告解

第三話

 静かな執務室の中で、私と長谷部は向かい合って座していた。
 障子越しに透ける外の風景は暗く、静まり返っている。夜の帳はすっかり下りていた。

 自分の話を聞いてほしいと言った長谷部だったが、しばらく唇を引き結んだまま黙りこくっていた。

 膝の上に置かれた白い手が、ぐ、と濃紫のスラックスを掴んだ。そしてひたりと私を見据え、口を開く。

「俺は主に顕現して頂いた時のことを、よく覚えております」
 長谷部は静かな声音で言葉を紡ぐ。慎重に言葉を吟味しながら話している様子だった。
「俺が名乗りを上げた時、主は俺と刀帳を見比べて、慌てた様子でした」
「は、長谷部、それは……」
 慌てて弁解しようとする私を、白手袋に包まれた掌がそっと遮る。
「後になって聞きました。主はあの時大太刀の呼びやすい配合で鍛刀していたと。実際に来たのは打刀の俺で、配合を間違えたのではないかかと驚いたと」
 長谷部が事情を知っているなら仕方がない。こくりと頷く。
「そうだよ。その前も槍の配合で鍛刀したつもりが、桁を間違えて全然違う人を呼んだから、また間違えたのかと思ったの」
「そうでしたか。……俺は主が大太刀を欲していることを知った時、不安を覚えたんですよ」
 外で風が吹いたようだ。障子越しに木の葉が揺れるのを見た。

「見た所、ここは太刀や大太刀などの戦力が不足している反面、打刀はある程度頭数が揃っている。だから主にとって俺などいらないのではないかと、ね」
 視線を逸らし、長谷部は苦く笑う。

 そんなことない、ごめんなさい。

 私が弁解しようと口を開きかけると、長谷部がまた遮った。
「主、どうか今だけは優しい言葉をかけないでください。俺がこれから言わんとすることが、言えなくなってしまいます」

 そうして、長谷部の話は続く。
「あの日、内番が終わり、当番を終えた俺と鯰尾藤四郎が連れ立って風呂に入っていた時でした。 鯰尾が『主が大太刀が見つからないことを嘆いている。こうも来ないと間違った資源の配合で鍛刀しているのではないか』と言いました。
 風呂に浸かっているはずなのに、背骨が冷たくなりました。
 あの時主に求められていた刀は、俺ではなく別の物だったのです。どころか俺は望まれてもいないのに、のこのこやってきた不要の物ではないかと。
 鯰尾は俺の異変に気付いたようでした。慌てて俺を元気付けようとしていました。その時の俺は、鯰尾の気遣いに応える余裕など到底ありませんでした」

「風呂から出た俺は、一目散に主の部屋へ向かいました。初期刀の陸奥守や古株連中から、みだりに主の私室や執務室に近付くなと言い含められていました。
 ですが、あの時の俺はどうしてもあなたの口から仰って欲しかった。俺が必要なのだとたった一言でよかったのです」
 淡々と長谷部の口から、当時のことを話される。あまりにも大太刀が来ないため、私がミスしているのではないかと疑っていたことはある。大太刀を迎えられない今も、内心で自分のことを疑っている。しかし些細な疑惑が長谷部を傷つけ追い詰めていたことを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
  長谷部の回想が、浴場から夜の執務室に切り替わる。

「執務室に明かりは灯っていませんでした。てっきり既にお休みになっているのかと思いました。ですが部屋から確かに人の気配がする」

「部屋の隅に主がいらっしゃいました。まるで何かから隠れているようでした。主が涙を流し、声をこらえていることに気付きました」

 あの日のことは、私も覚えている。大太刀が来るように祈りを捧げ、馬鹿にならない量の札と資源を投入したのに、大太刀は来てくれなかった。
 大太刀を呼べなかった悲しみを抱えて演練に出かけたところ、たまたまその日の演練相手が皆大太刀や希少価値のある刀剣男士ばかりを連れていた。相手と自分と比較し惨めで悔しくて仕方がなかった。演練では、圧倒的な戦力差で敗退したはずだ。
 それはそれはショックで立ち直れないほどに落ち込んでいた。だから誰にも顔を合わせないよう、夜中の執務室で一人膝を抱えて泣いていたのだ。そこに運悪く飛び込んできたのが、今目の前にいる長谷部だ。

「あの時は、もう俺の動揺など彼方へ吹き飛んでいました。
 主が泣くなどすわ何事か。まずは主の話をお聞きし悩み事を解決せねば。何者かに狼藉を働かれたのであれば、その者にしかるべき制裁をせねばと必死でした。ですが主の話を聞く内、そうではないことに気が付きました」

 長谷部はわずかに笑みを浮かべながら、当時のことを思い返しているようだ。

「この方はご自分の不得手や不出来を恥じて、他者と比べて嘆かれている。ご自身を不出来な人間だから居場所がないと、寂しくて悲しくて泣いている。
 それに気付いた時の俺は……、この方を守らねばと思いました。
 当初の目的を忘れたわけではありません。決して。
 そうでなければ、そもそも俺は今主に告解などしませんから……。
 主と接する内に、不安を隅に追いやったつもりでいました 」
 わずかに微笑んでいた長谷部の顔が苦渋に歪む。

