『隣の君は肩を濡らして』 #長谷部夢#夢小説 雨が、降っている。 しとしとと続く雨空をへし切長谷部は見上げていた。今日の彼は平素のカソック姿ではなく、黒スーツ姿だ。彼の本体である打刀は左手に携えてある。 彼の主である審神者の親類が亡くなり、現世で葬儀が行われることとなった。告別式に主が出席するため、長谷部は護衛として同席しているのだ。 長谷部が見たこともないような洋風の家屋に響く読経や坊主の袈裟姿は、どこか場違いのように感じられた。 葬儀は進み、やがて主に焼香の番が回ってきた。主はすっと立ち上がり、慣れない手つきで焼香を済ませる。続いて長谷部も立ち上がり、焼香を済ませる。線香の香りが鼻を掠めた。 あらかたの参列者が焼香を終えると、死者の棺は釘打ちが行われる。これで二度と肉体を持った死者と触れることはできなくなる。参列者の中からすすり泣く声が響いた。 そして棺は葬儀会社の人間によって、霊柩車へ納められる。火葬場へと運ばれていくのだろう。 長谷部はその様子を、じっと見つめていた。「じゃあ帰ろうか」 長谷部の隣にいた主が口を開いた。「よろしいのですか? まだ収骨が残っておりますが……」 葬儀の場にふさわしくないあっけらかんとした主の様子に、長谷部は戸惑う。今回二人が参列した葬儀は、主の近親者のものだ。だから長谷部はてっきり式後も残って遺族と主は思い出話に花を咲かせるのだろうと思っていた。「ううん、いいの。ちょっとお茶していかない?」 しかし長谷部の言葉に主は首を横に振った。最初からそのつもりだったらしい。「はあ……」 長谷部は戸惑いながらも、故人の家屋から辞することにした。雨が降り続いていたため、長谷部は持参していたビニール傘をぽんと開く。主は逡巡する様子を見せた後、するりと長谷部の腕に自分の腕を絡ませて、強引に傘に入ってきた。「あ、主。故人の目がありますよ」「いいんだって」 長谷部の静止を物ともせず、主はさっさと街へと繰り出すのだった。 主はすぐに関心のあるものを見つけてはふらふらと傘の外に出て行ってしまうので、その度に彼女の肩は濡れるのだった。 場所は変わって静かなジャズが響くカフェ。そこのテーブル席で喪服姿の二人は、コーヒーを飲んでいた。 冷たい雨に曝された身体に、暖かいコーヒーが沁み渡る。「主、本当によろしかったのですか? 最期までおられなくて」「いいんだよ」 主は素知らぬ顔でコーヒーをすする。 そんな主の顔を見て、長谷部は気が付いた。これは無理をしている時の顔だと。「出過ぎたことかもしれませんが、申し上げます。主はとても心根のお優しい方です。ですのに故人を弔おうとしないご様子が、俺には不思議に思えてならないのです」「弔ったじゃん。さっき」 ぞんざいな口調で主が言う。ちゃんとお焼香もあげたしさ、とぼやく。「でもま、長谷部になら言ってもいいかな」「俺になら……」 長谷部はその言葉に居住まいを正す。すると主が「そんなにかしこまって聞くような話じゃないって」と手を振ってみせた。「あのね、今日死んだ奴は私にとって身内だったけど、いつも私と兄を比べていたの。人懐っこくて活発な兄は可愛がって、引っ込み思案な私は兄のおまけ扱い。兄の誕生日プレゼントは買っていたけど、私には『何か欲しいものはあるか』って聞いたくせに、私が答えると『欲しかったら自分で買え』なんて言う奴なの。子供の頃はわからなかったけど、大きくなるにつれて大っ嫌いになった」 主はコーヒーを流し込み、さらに続ける。「そのくせたまに顔を合わせれば、私の良き理解者面をするから、本当に気持ち悪かった。許せなかった。そんな奴の葬儀に、最後まで付き合う義理があると思う?」 静かに、けれど怒りの感情を込めた言葉の数々に、長谷部は悲しくなった。 自分の言葉に即答しない長谷部に、主は気まずくなりコーヒーカップを持ち上げたが、あいにくと空になっていた。渋々とコーヒーカップをソーサーの上に戻す。「主は」「うん」「本当はその方にお兄様ではなくご自分を愛してほしかったのですね」「……!」 長谷部の言葉に主は目を丸くする。「そんなわけっ!」「俺にはわかります。