の陸奥守吉行だった。部屋の中からは和泉守兼定だけでなく、彼と親しい刀剣男士達が何人か集まっていた。「どうしたどうした」とこちらを見ている。
「軍手を探しているの。ここ今は和泉守さんの私室になってたんだね。吉行君は消耗品って今はどこにあるかわかる?」
「軍手? なんでそんなものを探しちゅう?」
「畑当番のお手伝いをしようと思っていたんだけど、大倶利伽羅さんに『軍手がいる』って言われたの」
「なんじゃなんじゃ、真面目じゃのう! ほいたらわしが軍手を持ってくるきい、まっとうせ。当番が終わった後、おんしゃあも茶会に参加しとうせ」
「おう! 主も来いよ。万屋のあんころ餅、結構うまいぞ!」
 和泉守がちょうど口に運ぼうとしていたあんころ餅を示す。和泉守だけでなく、加州清光、大和守安定、堀川国広が私を「おいで」とにこやかに誘う。
 どこから持ってきたのか狭い卓袱台の上には、お茶とみかん、茶菓子が沢山置いてあった。思い思いに菓子を持ち寄っているらしく、あんころ餅やみたらし団子のような和菓子から、最近発売された駄菓子まで混在している。皆楽しそうに顔をほころばせている。

 しかし一度御手杵達の手伝いを申し出ているので、そちらを優先するのが筋というものだ。
「ごめんなさい。内番を手伝う約束があるから、その後にもしよければ……」
「仕方ないのう!」
「必ず忘れないで来てよね、主!」
 私がおずおずと頭を下げると、加州清光が人懐っこく笑う。すると陸奥守がすっくと立ち上がった。
「ほいたら案内するき、ついてきとーせ」
 部屋から出て己を指さす。私を消耗品の保管場所に案内してくれるつもりらしい。
 続いて和泉守兼定が立ち上がった。
「じゃあ俺も一緒に行こうかね。俺も場所知らねえしよ」
「ありがとう、吉行君。和泉守さんも」
 部屋の主につられて、彼だけでなく部屋にいた全員がわらわらと出てきた。ただ軍手を取りに行くだけなのに、随分お供が増えてしまった。
 なんだかおかしい。

 総勢六名で軍手を探す旅に出ようとした時だった。

「主、政府から……。主?」
 背後から、長谷部が声をかけてきた。
 今日の長谷部は武装こそ解いているものの、いつも通りにカソックを羽織り、シャツのボタンを襟元まできっちり留めている。
 長谷部は何枚かの書類と分厚い封筒を片手に持っていた。
 私に声をかけて歩み寄ってくる長谷部だったが、次第に眉間に皺が寄り、戸惑いを露わにした。まず私の格好を見て驚き、そして私の周囲に刀剣男士達がひしめいていることに驚いた様子だった。
 陸奥守吉行はじめ、他の男士達も長谷部の様子に「なんだなんだ」と怪訝にしている。
 長谷部は周囲の様子を全く気にすることなく、私に視線を固定し尋ねてきた。
「その恰好はどうされたのですか」

 私が今着ているのは、あずき色のジャージだった。今まで私は彼らの前にいる時は決して私服を着ることがなかった。が、内番を手伝うとなるとどうしても汚れるから、いっそ汚れてもよい服着て作業をした方がいいと思ったのだ。仕事の時間は巫女装束を着ているので、長谷部にはおかしく見えてしまうらしい。
「ちょっと畑仕事を手伝って来ようと思って」
「何故主が畑仕事などなさるのですか。そんなことは当番のものにお任せ下さればいいのです」
「どうして? 大して力にはならないけど、部屋にこもっているよりは体を動かせるし、楽しいよ」
「そうではなく、他の者に示しがつかないのです。主にそのようなことをされては」
 長谷部は私を作業させまいと必死になっている。

 何故だろう。
 実際長谷部のように主君である私に雑用を手伝ってもらうとなると恐縮する者もいたが、最後はなし崩し的に一緒に作業をすることを許してくれた。
 ここまで強固に私を手伝わせまいとするのは、長谷部が初めてだ。

 それに気になることがある。
 他の者とは概ね良好な関係を築けつつあるのに対し、長谷部との距離が開いてしまっているように思う。

 私が“告解”をしなくなった、あの日から。

 このままでは話が進まないと思い、長谷部に本来の用事を尋ねる。
「それで長谷部は私に何か用があったんじゃないの?」
 長谷部はまだ追及したそうにしていたが、渋々と口を開いた。
「……政府から文が届いております。十日後の大規模演練会後に、審神者同士の懇親会が開催されるとのことです」
「懇親会、ね」

