屋上秘密会議

長い夏休みが終わり、新学期になった。
9月になろうと、相変わらず暑いのは変わらない。

久しぶりの学校に来て早々、自分の席でへばっていたら、桜庭君がやってきた。
驚くべきことに、あれほど気に入っていたヘッドフォンをしていない。
しかも、あの桜庭君が、近くの男子に声をかけていた。
「おはよう」

話しかけられた男子は、きょどりながらも「おはよ」と返していた。
周囲の反応を気にすることなく、桜庭君はスタスタと自分の席にやってきた。
「おはよう」
私にも桜庭君はあいさつした。
「お、おはよ」

正直言って私はその時、相当挙動不審になっていたと思う。
ただクラスメイトに話しかけられただけだったら、私だってここまで驚きはしない。
彼のあまりの変わりぶりに心底驚かされた。
「桜庭君、今日どうしたの?」

何故か声をひそめた方がいいような気がして、私はこそこそと桜庭君に話しかけた。
桜庭君は「別に」とちょっとすました感じで肩をすくめた後、席についてしまった。

結局桜庭君に何があったのかうやむやにされたまま、朝礼が始まる。
朝礼中にちらちら様子を伺っていたけれど、桜庭君は肩肘を付いて先生の話を聞いている。
桜庭君はすごくたくましくなったわけでも、こんがり日焼けしてるわけでもない。

目立った違いといえば、外見的にはヘッドフォンを外したことくらいだ。

それから、ちょっと積極的にもなった。
今までの桜庭君なら、自分からクラスメートに声をかけるなんて、絶対しなかったことだ。

そういえば、少し顔つきも変わった気がする。
1学期の桜庭君は、いつも退屈そうな顔をしていた。
今日の桜庭君は、少しいきいきしているように見えた。

学校が始まったといっても、初日は授業もない。
せいぜい朝礼の後に全体集会で体育館に全校生徒が集まって、校長先生の話を聞いたり、配布物を受け取ったり提出物を渡したりするくらいだ。

ホームルームと全校集会の間の休み時間、桜庭君はここでも、大きな変化を見せた。
隣の席の男子に、自分から話しかけたのだ。
人とのつながりを自分から切り捨てていた、あの桜庭君が。
少し相手の様子を伺いながら、「今日、この後何があったっけ」なんて、たわいもない話を振っている。

桜庭君、君は一体どうしちゃったの。
1学期の間は、あんなに人のことを毛嫌いしてて、私と話せるようになるまで、かなり時間がかかったのに。
私の心配をよそに、2人は最初こそぎこちなかったものの、すっかり打ち解けている。
周りの何人かも加わって、桜庭君を取り囲んでいた。
休み時間中、好奇心むき出しの視線にさらされた桜庭君は、少し居心地悪そうではあったけど、楽しそうだった。




学校が始まったといっても、初日は授業もないため、いつもより早く終わった。
時間は11時30分と中途半端だ。
おなかがすいたような、そうでもないような。

そんなことを考えていると、「おい」と後ろから呼び止められた。
振り向いた先にいたのは、桜庭君だった。
さすがに声をかけられたくらいでは、もう驚かない。
「なに?」
「この後、空いてるか」
「うん、空いてるよ」
「だったら、屋上でメシ食わないか?」
「うん。いいよ。すぐ行く? 桜庭君の予定があるなら、待ってるけど」
「売店行ってくるくらいだな」
「あ、じゃあ私も行くよ。今日はお昼、特に用意してないし」
「そうか」

 私は身支度を整えると、桜庭君と連れ立って売店ヘ向かった。
午前中しか学校がないせいか、わりとスムーズに目当てのものは買えた。
屋上でいつもの指定席に座って、少し早いお昼ご飯にした。
「お前は夏休み中、どうだった?」
「んー、色々行きたい場所はあったけど、なんだかんだで近場に入り浸ってたよ」
「そういえば、友達の件はどうなった?」
「友達?」
「お前1学期のとき、友達がどーのこーのとか言ってただろ。いつも一緒にいなくちゃいけなくて、気詰まりだとか」
「ああ。実は夏休みの間に、いつも一緒のグループだけじゃなくて、他のグループの子達と一緒に遊んだら、ちょっと距離をあけて付き合えるようになったよ。どうもその子、ちょっと友達関係で悩みがあったみたいで、それで不安定な付き合い方になってたみたい。こんなことなら、もっと早くその子と話しておけばよかったなあって、思ったよ」
「そうか。一応解決したってことか」
「うん」