お兄様の陰に隠れて成長されたことは、さぞお辛かったでしょう」「……わかんないよ、そんなこと」 主は顔を俯け、ぐずっと鼻をすする。「でも……こんなこと言ったら長谷部は怒るかもしれないけどさ」「なんでもおっしゃってください」 長谷部が優しい声音でそう言うと、主はゆっくりと顔を上げた。「私にとって、あの身内は長谷部にとっての信長公みたいなものなんだと思う」「左様でしたか」 長谷部は静かに目を閉じ、コーヒーを飲む。「怒らないの?」「いいえ。恐らく俺が今の主に共鳴しているのは、きっと過去の俺と似ていたからかもしれないと思いましたので」「そっか」 主は空になったカップのふちを指でなぞりながら、呟く。「私ね、身内には複雑な感情を抱えているけど、身内達さえ死ねばこの懊悩も終わると思っていた。でも、そうじゃないんだね。自分の無念や怒りや悲しみをぶつける相手がいなくなっちゃうから、生涯この気持ちは背負わなきゃいけないんだね」「お苦しいですね」「うん。正直、辛い」 長谷部の言葉で主は素直に自分の気持ちを正直に告白できた。そんな主を長谷部は穏やかな瞳で見守る。「俺が信長の死を知ったのは、如水様と羽柴秀吉の密会の場でした」「ああ……本能寺の変の直後だったんだ」「ええ」 長谷部はカップを持ち上げ、最後の一口を飲み下す。「それでその時の長谷部はどうしたの?」 上下する喉仏を見ながら、主は問うた。「あの当時の俺は織田家と黒田家の間で揺れておりました。まだ如水様にお仕えする覚悟ができていなかったのです。そんな折に如水様と秀吉の元に、訃報が届いたのです。俺はかえるべき場所を失ったと絶望しました。ですがその時です」「その時?」「如水様がおっしゃったのですよ。『信長公亡き今こそ秀吉様が天下を取る絶好の機会です』と」「ああ、有名なエピソードだね。そこで秀吉が官兵衛におののいたっていう」「はい。前の主の死に呆然とする俺も、秀吉同様驚愕しました。まさか信長という武将が死去した直後に、天下を取れなどと言うなんて……。俺はとんでもない人間に仕えることになったのだと思いました。あの時です。俺が黒田家に心から仕えようと決意したのは」「そうだったんだ」 長谷部の独白に、主は興味深そうに聞き入っていた。「ですからね、主」「なあに」「そんなお辛い過去をいつまでもお一人で背負う必要はないのですよ。俺がいるではありませんか」「……うん」「俺と貴方は死出の旅路も共にあります。今お聞きした記憶は全て、俺の神域で真っ先に食べて差し上げましょう。ですからどうか、あまり思いつめないで」「うん。うん」「貴方の死後は、俺の神域で楽しい記憶だけ反芻しながら過ごしましょう。きっと退屈させませんよ。思い出話に花を咲かせるも良し。二人で閉館した博物館の中を見て回るのもいいですね。たまには日本号や日光と呑みかわすのもいいでしょう」「えっ、長谷部は私を独占したくて私と結婚したのに、他の刀剣男士と交流していいの?」「…………それくらいでしたら俺が許可しましょう」「沈黙が怖い」「冗談ですよ」 くすくすと二人で笑い合う。「空いたお皿をお下げ致します」 すると店員が二人の空いたカップを下げに来た。「あ、すみません」 腕時計を見ると大分遅い時間だ。そろそろ本丸に帰らなければ皆が心配するだろう。 二人は立ち上がり、お会計を済ませて店外へ出ることにした。 夜の闇に紛れるように、雨は降り続けていた。 雨音は激しさを増すばかりだ。「長谷部」 主が長谷部の腕に自分の腕を絡ませる。主自身も傘を持ってきているが、甘えたいのだろう。「もっと寄り添ってください。主のお身体が濡れてしまいます」「わかった」 主の身体が長谷部の腕に密着する。嗅ぎ慣れた甘い香りが長谷部の鼻孔をくすぐる。 長谷部の持つビニール傘は成人男性用だが、二人でさすとなると面積が少し足りない。主が濡れないよう長谷部が傘を傾ける。 雨粒が長谷部の喪服を濡らす。 これでいいと長谷部は思った。 主に仇名す存在は全て排除する。今日の葬儀のこともこの雨も、全ては長谷部自身が引き受ける覚悟だった。 2023.6.19(Mon) 16:17:49