 懇親会とは時折政府の主催で行われる審神者同士の交流の場だ。
 通常審神者は政府に申請すれば現世と本丸を行き来することが可能だが、審神者同士の交流の機会は実はそう多くない。
 普段は本丸と万屋、演練場の往復しかできず、独りで悩みを抱えてしまう審神者が多いという。
 そんな審神者の為に、政府が交流の機会を設けるのだ。戦事に限らず、刀装や鍛刀の方法、果ては刀剣男士との付き合い方等々……。審神者の尽きない悩みを、話し合って互いに和らげることができるらしい。

 私は今まで懇親会に行ったことがなかった。
 理由はやはり、みっともない私を衆目に晒したくなかったからだ。
 私の本丸には希少価値の高い刀剣や大太刀もいなければ、それぞれの刀剣男士の練度ばらつきがある、まだまだ発展途上な状態だ。
そんな状態の本丸の一部を見せに行く、というのが恥ずかしい。

 私が内心そう思っていることを彼らに気付かれて、傷つけたくなかった。
 何より彼らに外で主と呼ばれるのが、耐え難かった。
 彼らに主君と認められることは嬉しいはずなのに、反面こんなにみっともない私を主と呼ばせることが、恥ずかしくて仕方がない。

 でも……。
「今回は行ってみようかな」
「参加されるのですか?」
「ええと。その、たまにはね」

 目を瞬かせて私を見下ろしていた長谷部の表情が、少し曇ったような気がした。
「長谷部?」
 私が首をかしげると、長谷部がはっと我に返った。一つ咳払いをしてから、かしこまった表情を作る。
「失礼致しました。では懇親会前の演練に出陣する部隊を決めましょうか」
「そうだね。でもその前に軍手を取りに行かないと。御手杵さん達の手伝いをするって約束しているから」
「……本当に畑仕事をされるので?」
「そのつもりだけど」
 長谷部が、はあ、とため息を吐く。
「かしこまりました。軍手を用意しますので、主は先に畑へ向かってください。すぐ参ります」
「えっ、長谷部。これから、みんなで探しに……」
 私が呼び止めようとするも、長谷部はカソックの裾を翻してどこかへ去ろうとする。
 明らかに私の声が耳に届いているはずなのに。

 長谷部が私の言葉を無視した?

 呆然とする私を見かねて、和泉守兼定が去ろうとする長谷部の背中に声をかける。
「おいおい、軍手ならこれから俺らと主で取りに行くって見てわかんねえのかよ」
 その声は先ほど私に話しかけてくれた物に比べ幾分低く、明らかに呆れと非難の色が込められていた。途端場の空気が和やかだったものから、ピリっとした物に変わる。思わず体が強張る。
「か、兼さん! 長谷部さんは忙しそうですし、僕らが取りに行くから大丈夫ですよ!」
 私の怯えを感じ取った堀川国広が、慌てて取りなしてくれるが、ゆっくりと振り返った長谷部は無表情だった。
「主ー」
 横からぽん、と肩を叩かれる。陸奥守吉行だった。
「ちくとぉわしら、長谷部と話す用ができたき、先に行ってまっとうせ。軍手ならわしらが探すきに!」
「え、でも……」
「俺は貴様らに用などない」
 振り返った長谷部がぴしゃりと言い放つ。にこやかに笑う陸奥守吉行とは対照的に、長谷部の目はいっそ冷え冷えとしていた。
 普段私の前にいる長谷部はいつも穏やかだったから、こんな表情をするのかと驚きもするし、少し怖くもあった。
「ええき、ええき。畑当番がおんしゃあを待ってるき、ざんじいながら行ってうせ」
 私の肩に置いた手で、そのままくるりと方向転換させる。
「わ、わかった。みんな喧嘩とかしないでね」
「りょーかい」
「わーってるよ」
「はいはーい」
 皆がぞれぞれに返事をするが、長谷部は陸奥守達を睨むばかりで、答えを返してくれなかった。
 なっはっはと豪快に笑う陸奥守吉行に救われて、畑へと向かう。
 これでよかったのだろうか、また彼らに助けられてしまったと思いながら。