よかったなと言うように桜庭君は微笑んで、紙パックのジュースにストローを差し込んだ。
おいしそうな音を立てながら、ジュースを飲んでいる。

つもる話はひとまず置いておき、昼食を再開した。
私も買ってきたパンをかじる。
久しぶりの調理パンは、おいしかった。
「桜庭君こそ、夏休みの間何かあったの?」

パンを半分くらい食べ終わってから、私は桜庭君に1番聞きたかった質問をぶつけてみた。
桜庭君はまたかとでも言いたげな、うんざり顔になった。
「何でだよ。クラスの他のやつらにも、同じようなこと言われたぞ」
「だって、なんか雰囲気変わったから。今までの桜庭君だと考えられないくらい、フレンドリーになったって言うの?」
「ああ、俺からクラスのヤツに話しかけたからか? まあ確かに休み中に、色々あったからな」
「その色々っていうのを聞きたいんだけどなあ」

私が笑って追求すると、桜庭君はうーんと少し考えている。
何かを思い出したように顔を上げた。
「あのさ、1学期が始まる前に『CATの新作が出たら、一緒に買いに行こう』って約束したの、覚えてるか?」
「もちろん。桜庭君も覚えていてくれたんだ」
「当たり前だろ」

桜庭君の力強い言葉に、私は感激した。
私がちょっと強引に結んだ約束なのに、それを覚えてくれているなんて……。
が、次の言葉にがっかりした。
「6週間ぶりのCATの新作だぞ。発売日を忘れるわけないだろ」
「あー、うんそうだね。もういいよ。で、どうかしたの?」

当の先輩たちは顔を見合わせて苦笑いをしているようだ。
「気にスンナ。俺らも事情話さなかったんダカラ」
「先輩を疑ってかかるって、あんた後輩としてどうなのよ、それ」

いきなり脱力した私を不思議そうに見ながら、桜庭君は続ける。
「その日、俺の友達も一緒に行きたがってるんだけど、いいか?」

ちくり、と『俺の友達も一緒』という言葉に、何故か私の胸は痛んだ。
当日はCAT仲間の桜庭君と、2人きりで出かけるものだと思っていた。
私たち以外の誰かも一緒に行く。たったそれだけのことなのに、嫌な気分になった。
私だけの秘密基地を誰かに踏み荒らされたような、そんな気分。
桜庭君は、私だけの友達じゃないのに。
そんな心の動揺を押し殺し、何事もなかったかのように、私は聞き返す。
「友達?  この学校の人かな」

さっき話していた男子だろうか。
「いや、休み中に会った別の学校のやつら」
「いいよー。何人くらい来るの?」
「3人……いや、4人だな」
「結構大人数になるね。楽しみにしてるよ。今度の日曜日だよね? 発売日」
「ああ。その日、夏休み中に何があったか、話す」
「随分引っ張るねー。これは日曜日が待ちきれないね。ひょっとして、桜庭君が変わったのに、その友達も関係してたりする?」
「……まあな」

桜庭君は少し複雑そうな顔をして、頬をかいた。
そして、少しためらってから口を開く。
「お前、これから俺のこと名字じゃなくて、名前で呼んでくれないか?」
「じゃあ、ネク君?」
「呼び捨てでいい。むしろ呼び捨てにしてくれ」
「本当に呼び捨てでいいの!? 『ネク』って呼んじゃうよ」
「君付けされるのは、いい思い出がないから」
「ふふ、わかった。じゃあこれからはネクって呼ぶよ」
「ああ」
「…………ところでさ」

うなずいてから、またも桜庭君、じゃなくてネクは口を開いた。
若干気まずそうに。
「何?」
「お前の名前は、何ていうんだ?」

ネクのあまりの発言に、私は唖然とした。
が、何となく予想がついていたことでもある。
クラスメートなんてバカばかりなんて顔で、私のことも同じように同じクラスにいる内の一人としか認識していなかったのだろう。
少し仲良くなったくらいで、相手のパーソナリティに興味を持つような人ではなかったのだ。一学期の桜庭くんは。
「ええー、半年も同じクラスだったのに、私の名前覚えてないの?」
「しょうがないだろ。興味なかったんだから、そういうの」
「ふーん。いくら無関心だからって、それはないよね。たまーにお昼一緒する仲なのにさ。CAT仲間なのにさ」
「お前が勝手に言い出したんだろ……」
「あーっ、ひどい! その言い方はない。そりゃ確かに、私がネクを振り回してたところはあるかもしれないけどさ。やっぱり、イヤだったんだね。ごめん」

ぺこりと頭を下げると、ネクは気まずそうに目を逸らした。
ネクをいじめるのもこれくらいにして、私は笑いかけた。
「ごめんごめん、冗談だよ。私の名前は ユウだよ、ユウ。ネクも私のことはユウって呼んでね」
「わかったよ。……ユウな」