子供扱い

 先日から主の様子がおかしい。
 ふと視線を感じて振り返れば、お顔を赤くした主がいて、恥ずかしそうにそっぽを向かれてしまう。これはもしや……と思い、初期刀の歌仙兼定に相談することにした。
「歌仙、いるか」
 障子越しに歌仙を呼んだが、返事がない。おや……と思い障子を開けたが、留守だったらしい。ちらりと文机の上を見てみると、『かせんかねさだのばしょ』と平仮名で書かれた厚紙は、『ちゅうぼう』を指していた。これは刀剣男士が不在の時に、主が探しやすいようにと各々が自主的に部屋に置いた代物だ。主が審神者になられた頃は、まだ平仮名しか読めなかったので、平易な言葉でわかりやすく本丸の場所を書いたものだ。絵心のあるものは、文字だけでなく絵で表現している看板もある。ちなみにこの平仮名で書かれた看板は、俺の部屋にもある。何かと役に立つのだ。
「厨か」
 俺は障子を閉めて、厨に向かった。
 そろそろ夕餉の仕込みが始まっている頃だろう。歌仙に二人で相談したかったが、そういえばあいつは今日厨当番だった。ついでに手伝ってやるとしよう。こう見えて、俺は料理が得意だ。元々料理はそこまで得意ではなかったが、幼い主に苦手な野菜を食べて頂くために、料理には腐心した。
 などと考えていたら、不動が通りかかった。
「よう、へし切じゃん。どこ行くのさ」
「厨だ。歌仙に用があってな」
「へえ、厨?」
 俺が厨に行くと聞いて、不動は何やら面白いことを聞いたかのようににやりと笑った。
「なんだ。その顔は」
「今行くと面白いものが見られるよ! 何かは見てのお楽しみってね」
「面白いもの?」
 不動は「じゃーな」と軽く手を振って、その場を後にした。面白いもの、はて何のことだろう。
 見当もつかぬまま、俺は厨にたどり着いた。
「はっ、長谷部!?」
 なんと厨には割烹着を身に着けた主がいらっしゃった。俺を認めた途端、顔を赤くしてぷいっとそっぽを向いてしまった。やはり嫌われたのだろうか。
「やあ長谷部。どうかしたのかい?」
 主の傍についていた歌仙が、主に「包丁を持ったまま振り向いては危ないだろう」と声をかけながら、俺に尋ねる。
「お前に用があってな」
 歌仙に話しかけながらも、俺の視線は主に向いてしまう。主は意地でも俺の方を見てはくださらないらしい。耳まで赤く染めて、包丁を持ったまま微動だにしない。
「僕にかい? 何の相談だろう」
 近頃主の様子がおかしいのだが……とは、さすがの俺も主が傍にいる状態ではできない。
「いや、後でいい。俺も手伝うぞ」
「ああ、助かるよ。何せ今日は主の花嫁修業も兼ねているから、時間がかかりそうでね」
「歌仙っ!」
 泡を食った様子の主が、歌仙を振り向く。そして歌仙は
「だから包丁を持ったまま振り向いては危ないだろう。指を切ったらどうするんだい」
 とまた主をたしなめている。
「花嫁、修行?」
「ああ。主が急に僕に相談してきてね。花嫁さんになるにはどうしたらいい? と」
 なんだか既視感のある話だ。以前歌仙に好き嫌いをしては淑女──もといお姫様──になれないよと言われ、意気消沈していた幼かった頃の主を思い出した。それを慰めて差し上げたのが、他でもない俺だ!
 しかし、花嫁修業? まだ主は十歳なのに、気が早いのではないだろうか。
「主の御年で花嫁修業はいささか早すぎるのではありませんか。まさか意中の人がいらっしゃるのですか?」
 もしもそうならすわ大変。主の意中の人物が誰なのかを知り、ご挨拶に行かなければなるまい。いやそもそもその相手は主にふさわしい人間なのかを、俺は見定める必要がある!