雨が、降っている。
しとしとと続く雨空をへし切長谷部は見上げていた。今日の彼は平素のカソック姿ではなく、黒スーツ姿だ。彼の本体である打刀は左手に携えてある。
彼の主である審神者の親類が亡くなり、現世で葬儀が行われることとなった。告別式に主が出席するため、長谷部は護衛として同席しているのだ。
長谷部が見たこともないような洋風の家屋に響く読経や坊主の袈裟姿は、どこか場違いのように感じられた。
葬儀は進み、やがて主に焼香の番が回ってきた。主はすっと立ち上がり、慣れない手つきで焼香を済ませる。続いて長谷部も立ち上がり、焼香を済ませる。線香の香りが鼻を掠めた。
あらかたの参列者が焼香を終えると、死者の棺は釘打ちが行われる。これで二度と肉体を持った死者と触れることはできなくなる。参列者の中からすすり泣く声が響いた。
そして棺は葬儀会社の人間によって、霊柩車へ納められる。火葬場へと運ばれていくのだろう。
長谷部はその様子を、じっと見つめていた。
「じゃあ帰ろうか」
長谷部の隣にいた主が口を開いた。
「よろしいのですか? まだ収骨が残っておりますが……」
葬儀の場にふさわしくないあっけらかんとした主の様子に、長谷部は戸惑う。今回二人が参列した葬儀は、主の近親者のものだ。だから長谷部はてっきり式後も残って遺族と主は思い出話に花を咲かせるのだろうと思っていた。
「ううん、いいの。ちょっとお茶していかない?」
しかし長谷部の言葉に主は首を横に振った。最初からそのつもりだったらしい。
「はあ……」
長谷部は戸惑いながらも、故人の家屋から辞することにした。雨が降り続いていたため、長谷部は持参していたビニール傘をぽんと開く。主は逡巡する様子を見せた後、するりと長谷部の腕に自分の腕を絡ませて、強引に傘に入ってきた。
「あ、主。故人の目がありますよ」
「いいんだって」
長谷部の静止を物ともせず、主はさっさと街へと繰り出すのだった。
主はすぐに関心のあるものを見つけてはふらふらと傘の外に出て行ってしまうので、その度に彼女の肩は濡れるのだった。
場所は変わって静かなジャズが響くカフェ。そこのテーブル席で喪服姿の二人は、コーヒーを飲んでいた。
冷たい雨に曝された身体に、暖かいコーヒーが沁み渡る。
「主、本当によろしかったのですか? 最期までおられなくて」
「いいんだよ」
主は素知らぬ顔でコーヒーをすする。
そんな主の顔を見て、長谷部は気が付いた。これは無理をしている時の顔だと。
「出過ぎたことかもしれませんが、申し上げます。主はとても心根のお優しい方です。ですのに故人を弔おうとしないご様子が、俺には不思議に思えてならないのです」
「弔ったじゃん。さっき」
ぞんざいな口調で主が言う。ちゃんとお焼香もあげたしさ、とぼやく。
「でもま、長谷部になら言ってもいいかな」
「俺になら……」
長谷部はその言葉に居住まいを正す。すると主が「そんなにかしこまって聞くような話じゃないって」と手を振ってみせた。
「あのね、今日死んだ奴は私にとって身内だったけど、いつも私と兄を比べていたの。人懐っこくて活発な兄は可愛がって、引っ込み思案な私は兄のおまけ扱い。兄の誕生日プレゼントは買っていたけど、私には『何か欲しいものはあるか』って聞いたくせに、私が答えると『欲しかったら自分で買え』なんて言う奴なの。子供の頃はわからなかったけど、大きくなるにつれて大っ嫌いになった」
主はコーヒーを流し込み、さらに続ける。
「そのくせたまに顔を合わせれば、私の良き理解者面をするから、本当に気持ち悪かった。許せなかった。そんな奴の葬儀に、最後まで付き合う義理があると思う?」
静かに、けれど怒りの感情を込めた言葉の数々に、長谷部は悲しくなった。
自分の言葉に即答しない長谷部に、主は気まずくなりコーヒーカップを持ち上げたが、あいにくと空になっていた。渋々とコーヒーカップをソーサーの上に戻す。
「主は」
「うん」
「本当はその方にお兄様ではなくご自分を愛してほしかったのですね」
「……!」
長谷部の言葉に主は目を丸くする。
「そんなわけっ!」