 後ろ髪の引かれる思いで畑へ向かうと、御手杵と大倶利伽羅が待っていた。律儀に私が戻るまで作業を進めていなかったらしい。
 軍手を持たない私に気付いた御手杵が、ん? と首をかしげる。
「軍手ぇ、見つからなかったのか?」
「探そうと思ったんですけど、吉行君に『持ってくるから先に行っててほしい』と言われまして」
「そっか。じゃあ俺ら先に堀ってるか。あ、やべ。俺シャベル一本しか持ってきてねえわ。大倶利伽羅、俺取ってくるから先に進めといてくれるか?」
「その必要はない」
「何でだ?」

 大倶利伽羅が親指で指した先には、ジャージ姿の長谷部が軍手とシャベルを抱えて立っていた。
「お待たせ致しました。主、どうぞ」

 恭しい手つきで私に軍手と草刈り用の鎌を渡してくれた。しかしすぐに厳しい表情で御手杵と大倶利伽羅に向き直る。
「まだ始めていなかったのか。怠慢は許さんぞ。早く作業を始めろ」
「……俺達は主が来るのを待っていただけだ。怠けていたわけじゃない」
「げげっ。鬼近侍様じゃないか~。あんた今日は当番じゃないだろ?」

 おどけて見せた御手杵を、長谷部がじろりと睨みつける。
「言い訳は聞かん。主が畑仕事をされるというのに、俺が指をくわえて見ていられるわけがあるか。俺と御手杵は排水路を掘る。大倶利伽羅、お前は草刈りだ。根を残さずきっちりむしれ」

 そこまで言いきった後、長谷部の青紫の瞳が私に向く。途端に声音が柔らかくなった。
「主は大倶利伽羅と草むしりをお願いいたします。何か困ったことがあれば、我々にお申し付けください。すぐ対処致しますので。どうかお怪我をなさらぬように、お気を付けください」
 言うだけ言って、長谷部はシャベルを片手にうえ~と嫌そうな顔をする御手杵の襟首を掴み、引きずるようにして御手杵を連れて行った。

「長谷部って、鬼近侍なんて呼ばれているんですか?」
 恐る恐る小声で尋ねると、大倶利伽羅はどうでもよさそうに「ああ」と答えた。
「あんたが出てこなかった時は、もっとひどかった」
「ひどい?」
「あんたがこうして表に出てくる前は、実質あいつがここを仕切っていたから、あらゆるところで口出ししてきて鬱陶しかった」
「そ、そうなんですか」

 ぼそりと大倶利伽羅が呟く。
 大倶利伽羅はあまり口数が多くないためこの程度の苦情で済んでいるが、長谷部の『鬼近侍』ぶりは物凄いものだっただろう。
 私が保身のために閉じ籠った結果、全ての負担を長谷部が背負い込むことになったのだ。

 私の戯言を全て聞き入れてくれる都合の良い近侍の長谷部。
 そして同僚に厳しく当たる鬼近侍の長谷部。

 どちらも私が長谷部に被せてしまった仮面だ。

 やはり、表に出てきてよかった。
 今まで通り、嫌なことや面倒事を全て長谷部に押し付けて逃げ隠れしていたら、きっと自分のやっていることを自覚できなかっただろう。
 私がつい物思いに耽っているのを、大倶利伽羅が静かに見下ろしていた。
「そろそろいいか? これ以上立ち話をしているとあいつがうるさい」
「あ、はい。失礼しました」
 ふと視線を感じ振り返ると、長谷部がこちらを見ているのが目に入った。

 大倶利伽羅が腰を屈め、地面に生えた雑草を指す。
「さっきあいつも言っていたが、雑草は表面の草の部分だけ刈ってもすぐに生えてくる。だから根を掘り返してむしる必要がある。あんたは慣れてないから、まだ育ってないのをやってくれ。俺はそれ以外をやる」
「わかりました」
「それと鎌の扱いには気を付けろ。怪我するからな。無理に使わないで、手でできるところからやるといい」

 身振り手振りを交えながら雑草のむしり方を教えてくれる大倶利伽羅に、思わず感心する。
 本丸に来たばかりの頃の大倶利伽羅は今より露骨に人付き合いを避けていた。比較的私に友好的な男士が多い中、初めて人を煙たがる者がやってきて、どう接していいかわからず、私の方が彼と距離を置いてしまった。
 しかし今は、友好的と言えるかはわからないが、私との会話を避けない上、面倒も見てくれる。
 人は見かけによらないものだと思うと同時に、意味もなく遠ざけてしまっていたことを申し訳なく思った。
 前の主が同じ燭台切光忠が、あれこれ話しかけては鬱陶しがられているのをたまに見かける。
 どんなに邪険にされてもどこ吹く風といった様子の燭台切には驚かされる。
 本当なら私が、それくらいの度胸を身に付けて、本丸に目を配らなくてはいけないのに。