「ですが数日主の告解を拝聴する内、主がお話しする相手は俺ひとりであることに気付いてしまいました。主の頼れる相手は俺一人しかいない。
 それが俺がここにいて良い理由であり、何より俺が主の唯一の刀である証左のように感じました。
 主はここにいる大勢の刀でなく、俺だけを頼っている。心の寄る辺にしている。
 俺“だけ”が、主の全てを知っている!
 己の手中に主を捕らえた。そんな錯覚さえ、心地よかった」

「そして──」

 長谷部が鋭く息を吸い込み、そして続けて言葉を発した。

「あなたを、俺以外の刀から遠ざけようとしました。主が俺以外のものを見ずに済むように」


 時間が止まった気がした。
 私は確かに長谷部以外の刀剣とは交流を避けていた。
 しかし、そこに長谷部の思惑も絡んでいるとは思いもしなかった。

「俺の行為がいかに愚かしいことか、先ほど陸奥守や和泉守達にこんこんと説教されましたよ。主を思うなら解放してやれ、とも。そして、その時になって気付いたのです。俺があなたに向けているのは、主への敬意ではなく、恋慕の情であると」
 長谷部は細く長く息を吐き、改めて私に向き直った。

「これが、俺の告解です。俺は臣下として、あってはならないことをしました。申し開きのしようがありません。
 ですが始まりは不健全な感情など一切ありませんでした。傷付く主の御心を少しでも和らて差し上げたい一心でした。
 それだけは、どうかご理解ください……」

 長谷部が重々しく告げる。唇から大きく息を吐いた。
 部屋が、しんと静まり返る。


「長谷部……」

 沈黙に耐え切れず、いつもの癖で長谷部の名を呼んだ。
 薄紫色の瞳が私を見上げる。


 対面していた長谷部の顔が、歪んだ。私の視界の隅を、何か白いものがよぎり、目元に温かいものが触れる。

 長谷部が私の目尻から溢れる涙を、指先で拭っているのだと気付いた。

「馬鹿ね」

 自然とそんな言葉が唇から漏れた。
 一体誰に向けて放った言葉なのだろうと、私は思う。

 私なんかのせいで神経をすり減らしてしまった長谷部か。
 それとも長谷部の気持ちに気付かずに、今まであらゆるものに怯えて逃げてきた愚鈍な私自身か。

「長谷部が私をどう思っていようと、私はあなたを必要としているのに。なんで、わたし、もっと、すなおになれないのかしら」

 後から後から溢れる涙を、長谷部の白い手袋が吸っていく。

 いつも綺麗に手入れされている手袋がぐちゃぐちゃになってしまう。

 ぼうっとした頭で、そんなことを思う。

「ごめんね長谷部。ずっと私、あなたに甘えることがうまくできなかった。
なのに都合のいい時だけ、あなたばかり頼って、愚痴ばかり言って、嫌な思いをさせた。
あなたに不安な思いをさせてばかり。本当にごめん。ごめんね」

 長谷部が首を振る。
 いよいよ指先だけではぬぐいきれなくなったのか、長谷部の掌が目元に押し付けられる。

 この時の気持ちをどう表現したらいいだろう。

 私自身がずっと抱えている劣等感。
 皆の主として本丸を運営していたのに、それを秘かに片思いの相手に邪魔されていたという事実。
 長谷部が私に好意を寄せていたという衝撃と喜び。

 それでも私は長谷部が好きで、独り占めにしたい、長谷部の色んな顔をもっと見てみたいという気持ちは変わらない。

 脳裏に以前万屋で見かけた、名も知らない審神者とへし切長谷部の談笑する姿がよぎる。私があの審神者に抱いた気持ちは、嫉妬心だった。
 主に全幅の信頼を寄せ、主の顔色を気にする素振りも見せないへし切長谷部なんて、私は知らなかった。

 だからもっと戦果を挙げて、優秀な主になって、長谷部の気を引きたかった。
 他の刀剣男士と自発的に交流し、長谷部の力を借りなくても自活できる力のある審神者であろうとした。
 なのに、そんな小細工をしなくても、長谷部に私の気持ちは届いていて……。

 嬉しさ、驚き、悲しみ、衝撃。色んな気持ちがないまぜになって、涙がこぼれて止まらなかった。
 私の心をこれほど揺する感情を、恋と言わずに何と呼ぶのだろう。

「私は」

 湿った唇で、懸命に今言うべき言葉を紡いだ。

「私は長谷部が私をどう思っていようと、長谷部が大切だよ。あなたが、好きなの」


 長谷部の腕が伸びてきていた。長谷部に抱き寄せられたのはすぐのこと。  気付いたら長谷部の胸板に、ぎゅうぎゅうと押し付けられていた。

 長谷部。
 今は抱きしめられているから、どんな顔をしているかわからない。
 それでも、想いは重なっている。
 そう信じて、長谷部の背中に腕を回した。

 長谷部の背がぴくりと動揺する。

 今、長谷部がどんな顔をしているのだろう。長谷部の腕の中で顔を見上げようとした時だった。

「見ないでください」

 長谷部が言う。その声はほんの少しだけ、上擦っていた。

「見苦しい顔をしています」

 私の頭に手を添え、長谷部が囁く。
 長谷部のささやかなプライドに、くすりと笑う。

「私もだよ」

 そんなの、お互い様だよ。
 私がそう言うと、肩越しに長谷部の笑う気配がした。


告解 了


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