「俺にはわかります。お兄様の陰に隠れて成長されたことは、さぞお辛かったでしょう」
「……わかんないよ、そんなこと」
主は顔を俯け、ぐずっと鼻をすする。
「でも……こんなこと言ったら長谷部は怒るかもしれないけどさ」
「なんでもおっしゃってください」
長谷部が優しい声音でそう言うと、主はゆっくりと顔を上げた。
「私にとって、あの身内は長谷部にとっての信長公みたいなものなんだと思う」
「左様でしたか」
長谷部は静かに目を閉じ、コーヒーを飲む。
「怒らないの?」
「いいえ。恐らく俺が今の主に共鳴しているのは、きっと過去の俺と似ていたからかもしれないと思いましたので」
「そっか」
主は空になったカップのふちを指でなぞりながら、呟く。
「私ね、身内には複雑な感情を抱えているけど、身内達さえ死ねばこの懊悩も終わると思っていた。でも、そうじゃないんだね。自分の無念や怒りや悲しみをぶつける相手がいなくなっちゃうから、生涯この気持ちは背負わなきゃいけないんだね」
「お苦しいですね」
「うん。正直、辛い」
長谷部の言葉で主は素直に自分の気持ちを正直に告白できた。そんな主を長谷部は穏やかな瞳で見守る。
「俺が信長の死を知ったのは、如水様と羽柴秀吉の密会の場でした」
「ああ……本能寺の変の直後だったんだ」
「ええ」
長谷部はカップを持ち上げ、最後の一口を飲み下す。
「それでその時の長谷部はどうしたの?」
上下する喉仏を見ながら、主は問うた。
「あの当時の俺は織田家と黒田家の間で揺れておりました。まだ如水様にお仕えする覚悟ができていなかったのです。そんな折に如水様と秀吉の元に、訃報が届いたのです。俺はかえるべき場所を失ったと絶望しました。ですがその時です」
「その時?」
「如水様がおっしゃったのですよ。『信長公亡き今こそ秀吉様が天下を取る絶好の機会です』と」
「ああ、有名なエピソードだね。そこで秀吉が官兵衛におののいたっていう」
「はい。前の主の死に呆然とする俺も、秀吉同様驚愕しました。まさか信長という武将が死去した直後に、天下を取れなどと言うなんて……。俺はとんでもない人間に仕えることになったのだと思いました。あの時です。俺が黒田家に心から仕えようと決意したのは」
「そうだったんだ」
長谷部の独白に、主は興味深そうに聞き入っていた。
「ですからね、主」
「なあに」
「そんなお辛い過去をいつまでもお一人で背負う必要はないのですよ。俺がいるではありませんか」
「……うん」
「俺と貴方は死出の旅路も共にあります。今お聞きした記憶は全て、俺の神域で真っ先に食べて差し上げましょう。ですからどうか、あまり思いつめないで」
「うん。うん」
「貴方の死後は、俺の神域で楽しい記憶だけ反芻しながら過ごしましょう。きっと退屈させませんよ。思い出話に花を咲かせるも良し。二人で閉館した博物館の中を見て回るのもいいですね。たまには日本号や日光と呑みかわすのもいいでしょう」
「えっ、長谷部は私を独占したくて私と結婚したのに、他の刀剣男士と交流していいの?」
「…………それくらいでしたら俺が許可しましょう」
「沈黙が怖い」
「冗談ですよ」
くすくすと二人で笑い合う。
「空いたお皿をお下げ致します」
すると店員が二人の空いたカップを下げに来た。
「あ、すみません」
腕時計を見ると大分遅い時間だ。そろそろ本丸に帰らなければ皆が心配するだろう。
二人は立ち上がり、お会計を済ませて店外へ出ることにした。
夜の闇に紛れるように、雨は降り続けていた。
雨音は激しさを増すばかりだ。
「長谷部」
主が長谷部の腕に自分の腕を絡ませる。主自身も傘を持ってきているが、甘えたいのだろう。
「もっと寄り添ってください。主のお身体が濡れてしまいます」
「わかった」
主の身体が長谷部の腕に密着する。嗅ぎ慣れた甘い香りが長谷部の鼻孔をくすぐる。
長谷部の持つビニール傘は成人男性用だが、二人でさすとなると面積が少し足りない。主が濡れないよう長谷部が傘を傾ける。
雨粒が長谷部の喪服を濡らす。
これでいいと長谷部は思った。
主に仇名す存在は全て排除する。今日の葬儀のこともこの雨も、全ては長谷部自身が引き受ける覚悟だった。