三年越しの桜よ 第四話

霊力

 耳鳴りが、する。

 今日も本丸には朝が来る。名前の願いに応じ、長谷部が本丸にやってきてから三日が経った。長谷部は近侍として名前に朝の挨拶を行うため、早めに起きている。

 一つ問題があった。長谷部はひそかに耳鳴りに悩まされていた。眠りに就こうとしても耳鳴りのせいで眠ることができず、やっと眠ることができてもうつらうつらと浅いものだった。そんなことが三日間続いている。長谷部は己の身体を思うように動かせなくなり、目元に薄いクマができてしまった。だから今目の前にいる長谷部の世話係の歌仙が、怪訝そうな顔をするのも無理からぬことだった。

「ひどい顔じゃないか」

 顔を合わせた歌仙が顔を顰める。本来なら朝の挨拶を交わしたらすぐに名前の執務室に向かう予定だったが、長谷部の憔悴した様子を見かねて歌仙は声をかけてきたらしい。

「そんな顔で主の近侍が勤まるのかい?」
「……いや問題ない。大丈夫だ」
「主も君を心配していたよ。君が随分疲れているようだから、気にかけるようにと。どうして君じゃなくて僕に聞いてくるんだろうね」
「主が?」

 それはまずい。主に余計な心配をさせては申し訳が立たない。長谷部はしゃんと背筋を伸ばす。

「もう一度顔を洗ってくる」
「そういう問題なのかい? もう目は覚めているんだろう」
「そうだが……、顔を洗えば少しはましになるかもしれない」
「わかった。待っているよ」
「ああ」

 長谷部は急いで洗面所に向かう。先程洗面所で顔を洗ったばかりなのに、何故またとんぼ返りする羽目になるのか。名前の元に行く時間が遅れてしまう。



 どういうことだ。

 長谷部は混乱していた。かつて政府にいた頃はこのような失態などありえなかった。政府の任務で四日間不眠不休の潜入捜査に参加したこともあるが、ここまで眠れないことが堪えるとは思わなかった。

 洗面所は混みあっていた。長谷部は先程せっかく早起きして洗面所を空いている時間帯に利用したのに、と内心ため息をつきながら、本丸の面々に声をかける。

「お早う」
「おはようございます!」
「おはよう」

 長谷部が声をかけると、様々な声が返ってくる。

「おはよう。どうした? 顔色が悪いじゃないか、新米近侍君」

 不遜な笑みで近付いてきたのは、山姥切長義だった。

「おはよう。放っておいてくれ、すぐ治る」
「へえ……」

 長谷部は不機嫌さを押し隠すこともできず、長義から背を向けようとした。
 慣れない業務、慣れない本丸、慣れない刀剣男士達、そして寝不。あらゆる事柄のせいで長谷部は少し疲れていたのだ。

 だが長義は長谷部のそっけない返しを気にする様子もなく、長谷部の肩を掴みわずかに隈の浮かんだ顔を覗き込む。

「なんのつもりだ」

 長谷部はそんな長義の視線が不快で肩に置かれた手を振り払おうとするも、寸前であっさりと放された。当の長義はやれやれとでも言いたげに首を振っている。

「眠れていないのだろう?」

 長義はずばりと長谷部の体調不良を言う。

「だったらどうした、業務に支障は出さん」
「耳鳴りが気になる、かな?」
「は?」

 長義は長谷部の耳を指し、確信を持って言い切った。己の内心を見透かされた長谷部は、すぐに反応できなかった。そんな長谷部の様子を肯定と受け取り、長義は頷いた。

「ああ、やはりな。その問題は主に会えば解決できる。共に行くとしよう。だがまずは顔を洗ってからだ」

 長義は空いた洗面所にすっと身を寄せる。

「その話、僕も同行していいかい?」

 と、背後から誰かが軽い調子で長谷部の肩を叩く。振り返ると丸眼鏡をかけた癖のある長髪の男がいた。彼も同じく洗面所を利用するようで、手ぬぐいを持っていた。

「初めまして。へし切長谷部、と言ったかな? 僕は南海太郎朝尊。朝尊、とでも呼んでくれたまえ。彼と同じく政府所属の刀剣男士だったものだよ」
「へし切長谷部だ。元政府所有……。よろしく」