「はっ、長谷部は……」
「はい?」
 主はしばらくゆでだこのように顔を真っ赤にさせて、口をぱくぱくしてから、言った。
「長谷部の、ばか!」
「も、申し訳ありません」
 よくよく見れば、主は眦に涙をためて、泣くのをこらえている。いかん、これはまずい。歌仙は目を瞬かせて俺と主を交互に見ている。
 そもそも歌仙に主の様子がおかしいことを相談したいのは、理由があった。
 先日主に「恋をしてみたい」と俺にしつこくねだられ、その時俺は主の頬に接吻をした。まだまだお子様の主に恋は早いから疑似恋愛はここまで、の合図のつもりだった。
 その日から、主の様子がおかしくなった。以前は俺にもよく懐いてくださり、相談事も持ち掛けられていたので、頼りにされていたはずが、あからさまに避けられるようになった。
 あの接吻が悪かったのは一目瞭然だった。だから先日の接吻の件を知っている歌仙に、どうお詫びすれば主のご機嫌が直るか、相談したかったのだ。
 困ったことになった。もしも俺の予想が正しければ、主の意中の人物は……。
「長谷部のばか……っ」
 主の手がぽすんと俺の胸板を叩く。
「子供扱い、しないでよぉ……」
 絞り出すような泣きそうな声で、主が呟く。
「も、申し訳ありません。謝りますから、泣かないでください」
「泣いてないっ!」
 俺のとりなしに主が間髪入れずに泣き叫ぶ。
「は、はい」
 ぐずっと鼻をすする主のご様子が痛々しい。こんな時どうしたらいいだろう。主を泣かせるなど、いつ以来だろうか。
 困り切った俺と主の間に、そっと懐紙が差し出された。歌仙が懐から取り出してくれたのだ。
「ほら、これで顔を拭くといい。僕はこの朴念仁と話してくるから、君も少し落ち着いておいで」
「うん、うん」
 主はぐしゃぐしゃになった顔を見せまいと、手で隠しながらもう片方の手で歌仙から懐紙を受け取った。
「長谷部」
「ああ……」
 俺は渋々と歌仙に続く。歌仙は厨にいた堀川に「主と鍋を頼むよ」と言いつけ、堀川は「はいはーい」といつもと変わらぬ様子で返事をする。そして「主さん、大丈夫ですか?」と優しい声音で主に尋ねる堀川を背後に俺達は厨を出た。
 少し歩いて廊下の角で、歌仙と二人きりで立ちながら、こそこそと相談することになった。
「君ね、さすがにあれはないだろう」
「待て。俺は主を傷つけるつもりはなかった! 誓って!」
 いきなり始まる歌仙の説教に、俺は慌てて抗弁する。主の気持ちに、今の今まで気付いていなかったのだ。
「君が主に接吻してから、ずっと主は君のことを異性として意識しているじゃないか。見ればわかるだろう」
 呆れた様子で歌仙が言う。
「いや……、嫌われたんだと思った。好きでもない男に、いきなり頬とはいえ接吻されて、それで俺のことを嫌いになって遠ざけているのだと」
「主は優しい性根の子だよ。そんなことをするわけないじゃないか」
「そうだな。そうだった」
 歌仙がやれやれと言った様子で、首を振る。確かに主は機嫌を損ねていたとしても、不得手な相手だったとしても、分け隔てなく対応できる優しい方だ。それを嫌われたなどと思い込んだ俺が悪かったのだ。
「つまり、主は」
「ああ」
 俺の問いに歌仙は頷く。
「君に懸想しているね。間違いなく」
「そう、か」
 嫌われたわけではないならよかった。しかし、まさか主が付喪神の俺に恋をされるなどとは、予想外だった。これはこれで困ったことになった。
 俺は主のことを深く愛している。しかしそれは情欲とか男女の恋とかそういったものではなく、父性愛に近いものだと思う。
 そして何より、俺は主に“人として”幸せになってほしいと思っている。神だらけの閉じられた本丸という空間だけではなく、もっと外の世界を知って、もう少し成長してから人間同士で恋に落ちてほしい。そして俺はそんな主の変わらぬ居場所でありたいと思っている。
「君のその顔を見るに、脈なしというやつかい?」
