覚悟と決意

『補助部隊の死神は幹部になんかなれないぞ』
同僚の死神に突きつけられた現実は、想像以上の鋭さで私を貫いた。



今日は死神組織の全体会議だ。
渋谷UGに在籍している死神たちが一堂に会す、とても珍しい機会である。
渋谷という土地柄のせいかマイペースな死神が多いため、こうして死神全員が集まる機会はなかなかない。
普段あまり接点のない死神と話せるいい機会だ。
全体への挨拶と説明を、指揮者の北虹さんが壇上で話している。

今日はあの南師さんまで参加している。
壇上の隅で退屈そうにあくびをしていて、幹部らしい威厳はまるでない。
退屈な授業を受けている男子高校生、と言った方がピンとくるほどだ。

今はどこかあどけない表情の彼だけれど、『南師の主催したゲームは4日で終わる』と言われている。
大勢の参加者をたった4日で全滅させるほど優秀という褒め言葉でもあるが、7日間開催するはずのゲームを4日で無理矢理収める『常識破り』という皮肉でもある。
ゲームマスターとして、遺憾なくその才能を発揮している反面、集団行動が大の苦手らしい。
最近では、定例会議にもろくに顔を出さないという噂まで流れている。

北虹さんの話が終わり、続いて同じく幹部の虚西充妃さんがマイクを握った。
虚西さんが渋谷UGの現状と就業中の注意事項をよどみなく話していく。
時折手元のレジメをめくる指は、ほっそりしていて驚くほど白い。
いつ見ても綺麗な人だなと思う。
「いつ見ても美人だよなー、虚西さん」

隣に立っていた同僚の死神が、にやけている。
「本当、うらやましいくらい。綺麗なだけじゃなくて、仕事もすごく出来る人だもんね。私も虚西さんみたいな幹部になりたい」
「は? 何言ってんだよ。補助部隊の死神は幹部になんかなれないぞ」
「え。だって、虚西さんは補助部隊出身の死神でしょ?」
「ちげーし。あの人は戦闘部隊出身。日陰で地味な仕事してる俺らとは全っ然違う立場の人だよ」
「そんな……」
「何お前。ひょっとして幹部になりたかったのか?」
「うん……」

ちょうど壇上では、ひときわ大きなあくびをした南師さんを、虚西さんがにらみつけているところだった。




私が補助部隊の死神になって、4年経つ。
かつて死神のゲームに参加したときから、自分が戦闘に不向きなことは分かっていた。
私の使用できるサイキックは戦闘に適さないものばかりで、力も弱かった。

そんな私が、奇跡的にゲームで生き残れたのは、パートナーが優秀だったからだ。
パートナーは戦闘能力も高く、頭も切れてとても優しかった。
お荷物の私にも活躍の場を与えてくれるような、そんな人だった。

生きかえる権利を得られた参加者が発表されたとき、私の名前が呼ばれることはなかった。
パートナーは生きかえる道を選び、残された私は死神となる道を選んだ。
あの時、消滅するしかなかった私に、新しい選択肢をくれたのが、北虹寵さんだった。





『君を組織の一員に迎えよう』

目の前のサングラスをかけた男が手をかざすと、私の背中に羽が生えた。
黒くてとげのように硬い、死神の証。
手に目を落とすと、爪が黒くとがっている。
ああ、これで私も死神になったんだ。

しかし私の胸に湧き上がってきたのは、強大な力を手に入れた愉悦でも、高揚感でもなく、喪失感だった。
今まで積み重ねてきた私という存在が、たった一瞬で完全に消失してしまったかのような空虚さ。

呆然とする私を見て、男があごに手を添えながら考えをめぐらせ、そして言った。
『君はどうやら戦闘には向いていないようだな』

私は男を見上げた。
死神は参加者を消滅させるためにいる。
そこへ私のような戦闘の苦手な者が入ったところで、何の役に立つだろう。

“役立たずな新入りは必要ない”

もし、目の前にいるこの男が、先ほどの発言を翻して死刑宣告してしまったら。
先程消滅しなくてすんだ安堵感が、一瞬で恐怖に転じた。

男はパラパラと書類の束をめくりながら、落ち着いた声で話す。
『ゲーム中の君のデータを見ていて思ったが、君の使えるサイキックは補助的なものが多いようだな』
『そして死神の能力を得た者は、一種興奮状態になるものだが、君はそういった兆候も見られない。だから俺は戦闘に不向きだと思ったのが、違うかな?』

そんなことはない、とその場しのぎの嘘をつくことは簡単。
しかし私の詳細データまで知っているこの男に、はったりが通用するとはとても思えない。
今にも首をはねられそうな恐怖に身をすくめながら、首を振る。
極度の緊張で体が強張り、ちゃんと首を本当に振れたかどうかわからない。
『だから君には、補助部隊の死神になってもらおう』
『ほじょ、部隊?』