 と、感心していては時間がもったいない。
 早速大倶利伽羅のやり方を参考にさせてもらいながら、若い草に手を付け始めた。



 草刈は思ったより大変な作業だった。
 まず、腰を低く屈めた姿勢で作業するのが既に辛い。ろくに鍛えていない体では、この姿勢で踏ん張って雑草の根を抜き取るという行為を、長時間続けるのは厳しいものがある。
 少し作業が辛くはあっても、若い草なら思いの外簡単に根こそぎ引っこ抜くことが簡単にできた。
 調子づいて少し頑固そうな草に手を伸ばす。

 しかし育ち切ってしまった雑草は、ちょっとの力ではびくともしなかった。うんうん唸りながら、無理矢理根を抜こうとする。
 それでもどうしても抜けてくれなくて、足に力を入れて土を踏みしめる。
 じわじわ顔を出し始めた根に少し満足したとき、油断して体勢を崩した。
「あっ」
「主!」

 私の叫び声を聞きつけて排水路からいち早く飛びだしてきた長谷部が、私の背中を支える。
「お怪我はございませんか?」

 血相を変えた長谷部の顔が視界いっぱいに広がる。
 長谷部達の助言を聞かずに頑固な雑草にチャレンジして尻もちをついたところを、長谷部に一部始終を見られていた。挙句に本気で心配されている現状を脳が把握した途端、泣きたくなるほど強烈な恥ずかしさが、後頭部を殴りつける。
 顔がかっと熱くなり、一瞬で血の気の引くような感覚。

「ごめんなさいありがとう大丈夫」
 何を言ったらいいのか、どんな顔をしてこの場を取り繕えばいいのかわからず、慌てて早口で首を振る。

 長谷部の顔を見ないように顔を背けて立ち上がった。

 また発作的に行動してしまった。
 失敗を極端に恐れる私は、みっともないところを他人に見られたと思えば、高すぎる自尊心が体中を喚き散らしながら暴れ回ってパニックになるのだ。

 しかし私の荒れ狂う内心を知らない長谷部は、差し出した手を所在なさげに握りしめた。
 しばし、気まずい沈黙が流れる。

「おー、大丈夫か? 昨日は雨降ってたし、転びやすいんだよな」

 何事かと排水路から顔をのぞかせた御手杵が、声をかけてきた。
 間延びしたいつも通りの声音に、少し救われた。
 こういう時は、大げさに心配されない方が、笑ってごまかせるのだ。

 少し間を開けてから、長谷部がやや硬い口調で問うた。
「主、お怪我は」
「大丈夫。怪我はない、です」
「……左様ですか」
「………そういうのは根を掘ってから抜くといい。あんたも作業に戻れ。大丈夫だと言っている」

 ため息を吐いた大倶利伽羅が助け舟を出してくれた。
 しばし物言いたげに私を見ていた長谷部だったが、唇を真一文字に引き結んで持ち場に戻っていった。
「あんたも作業を進めてくれ。それとも休むか?」
「いえ、大丈夫です。続けます」

 皆の注目が少しそれたことで、ようやく頭に上っていた血が下りて少し冷静になれた。
 せっかくもらった仕事を途中で放り出すのは、主であっても無責任だ。
 せめて仕事を終えるまでは、ここにいさせてほしい。
「わかった」
 大倶利伽羅は静かに頷いて、私に背を向け作業を続行した。
 私もしゃがんで草むしりに専念した。

 四人がかりで畑仕事をしたおかげで、日が暮れる前に作業を終えることができた。
 道具を片付けて、めいめいに散っていく。
 大した作業ではないはずだが、思いの外疲れてしまい、私は手足を洗ってから早々に自室に戻った。


 その後、大広間で夕餉を取ったが、遠征でもないのに姿を見せない人がいた。
 加州清光、堀川国広、和泉守兼定、陸奥守吉行。そして、長谷部──。
 見事に先程口論に発展しかけた人達だけが、この場に来ていない。大和守安定を除いて。大和守安定は一人黙々と夕餉に箸を伸ばしていた。
 長谷部は近侍の仕事だけでなく、私に付き合って畑当番の手伝いで排水路を掘る作業までしているから、空腹のはずなのに。
 さて、その場にいる大和守安定はといえば、いつもと変わらない様子でご飯を食べていた。不在の人達の状況を聞くなら、彼に聞くのが一番手っ取り早いだろう。
 けれど私は無邪気で優しそうな見た目をしている彼が、少し苦手だ。可愛らしい見た目に反し、意外に辛辣な言葉を口にすることがあるからだ。
 でもここで手をこまねいていたところで、長谷部達が来る様子もないし事情を知っているのは彼だけ。ならば大和守安定に声をかけるしかないだろう。