「俺は……、こんなことを言ったら不敬かもしれないが、主のお父様代わりとして、主を見守っていたいと思っている。主がもう少し成長したら、本丸の外に出て、色んな人間に出会って、恋に落ちて……。俺は主が悩める時も健やかな時も、いつもお傍にいたいと思っている」
「その言い方では、まるで婚儀の際の宣誓のようだね」
「ち、違う! 今のは言葉の綾というものでっ」
 歌仙がくすくすと笑う。
 恋、とはどんなものなのだろう。俺は主しか今まで見てこなかった。演練や政府の施設で人間と出会う機会もあったが、人見知りをした主をなだめすかすのに手いっぱいだった。しかし俺にすがる主の小さなお手を生涯守りたいと思ったのも事実で……。ええい、この感情は果たして父性なのかそれとも恋慕の情なのか。いやそもそも主は恋するにはまだまだ幼すぎるのだ。
「君も恋をするには、まだまだ子供のようだね」
「俺を稚児扱いするな」
「父性感情と恋愛感情の違いもわからないなら、まだまだ子供さ」
 歌仙がにやりと笑ってみせる。うっ、確かにそうかもしれない。
「まあ今すぐに答えを出す必要はないさ。主だって気まぐれなところがある。もしかしたら君への感情もある日急に変わっているかもしれない」
「そうか……」
 それはそれで少し寂しい。いや、臣下として邪な感情を抱くのがそもそも間違っている。気を付けねば。
「僕は厨に戻るけれど、君は部屋に戻るといい」
「しかし」
「なに、主には僕と堀川からうまく言い含めておくから、心配しない」
 自分に任せろと己の胸を叩く歌仙に、俺は不承不承頷いた。
「お前がそう言うのなら」
 そして俺は自室に下がった。特段要件もなかったので、本でも読もうとしたが先程の泣き顔の主が思い出されて全く読書に集中できなかった。



 そして、日も落ち夕餉の刻限になった。
 大広間に向かうと夕餉が用意されていた。俺が空いた席を探していると、「長谷部」と歌仙が手招きする。歌仙の隣には主が座っていた。その目元は赤く染まっている。
 俺のせいで泣かせてしまったことが胸を締め付ける。本当に申し訳ないことをしてしまった。
 歌仙は黙って空いている主の隣を指す。俺は居心地悪く、そこに収まった。
「いただきますっ」
 主がよく通る声で告げると、一斉に夕餉が始まる。
 俺は肉じゃがに箸を伸ばし、じゃがいもをほぐして一口食べる。うむ、よく味が染みていて旨い。
「は、長谷部っ」
 主がおずおずと声をかけてくる。
「はい」
「そのじゃがいも、私も切ったんだよ」
「左様ですか」
「おいしい?」
 主が不安そうに俺を見上げる。
「はい……とてもおいしいです」
「よかった」
 安堵した様子で主が笑う。久しぶりに主が笑っている顔を間近で見られて、俺も自然と口元が緩む。
「ねえ長谷部」
「なんでしょう?」
「その、最近長谷部を避けたりしてごめんね。歌仙から聞いたよ。そのせいで長谷部、私から嫌われたって思ってたんでしょ?」
 嚥下しかけたじゃがいもを吹き出しそうになる。歌仙め、そんなことまで赤裸々に話していたのか!
 さてそんな歌仙はというと、素知らぬ顔で汁物をすすっている。
「いえ、俺の方こそ主に、その、接吻などしてしまって申し訳ありません! 無体を働いた俺をどうぞお許しください」
「や、やだ長谷部……違うよ。私、長谷部に怒ってなんかないよ……。むしろ、嬉しかったの」
「嬉しかった?」
「私のことを女の子として扱ってくれたの、長谷部が初めてで嬉しかったんだ。ほんとだよ?」
「何を言っているのですか。主はずっと、“お姫様”ですよ」
「長谷部ったら」
 くすくすと二人で笑い合う。どうやら丸く収まったらしい。
 俺と主の関係がどうなるのかは、俺にもわからない。主にだってきっとわからないだろう。
 けれど、この笑顔を守り抜きたいと、俺は思うのだ。


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2023年4月7日

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