聞き慣れない言葉に眉を寄せる。
『死神には2種類ある。まず参加者を消滅させる戦闘部隊と、各ルートに壁を作り、参加者の採点をする補助部隊。恐らく君には戦闘部隊よりも、補助部隊の方が向いているだろう。もちろん、君が戦闘部隊に入りたいのであれば、それもかまわん。君はどうする?』
『あの、補助部隊がいいです……』
『そうしたまえ。適材適所という言葉があるように、人には向き不向きがある』

うなずく北虹さんに、私は真っ白な床にへたりこんだ。
『どうした?』
『力がぬけちゃって……』
『もしや“戦闘できない死神は不要”とでも言われると思ったのか?』

こくりとうなずく私に、男が愉快そうに笑んだ。
『いくら死神でも、せっかく迎え入れた部下をいきなり切り捨てることはしないさ』

男が私に手を差し出す。
骨ばった大きな手だったけれど、白くて細長い指が印象的だった。
『改めて、君を我々の一員として迎えよう。 佐倉ユウ』
『よ、よろしくお願いします』

のちに、私に新しい生き方を示してくれた男性が、死神で最も重要な地位にあたる人物だと知った。


気付けば周りの死神達が出口に向かい始めている。
いつの間にか会議は終わっていた。
壇上を見ると、幹部3人はすでにいなくなっていた。
このまま人波にもまれて帰る気持ちになれず、最後までその場に立ち尽くしていた。
がらんどうになった会場が、物悲しかった。

外に出ようとした足が、雨音に阻まれた。
天気予報では晴れだと出ていたのに。
このまま濡れて帰るのもいいかもしれないなどと捨て鉢になっていると、見透かされたかのようなタイミングで声をかけられた。
「どうした 佐倉。そんなところで立ち止まって」

北虹さんだった。
2人きりで顔を合わせるのは、随分久しぶりだった。
そして末端の一死神の名前を、まだ覚えていてくれていることが、泣きたいくらい嬉しかった。
「北虹さん! てっきりもう帰られたのかと思いました」
「だといいんだがな。色々仕事が残っていたんだ」

背後から誰かが、ヒールで固い床を鳴らして、こちらに近付いてくる。虚西さんだ。
「北虹様、会場の片付けが完了いたしました」
「ご苦労だったな。虚西も戻ってくれ」
「かしこまりました。お先に失礼いたします」
お辞儀すると、ウェーブのかかった金色の髪が、さらさらと肩を流れる。
「お、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」

私を一瞥すると、クスリと微笑みかけて足早に会場を離れていった。
香水の匂いだろうか。
彼女が通り過ぎた一瞬、とてもいい香りがした。
「それで、君はここで何をしているんだ?」
「実は、傘を持っていなくて、どうしようかと思いまして」
「何だそういうことか。先に言えばいいものを。俺のものでよければ貸そう」
「いえ、大丈夫です。この程度の雨なら、少し待てばすぐに晴れます」
「どうかな? すぐに止んだところで、また降りそうな雰囲気だが」

ほら、と北虹さんが傘を差し出す。
恐らく北虹さん自身が使おうとしていた傘だ。
「お気持はとても嬉しいのですが、北虹さんの分は?」
「俺は大丈夫だ。折りたたみの傘を持ってきている」
「そうですか。じゃあ……」

お言葉に甘えて、と言おうとした矢先である。やたら重量感のある足音が響いたのは。

大量の荷物を抱えこんでこちらにやってきた南師さんだ。
「なんだ、メグミちゃんはまだ帰ってなかったのかよ。ゼタ遅ぇ!」

メグミちゃん……。
私は絶句した。
自分の上司を、下の名前で、しかもちゃん付けで当たり前のように呼んでいることに、驚きを禁じ得なかった。
「そういうお前は何をしていたんだ」

しかもそれを北虹さんは平然と受け止めている。
「見りゃわかるだろ。俺の創作活動のためのパーツ集めだ!」
誇らしげに胸をそらして、両手いっぱいに抱えた物を見せ付ける。
用途不明なドアノブや古びた冷蔵庫を、一体何に使うつもりなのだろう。

私に気付いた南師さんが、うろんな視線を容赦なくあびせてきた。
「何だお前?」
「補助部隊の佐倉ユウと言います」
「確かお前と佐倉は同期じゃなかったか?」
「知るか! そんなくだらねえものに興味はねえ」
かつての同期で現部下にあたる人間を、『くだらねえ』と切り捨てる。
幹部らしからぬ発言だが、爽快さにむしろ好感さえ抱きそうになった。