 長谷部は驚いた。本丸に来てもう三日経つのに、まだ顔を合わせていない刀剣男士がいたのか。長谷部は朝尊と名乗る刀剣男士のことは初見だった。長谷部の視線に気付いた朝尊が、「ああ」と柔和に笑う。

「僕はここ数日遠征任務で出払っていたからね。先程主に報告書を提出して、やっと任を解かれたというわけさ」
「それで俺についてきてどうするつもりだ?」
「面白い記録が取れそうだからね」
「俺の寝不足がそんなに面白いか?」
「いやそうではない。君の身に起こる耳鳴りという現象は、とても興味深い。ぜひ詳しい症状を聞かせてもらいたいんだ。……今政府は戦力を出し惜しみせず、我ら政府所属の刀剣男士の本実装を進めている。政府所属の刀剣男士は、今後も増えてくるだろう。政府所属の刀剣男士を本丸に迎え入れた時、君と同じような症状を訴えるものが出てくるはずだ」
「意味が分からん。俺が政府所有の刀だったから、耳鳴りが起こるのか?」
「恐らくはそうだね」

 意味深に頷く朝尊に長谷部は付き合っていると、長義が戻ってきた。二人の話が聞こえていたらしく、長義も言及する。

「俺はこの本丸に配属されてからしばらく、耳鳴りが止まずに難儀したからわかる。そこの彼もだ。そうだろう?」

 長義が指した先には、むっすりと唇を真横に引き結んだ釣り目の少年がいた。首に白い布を巻きつけ、それが腹辺りまで垂れている。彼も長谷部は見たことのない刀剣男士だった。

「なんだよ。ジロジロ見んなよ。……で、あんたが新人か」
「ああ、へし切長谷部だ。よろしく」
「どうも。肥前忠広だ」
「肥前君も僕と同じく元政府所属の刀剣男士さ」
「そうか。ところで政府の所有と所属では何が違う? 昨日もそこの長義に言われたが」
「ああ、そのことか。僕が説明しようか」
 朝尊がすす、と一歩前に出て眼鏡の位置を人差し指で調整する。その表情は少し嬉しそうだ。
「僕ら政府所有の刀剣男士は、公式に実装されていない刀剣男士のことさ。歴史修正主義者共との戦に加担することは決定しているが、政府君から正式な実装許可が出ていない刀剣男士の総称さ。おおくは先行調査員や監査官などとして働くことになる。まあ言うなれば主を持たない実験体、のようものかな」
「俺達以外にも政府所属の刀剣男士は存在するが、秘匿事項の為これ以上は話せない。ちなみに政府所有の刀剣男士は、既に政府から実装された刀剣男士で、政府が顕現したものを指す、新入り近侍君のように」
 長義が補足する。その言い方が気に障り、長谷部の疳の虫が騒ぎそうになるが自制心で押さえつける。が、しっかり顔に出てしまっていたようだ。
 長義が鼻で笑う。

「恐らく新入り近侍君と同じ名の刀剣男士も複数存在したのではないか? それは同じ資源配合で鍛刀しているからだ。だから政府所有の刀剣男士は打刀が多く存在すると聞いたことがある」
 長義の言葉を聞いて、理解する。つまり目の前の政府“所属”の自分達は特別で、政府“所有”の俺は量産型の刀剣男士だと言いたいのだ。今度こそ疳の虫がわっと騒ぎ立てる。普段の長谷部であれば笑っていなせる安い挑発だったが、残念ながら今の長谷部は気が立っていた。
「己の出自が特殊だから何だ。結局のところ此度の戦に政府陣営として参戦することを決め、政府の許可で実装されたことに変わりはないだろう?」
 長谷部は傷つけられた自尊心を怒りに変換し、感情のままに長義の胸ぐらをつかみ上げようとした。しかし長義の手が寸前でそっと長谷部の手を止める。
「そうだな。変わりない。それは新入り近侍君も同じだ。お前が主たっての希望でこの本丸に迎えられたと聞いているが、立場は俺達と同じだ。肝に銘じておくといい、へし切長谷部」
 トン、と長義の黒手袋の指先が長谷部の胸を叩く。
「……それはわかっている。本丸に来た当日に、主にもご指摘頂いた。肝に銘じておく」

