見知らぬ街の人々

「はぁ……はぁ……」
 長谷部は帳の落ちた政府の施設内部の書庫で、荒い息を吐いていた。
 油断した。歴史修正主義者と内通している審神者を、密かに暗殺せよと政府から命令が下っていた。タイミングはその審神者が政府の施設にやってくる瞬間。そう言われていたのに──。
「くそっ!」
 長谷部は脇腹を抑える。そこはぱっくりと開かれ、血がじわじわとにじみ出ていた。
 政府はその審神者に、刀剣男士の同伴を許可しなかった。しかし政府の思惑に気付いた審神者は、味方を──、時間遡行軍と化した刀剣男士の成れの果て共の大軍を引き連れて、政府に押し入ったのだ。
 長谷部の練度は上限に達していた。場数も踏んでいた。しかし多勢に無勢で、とっさの襲撃に対応することができなかった。かろうじて脇差二振りを一撃で屠った。だがそこまで。
 不意を突いた短刀の攻撃が、脇腹を貫いた。幸いなことに軽傷だ。しかしそこまでだった。
 この暗殺計画は極秘裏のものだったので、部隊も最少人数に抑えられていた。味方の鯰尾は無事だろうか。
 至急政府所有の刀剣男士の屯所に助けを求めるべきだろう。増援が来るとは思えない。今の時間は深夜二時を回ったところだ。政府施設に役人もいない。この様子では警備の者も殺されているだろう。
「端末……」
 長谷部は思い出し、ズボンのポケットから端末を取り出す。それで屯所に連絡を取ろうと思ったのだ。だが、端末は真っ二つに破れてしまっていた。先程の短刀の攻撃で、破壊されてしまったのだろう。
「くそっ!」
 端末をリノリウムの床に叩きつけたい衝動に駆られるが、音で遡行軍に居場所を知られてはまずい。遡行軍は長谷部と鯰尾がどこにいるかと、探して回っているのだ。壊れてしまった端末は、ポケットに乱暴に突っ込む。
「ここで終わりか……!」
 口惜しい。他の誰もが主を諦めて本霊へ還ったとしても、自分だけは主を待ち続けるのだ。そう心に決めていたのに、こんなところで折れるのか!
 長谷部が生を諦めかけた、その時だった。
『大丈夫だよ』
 耳元で声がした。
「主……?」
 長谷部は見上げるが、真っ暗な天井があるだけだった。他の人間の姿はない。しかし、その声は、その声だけは覚えていた。
 ずっとずっと昔、毎日聞いていた、主の声。
「首落ちて死ね!」
「フェイントに見せかけて攻撃っ!」
「斬撃の大嵐、耐えられますか!」
 書庫の外から怒号が聞こえる。助けが来た……?
 長谷部は刀を取り、書庫から飛び出した。
「長谷部っ無事!?」
 長谷部に声をかけるのは、屯所で顔見知りの大和守安定だ。それに加州も、太郎太刀もいる。
「ありゃ、怪我しちゃってるんだね。大丈夫?」
 返り血で白い衣装を汚した髭切が、長谷部に声をかける。
「お前達……、どうして」
「なんだかねえ、夢に知らない女の人が出てきて、お告げをしていったんだよ。『長谷部達を助けてあげてください』って。人間の祈りには応えなきゃいけないだろう?」
 にこりと髭切が笑う。
「そんな、まさか……」
「二人とも、話は後にして……。今は敵を殺すことを考えよう」
 そう呟くのは小夜左文字だ。小さな身体で敵の太刀の首筋に自身の短刀を突き刺し、的確に折っていた。
「ああ……!」





 突如やってきた救援により、時間遡行軍と審神者は処理された。幸いにも鯰尾藤四郎も長谷部も軽傷で済んだ。
「お前達、助けてくれたこと、礼を言う。それにしても、よくここがわかったな。屯所からここまでは距離があるだろう」
 長谷部が皆に問いかけると、加州が口を開いた。
「さっき髭切が言ってたのと、俺も同じ夢見てさー。知らない女の子が俺に言うんだよ。長谷部達を助けてって」
「僕もそうだよ。清光と同時に夜中に目が覚めて、同じ夢見たことを話していたら嫌な予感がして」
 安定が言う。
「私も同じ夢を見ましたよ。そしてあなたが今晩密命を受けていたことを思い出し、念のため施設を訪れたのです」
「僕もそうだよ。復讐じゃなくて、誰かを守りたいという気持ちが、その女の人から伝わってきたんだ……」
 安定の言葉に太郎太刀と小夜左文字も同意する。
「もしやその女性というのは、黒髪で背中にまで届く髪を、花の模様のバレッタでまとめていなかったか? 青いスカートを履いた……」
 長谷部は一縷の望みを託して、皆に問う。長谷部が最後に見た、主の服装だったのだ。
 それに対して、皆頷いてみせた。
「確かにそんな恰好だったよ。髪も綺麗にバレッタ? っていうの? なんかパッチンって止めるやつで、まとめてた」
 安定が頷く。
「お前バレッタも知らないのかよ。なんだよ、パッチンって止めるやつって」
 加州がからかい、「そんなの知らないんだから仕方ないだろう」と安定がむくれる。
「長谷部さん、泣いてるの……?」
 小夜が心配そうに長谷部を見上げる。長谷部は静かに肩を落とし、右手で顔を覆っていた。
「ありがとう……」
 長谷部の呟きが、静まり返った施設の中で響いた。





 後日。昼。
 長谷部は屯所内の自室の窓際に置かれた椅子の上で、寛いでいた。先日の強襲で負った傷は癒えている。少し開いた窓から桜の花びらが、ひらりと机の上に舞い落ちた。長谷部はそれを指で掬い取り、笑う。
「主はこの花がお好きでしたね」
 この部屋には長谷部一人しかいない。しかし長谷部は語りかける。
「主はずっと、俺達を傍で見守っていてくださったのですね。気付かず申し訳ありませんでした」
 風でカーテンがはためくのを、長谷部は見やる。そこに主の影が見えた気がした。
「俺はあの時、主を待つと決めた自身の覚悟さえ果たせぬまま、折れるのだと思っていました。そして今も正直、迷っております」
 ぎゅっと長谷部が目を閉じる。
「本霊に戻るかどうか」
 カーテンが風にあおられてパタパタと音を立てる。
「主は、転送門のバグで、亡くなってしまったんですね」
 長谷部は右手で顔を覆い、伏せる。
「今の俺を現世に引き留めているのは、主が戻られるのを待つためでした。ですが、今となってはもう……」
 そう。主は亡くなってしまった。どれほど待っても、主は戻らない。
「主……」
 長谷部は静かに涙を零す。
『頑張って』
 その時、主の声が聞こえた。確かに聞こえた。
「ははっ……」
 長谷部は笑った。涙を流しながら、笑った。
「それは主命ですか?」
 答えはない。しかし、確かに聞こえた。
「主が俺に頑張れというなら、主が俺を見守ってくださるというなら、俺は……」
 長谷部は涙をぬぐい、窓の外を見る。
 眼下には人々が行きかう光景が見えた。
 長谷部は決意した。主がお傍にいてくださるなら、この見知らぬ町の人々の中で、生きてゆこうと。






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2023年2月20日

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