そんな南師さんだが、雨音を聞きつけて舌打ちをした。
「なんだぁ、雨かよ」
「南師、傘はどうした?」
「そんなもんは持ってねえよ。だがパーツが濡れるのは困るな」

思案顔でパーツや周囲を見回していた南師さんだったが、北虹さんの手の中にある傘を、目ざとく見つけた。
「メグミちゃん、イイモノ持ってるじゃねえか!」
「イイモノではない。これから使う予定だ」
「別にいいじゃねえか。どうせもう1本持ってきてるんだろう?」
「仕方ないな」
北虹さんは深々とため息をついてから、鞄から折りたたみ傘を取り出した。
「南師はこっちを使ってくれ。 佐倉が傘を持っていないから、俺は途中まで送っていくんだ」
「チッ、仕方ねえな。じゃあな、メグミちゃん、それとヘクトパスカル!」

北虹さんの機転で、南師さんはあっさり引き下がっていった。
いくら男性用の折り畳み傘とはいえ、あの大量の部品はかばいきれていないのでは。
「そういうわけで、 佐倉がよければいっしょに戻るか」
「北虹さんがよろしければ……」
「俺が質問しているのに、君はおかしなことを言うな」
「失礼しました! もちろんご一緒させてください」
「かまわんよ。 佐倉はどの辺りに行く予定だ?」
「カドイの方まで」
「そうか、俺もその方面に行くつもりだった。ではそこまでいっしょに行こう」
「はい」




私は足元を見つめながら、北虹さんの隣を歩いていた。
滑って転ばないように……ではなく、手持ち無沙汰だったからだ。
せめて傘を持たせてもらおうとしたが、身長差を理由に北虹さんが持つことになり、荷物持ちをしようとしたら「たいした荷物ではない」とことごとく断られてしまった。
部下として何かしなければと思ったけれど、そんな役割をあっさり取り上げられ、私はどうしていいかわからない。

だったら何か話でも……と思ったが、とっさに話題を思いつくこともできないという体たらく。
結局うつむきがちに歩くことしかできない。
雨音と水溜りを跳ね飛ばす車のホイール音に耳に傾けながら、ただ黙々と歩いた。

そんな時、北虹さんが口を開く。
「 佐倉」
「はい」
「君が死神になってどれ位経つ?」
「……もうすぐで4年になります」
「4年か、時間が経つのは早いな」
「そうですね」
「あの時の佐倉は、俺に殺されるかもしれないと怯えていたな」
「よく覚えてらっしゃいますね」

驚いた。
年間に何百、何千人もの参加者を見ている北虹さんが、私のことを覚えているとは思えなかった。
「確かここ数年で参加者から補助部隊の死神になったのは、 佐倉だけだったな。だからかもしれん」
「ああ、なるほど」

無事死神のゲームを乗り切った参加者たちで、生きかえらなかった者のほとんどが戦闘部隊の死神になることを選んだ。
ゲーム中に出くわした攻撃的な死神が、強く印象に残るからだろう。

しかしその場のノリと勢いで戦闘部隊に配属を希望しても、1週間も経たずに音を上げる者がいる。
その理由の大半は『参加者を消すなんてできない』という理由だった。
中には攻撃的な参加者に消されそうになったためという者もいるが、ごく少数だ。

死神の仕事を間近で見ていたなら、どんなことをするのかくらい分かっていたはずだ。
もし私も彼らと同じように戦闘部隊に配属されていたら、きっと罪悪感と焦燥感で苦しんだだろう。
そんな葛藤を見越して、私を補助部隊に配属した北虹さんには、感謝しきれない。
「確かに私の後輩にも元戦闘部隊の者がいます」
「人柄を見て補助部隊か戦闘部隊のどちらに配属させるか決めるが、戦闘部隊を志望する者の方が多いな」
「どうして彼らはたいした覚悟もせずに、配属先を決めるんでしょう。参加者を消すのが仕事だと分かりきっているのに」
「……やはり、仕事の派手さが大きいだろうな。反対に補助部隊の仕事は完全に裏方だ。せいぜい壁を作る死神程度の印象しかないから、補助部隊に進もうとはあまり思えないのだろう。他にも参加者の採点という重要な仕事もあるが、実際に採点する現場を見られるわけでもないからな」
「そう、ですか」

派手さ。
仕事に派手さがそれほど重要だろうか。

死神は仕事をすることで得られる『ポイント』で、生きることができる。
逆に言えば仕事をしなければ消滅してしまう。
補助部隊は、真面目に仕事をしていればポイントも手に入り、ずっと生きていられる。

しかし戦闘部隊の仕事は真面目にしていれば生きていられるほど甘くはない。
消滅させた参加者の人数によってポイントが配当されるため、参加者を消滅できなかった場合は自分の存在が危うくなる。
また戦闘部隊の死神は参加者に逆襲される危険がある。