 こめかみを押さえながら、長谷部は精一杯答える。先程から耳鳴りがひどくなってきていた。長義と問答に割く余裕すらなくなりつつある。目の前の長義に八つ当たりすることなど、長谷部には到底できなかった。
 長谷部の反論を待っていた長義が、目を見張る。
「そうか。よほど辛いようだな。では執務室に行くとしようか」
 長義がストールを翻して、執務室に向かう。
 なんとも自分本位な行動に長谷部は振り回されてばかりだったが、渋々と後に続いた。南海と肥前もそれについていく。




 長谷部達四人は執務室に到着する。長義が執務室に声をかけようとするのを止め、長谷部はん、んと喉の調子を整えて口を開いた。
「主、お早う御座います。長谷部です」
「おはよう、どうぞ」
「失礼致します」
 名前の許しを得た長谷部は静かに障子を開けた。執務室では既に業務が始まっていたようで、歌仙と名前が大きな座卓の上で書類を広げていた。名前は長谷部以外にも三人も刀剣男士が入ってきたことに驚いたようだった。
「どうしたの? 何かあった?」
 長谷部達に座布団を進めて名前が声をかける。四人はめいめいに座布団を広げて座卓を囲んだ。
「どうも新入り近侍君の調子が悪いようでね、直してやってはくれないか」
 長谷部が口を開く前に、長義が端的に事態を説明する。名前は歌仙から事情を聴いていたようで、戸惑うことなく頷いた。
「そう……。不調が続くのは辛いね。何があったの?」
 きちんと正座した名前が長谷部を気遣わしげに見上げる。くりくりとした目に射抜かれ、長谷部はわずかにたじろいだ。が、それも一瞬のこと。すぐに気持ちを持ち直してしゃんと背筋を伸ばす。
「い、いえ。実はこの本丸に来た当初から、耳鳴りがしておりまして」
「耳鳴り?」
 名前が身を乗り出す。
「はっ……。甲高い音が四六時中耳の奥で鳴り響いており、寝つきの悪い日が続いているのです。先程山姥切らに主であれば解決して頂けるとお聞きしたのです」
「そうだったんだ」
 名前が頷き、そして言った。
「じゃあ私と一緒に寝ましょう」
「は?」
「えっと、誤解しないでね! 邪な気持ちで言っているわけじゃないから」
「はあ」
「長谷部の耳鳴りの原因は、多分私の霊力と長谷部が上手く繋がっていないから。あなたに私の霊力を供給しようとする管のようなものがあるとして、その管があなたに上手く繋がっていなくて、隙間から雑音が発生しているような状態。こういうことが前にもあって、同じような対処方法で治まったの」
「そういう、ものなのですか」
「これは政府の遣いから正式に頂いた対処法だから安心して! 本当に違うから! 寝てる長谷部に変なことしようとか、全然思ってないから!」
 ばたばたと手を振りながら、名前が言葉を重ねる。長谷部が唖然としていることも相まって、名前は恥ずかしがっているようだった。そんな名前の初心な反応を、長谷部は微笑ましく思う。

 一人動揺する名前を置いて、長義が鷹揚に頷く。

「俺がこの本丸に招かれた当時も、似たようなことが起きた。十日くらい隙間風のような音が耳元で響き続けたが、主と共寝をした途端、ぴたりと止んだかな」
「共寝なんて人聞きの悪いことを言わないで! 同じ部屋の違う布団で寝ただけでしょ!」
 名前が憤慨しながら否定する。
「おれもだよ。耳元で鈴鳴らされてるような音がずっとしていて、鬱陶しかった。一晩同じ部屋で寝たら治まったが、あん時ゃ参ったぜ」
 肥前のアンニュイな声が補足する。

「長義より肥前の方が重症だったね。戦闘どころじゃなくて、ノイローゼ状態だったから」

 名前は肥前が顕現された当時のことを思い返す。肥前の視線は音源を探すために忙しなく宙を泳ぎ、目の下には隈が刻まれていた。肥前本人も何が自分を苛んでいるのかわからなかったため、原因を取り除くのに時間がかかってしまった。