 意を決して、大和守安定に声をかける。
「大和守、さん」
 おずおずと名前を呼ぶと、彼のくりっとした目が私の方を向く。

「何?」
「あの……他の人達はどうしたんですか?」
「ちょっと話し合いだって。喧嘩とかじゃないから気にしなくていいって、加州清光が」
「そうですか。ありがとうございます」
「どういたしまして」

 私のお礼ににこりと笑って返す大和守安定。子犬のような人懐っこい笑みに、つられて私も頬が緩む。
 するとその隙を突いたように、大和守安定が私を指さす。
「なんだ、笑えるんじゃない」
「え? 笑える?」
「いつもおどおどしてるから、てっきり笑うのが苦手なのかと思った」
「そ、そうでしょうか。わからない。……でも、そうかもしれません」

 大和守安定に指摘されて、初めて気が付いた。確かに私は、笑うことが苦手かもしれない。

 果たして私は、この本丸で心から笑うことが、できているだろうか──。



 夕餉を済ませ、私室に戻る。
 私の部屋は、執務室の奥にある。
 障子を後ろ手に閉め、執務室に入った。

 几帳面な長谷部が片付けてくれているのだろう。
 執務室には埃一つなく、昼間長谷部と書類仕事をしていた文机は、ぴかぴかに磨かれている。

 ぼうっと整頓された執務室を眺めていると、背後の障子越しに影が透けて見えた。
 主、と影が声をかけてくる。
「長谷部です」
「あ、どうぞ」
「失礼致します」

 障子を音もなく開けて、長谷部が入室してきた。
 後ろ手ではなく、きちんと振り返って障子を合わせた長谷部が、ぴしっと正座する。そしてなんと畳に手をついて謝罪の言葉を述べたのだ。
「先程は予期せぬ事態とはいえ、主の許可なく御体に触れ申し訳ありませんでした」
「あっ、えっと……いいから。その話はやめましょう」
「許していただけるのですか?」

 長谷部が中途半端な態勢で顔を上げ、私をじっと見つめてくる。あの時私が調子に乗らずにもっと慎重に作業をしていれば転ばなかっただろうし、そもそも別の場所で作業をしていた長谷部の責任ではない。
 頓珍漢なことを言う長谷部に、頷いて見せる。
「長谷部は何も悪くないから、気にしないで、本当に。……ごめんね」

 私が謝れば少しは長谷部の表情が緩むかと思えば、その顔は深刻なままだった。
 どうしたのかと首をかしげて様子を窺っていると、長谷部は思いきったように顔を上げた。
「では、無礼を承知でお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何?」
「近頃主は俺と距離を置いていらっしゃるように思います。俺は何か主のお気に障るようなことをしてしまったのでしょうか」

 私が、長谷部と、距離を置いている?
 長谷部の言葉が耳に入ってきた時は、意味がよくわからなかった。

 つまり、長谷部は、私に、避けられていると思っている?

 じわじわ長谷部の言わんとしていることを理解した時、長谷部の膝上でぎゅっと握られた拳が、目に入ってしまった。
 そして、長谷部の顔を見る。
 彼の目には追い詰められた色が宿っていた。
 ここにきて、私は初めて気付いた。私のせいで、長谷部がここまで思いつめてしまっていることに。

「そんなことない。長谷部を避けてもいないし、何かされた覚えもない」
 慌てて首を振り、全力で長谷部の言葉を否定する。
「では何故近頃は主の御心を話してくださらないのですか? ……近頃は急に内務の仕事に積極的の御様子ですが」
 長谷部がずばり私の近頃の挙動を言い切る。やはり長谷部に気付かれてしまっていたのか。恥ずかしさのあまり頬が熱くなる。

「それは、っその、今まで長谷部にずっと色んなことを任せていたのが、よくないと思って、直そうと思ったの」
 これは本心だ。あまりに長谷部にだけ頼りすぎてはよくない。そう思って、今まで長谷部に任せていた仕事を、少しずつ自分でするようになったのだ。