つまり逆に自分が参加者に襲われるかもしれないのだ。
危険の多い仕事だが、その分優秀な人材であれば、昇進の可能性も高いというメリットもある。

だけど、仕事の実態なんて、実際に働いて見なければ分からない。
無謀にも戦闘部隊を希望する参加者の気持ちも、分かる。分かるけれど……。




私が我に返るころには、カドイまであと少しの場所に来ていた。
北虹さんは最初から会話などなかったかのように前に向き直っている。
私はせっかく北虹さんが蒔いてくれた話の種を、むげに潰してしまったのか。
自己嫌悪に陥っている間に、すぐカドイについてしまった。
「俺は渋急本店に行くつもりだが、君はどうする?」
「カドイで傘を買って帰る予定です」
「そうか。ではここまでだな。今日はご苦労だったな」
「北虹さん、傘に入れてくださってありがとうございました」
「気にするな。じゃあまたゲームで会おう」
軽い口調で別れの言葉を告げて、北虹さんは背を向けた。

ここで止めなければ、北虹さんと話せる機会はもうないだろう。
私はいてもたってもいられず、その背中に呼びかけた。
「あのっ、北虹さん」
「何だ?」
北虹さんがこちらを振り向いた。怪訝そうに眉を上げる。
「補助部隊の死神が幹部になれないというのは本当ですか!?」
どうしても北虹さん本人に聞きたかったことだ。
どうか、イエスと答えないで。

神にも祈るような気持ちで北虹さんを見つめると、彼はあっさりと答えた。
「いいや、そんなことはない。補助部隊出身の死神でも、幹部になれるさ。補助部隊の死神は幹部になれないという決まりはないからな」
「……え」
あまりにも簡単な回答に、肩透かしを食らった。

しかし続いた言葉は、やはり現実を私に突きつける。
「だが、実際に目指すとなると、話は別だ。現に俺が在籍している最中に補助部隊から幹部に昇進した者がいたと聞いたことがない」
「それはやはり、慣例か……」
「いいや、そういったわけではない。単純に難しいのだよ。幹部の仕事は事務的な処理も多いが、参加者に直接手を下さなければならないだろう?」
「あっ」

忘れていた。
幹部になれば、下っ端死神以上に危険な仕事が待っていた。
「仮に幹部になれたとして、ほとんど戦闘頭経験のない補助部隊の死神が、参加者に太刀打ちできるかという問題がある」
「そして先ほど君が言ったように、覚悟も重要だ」
「覚悟」

覚悟という言葉を聞いた途端、心臓を指ではじかれたような衝撃を受けた。
北虹さんはいつの間にかこちらに向き直り、私をひたと見据えている。

そのときの私の胸中には、ときめきなどといった甘酸っぱい気持ちはなかった。
焦りと緊張感で、背筋を冷や汗が伝う。
蛇ににらまれた蛙とは、まさに今この状況を例えるのにぴったりな言葉だろう。
「 佐倉、君に参加者を殺す覚悟はあるのか?」

低い声が再び私に問いかける。
大分ためらってから、私は首を横に振った。
「いいえ、私には……ありません……」
「そうか」

少し間を置いてから、北虹さんが問う。
「佐倉は幹部になりたいのか?」
「いいえ、違います」
「ほう、では何故……」

北虹さんの言葉を遮って、私は続けた。
「今北虹さんのお話を聞いて、気付きました。私は幹部になりたいわけではありません。北虹さんの役に立ちたいんです」
北虹さんの目を見据えて、彼の返事を待つ。
「……そうか」

北虹さんは意味ありげに笑い、肩の力を抜いた。
「君は十分俺の役に立っている。報告書は1番に出し、細かく補足事項が書かれていて、実に読みやすい。それに俺はあの時、『補助部隊は重要な仕事』だと言わなかったか?」
「もちろん覚えています。だからこそ私は──」
「俺は決して補助部隊を軽んじているつもりはない。君は自分の仕事にもっと誇りを持つことだ」
「はい……。ありがとうございます」

私が頭を下げると、北虹さんは渋急本店の方面へ進んでいく。

ふと北虹さんは足を止め、肩越しに振り返った。
「それから、 佐倉。先程も言った通り補助部隊の死神が幹部になるのは、戦闘部隊の者以上に厳しい道のりだ。それでも困難に立ち向かう覚悟があるなら、挑戦してみたまえ」

私の返事を待たずに、今度こそ北虹さんは去っていく。
北虹さんの黒い傘は、すぐに雑踏にまぎれて見えなくなった。
「結局、ごまかされちゃったなあ」

声が届かない範囲に移動したのをを確認してから、私は吐息とともにつぶやいた。
私の告白はあっさりかわされてしまったが、決意は固まった。
幹部になるのが難しくても、必ず北虹さんを支えられる存在になると。