 けれど、私に避けられていると思い込む長谷部に、私の言葉は届かない。
「俺の仕事にご不満があるということですか」
 長谷部は渋面で畳をじっと睨みつけて顔を伏せてしまった。
「違う。長谷部にはいつも助けてもらってる。あなたは何も悪くない。あなたにはいつも助けられている」

 悪いのは私だ。
 今まで散々面倒事を長谷部に押し付けてしまっていたから、少しでもよくなろうと頑張っているのに、結局長谷部を苦しめてしまっている。

 私はどうすればいい?
 目の前で思いつめた表情で座している長谷部に、心の中で問う。
 どうしたら、長谷部との関係を改善できるだろう。

 先日茶屋で見かけた審神者と長谷部のような関係になりたい。長谷部が安心して仕えられるような人間になることを、私は望んでいる。
 でもあの二人のような関係を築くためには、私が少しでも色んな能力を身につけて、優れた審神者にならなければならない。
 長谷部と並び立って遜色ない人間になるためには、私はあの審神者のようにならなくちゃいけない。

 だってそうしないと長谷部に愛される資格なんて、永久に手に入らないのだから。
 今の私に、長谷部に顧みてもらえるだけの価値はないのだ。そんなこと私自身が一番わかっている。よく、わかっている。

 仕える側の長谷部にとっても、主の私が優秀になればそれだけ箔がつくだろうに、どうしてこんなにもすれ違ってしまうのだろう。
 どうして長谷部は私の頑張りをわかってくれないのだろう。

「私が今色んなことをやっているけど、それが長谷部の気に障ったのなら、ごめん。ただ長谷部に至らないところなんて全くないし、気に病まないで。長谷部は普通にしていてほしい」
 ここにきて、長谷部はぽかんと口を少し開けて、私を見返した。
「ふつうに、とは」
 長谷部はふつうに、と何度も口の中で転がして首をかしげている。
 普段の長谷部は、どんな難解な書類も私にもわかりやすくかみ砕いて説明してくれる。なのに今の長谷部は全くの逆だ。
 私の言ったことを理解できず、ひたすら困惑している。
「私が何かしていても、長谷部は今まで通りにしていてほしいってこと。あまり私のことは気にしないで」

「俺に落ち度はないとおっしゃるのですか? 本当に……?」
「もちろん、そうだよ。長谷部は悪くないよ。悪いのは全部、私」  私が長谷部に振り返ってほしいから空回りした結果、長谷部を傷つけてしまった。
 だから私が悪い。全部悪い。

 ふ、と長谷部の表情が、ほんの少しだけほぐれる。
「俺の落ち度でないというのであれば、安心致しました。主が日々努力なさっていることはわかります。ですが、俺には主の意図が分かりかねます。主がお考えになっていることを、俺に話しては頂けませんか?」

 以前のように、と長谷部が言う。幾分和らいだ表情で。

 今だと思い、長谷部に謝ろうと口を開こうとした。

 ようやく自分の間違いに気付いたこと。
 少しでもあなたたちの主に相応しい人間になりたくて努力をしていること。
 そして何より、ずっと長谷部に毒を吐きかけて嫌な思いをさせてしまったのを、申し訳なく思っていること。

 なのに、言葉は出てこない。
 私の醜い本心を曝け出して、長谷部に嫌われてしまったら?
 あなたは俺の主に相応しくないと言われてしまったら?
「主?」

 長谷部の顔が、いつもの、私の“告解”を聞く時の表情になっていた。
 それを見た時、私は今度こそ何も言えなくなった。
 今長谷部に甘えてしまったら、また同じ過ちを繰り返すという恐怖にも似た確信が心を支配する。

「ごめんなさい、私は、私は……」



 かたかたと体が震える。
 わからない。
 どうしたら長谷部も私も傷つかずにこの場を収められるか、わからない。

 私の本心を話せば、きっと長谷部は安堵する。
 そしていつものように私を慰めて、“告解”をさせてくれるだろう。

 そう。いつものように。

 でも、それは私が望んでいない。

 主は今のままでいいのですよなんて本心からではない言葉をかけられたら、今度こそ私の自尊心がずたずたに引き裂かれて、二度と立ち直れなくなってしまう。

「主」
  長谷部が、私を呼んだ。
 顔を上げるのが怖い。もしもいつもの笑みを浮かべた長谷部と目が合ったら。

 しかし長谷部の優しい声音は、予想外の言葉をつむぐ。

「そのままで構いません。俺の話を聞いて頂けませんか」
「長谷部の、話?」

 そうです、と答えた長谷部の声は、苦く笑っていた。


「この本丸で、最も愚かな刀の話です」


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