「あいにくと僕はそういった症状にはならなかったけれど、実に興味深い。後で記録を取らせてもらってもいいかい?」

 南海が興味深そうに目を輝かせて、長谷部に問いかける。

「別に構わんが……」

 長谷部は南海の言わんとすることがよくわからないながら、名前の目がある手前事を荒立てたくなかったので、不承不承頷いた。

「『邪な気持ちで言っているわけじゃない』、ね」
 長義が人の悪い笑みを浮かべて、名前の言葉をなぞるように言う。
「お願いだから茶化さないで。私は真面目に言っているのに」
「そうか」
 顔を真っ赤にする名前を、長義が愉快そうに唇を上げる。今までずっと澄ました顔しか見せなかった名前が、赤面するところが面白いようだった。
 それは長義だけでなく、今執務室にいる全員が同じようだった。
「……長谷部がもしも嫌だったら、政府に問い合わせして他に方法がないか聞くから言って」
 好奇の視線に晒された名前が、耐え切れずに口を開いた。
「いえ、政府の対処法で間違いないのであれば、俺はそのやり方で問題ありません」
 慌てて長谷部が首を振るが、名前は座卓に突っ伏してしまった。

 そして通常の業務が始まり、やがて夜になった。





 再び長谷部が執務室を訪れた時は、夜の帳が落ちていた。昼間賑やかだった廊下は静まり返っている。照明によってほの明るく照らされていた執務室の障子に、長谷部は声をかける。
「失礼致します、長谷部です」
「どうぞ」
 名前の声が返ってきた。
 しかし、長谷部はそこで困惑し、立ち尽くした。主には寝間着のままに言われていた。「布団もこちらで用意するから、お風呂から上がったら来てね」とのことだったが、果たして夜半に女人の元へ俺一人で訪れてもよいものか。
 そう思い、障子を開けるべきか否か迷っていた。

 すると障子が開かれる。そこには何故か湯帷子を着た歌仙兼定が顔を覗かせた。

 長谷部は訝しむ。

 何故だ。あの時主に呼ばれたのは俺だけのはずだ。

 長谷部は反射的に、名前に届かないよう小声で凄んだ。
「何故貴様がここにいる?」
「僕だって好きでいるわけじゃないさ。君が一人でここにきて不安がらないようにいてくれと、主に言われたんだ」
「主が?」
 すると歌仙の背後からひょこりと長義が顔を出す。彼は淡い水色のパジャマ姿だった。そして長義の横に機嫌よさそうな南海と、不機嫌そうな肥前もいる。朝の始業の際に執務室にいたメンツが勢ぞろいしていた。

「そうだ。『邪な気持ち』じゃないことの証人として、俺達も同衾することになった」
「長義、しつこい!」
 長義が笑いながら言うと、名前の鋭い声が飛んできた。
 顔を赤く染めた名前が、怒り顔でやってきた。彼女は湯帷子を着て、羽織を肩にかけていた。
「まさか長義がここまでしつこい性格だとは思わなかった!」
「それは失礼」
 名前の嫌味を全く気にした様子もなく、長義が肩を竦める。それに気分を害した名前だったが、部屋の前で立ち尽くす長谷部を見て、困ったような顔をしてみせた。
「長谷部ももしかしたら長義に色々言われることがあるかもしれないけど、元々こういう性格の子だから気にしないであげてね」
「なんだ、その言い草は。まるで俺が幼子のようじゃないか」
「それじゃあ長谷部、入って。もう布団は敷いてあるから」
 長義の反論を聞き流して、名前が長谷部に執務室へ入るよう促す。
「はっ、承知しました」
 ここにきてやっと長谷部は肩の力を抜くことができた。他の連中がいるのは少々癪だが、無理に気を遣う必要もなくなったのだ。
 すっと敷居をまたぎ執務室に入ると、普段執務室の真ん中を陣取る大型の座卓は脇に畳んで片付けられ、五人分の布団が敷かれていた。その内の一つだけが衝立で仕切られ、ぽつんと敷かれている。
 恐らく名前の分だろうと長谷部は踏む。
「長谷部は衝立の奥の布団を敷いて。私達はこっちの方を使うから」
「え?」
 五人の刀剣男士の声が重なる。
「だって私が邪な気持ちじゃないことを証明するためにわざわざ衝立を用意したんだから、長谷部にはそこで寝てもらわないと」
 当たり前のように言う名前に、刀剣男士達はそれぞれに考え直せと説得にかかった。
 男四人に囲まれて寝るなどおかしいとそれぞれに指摘するが、名前は
「でも長義や肥前の時は間違いなんて起きなかった」
 と譲らない。異性に挟まれて眠ることの危険さを、名前は全く理解していなかったし、刀剣男士達に絶大な信頼を寄せている名前にとって、彼らを警戒するなどということは思ってもみなかったのだ。
 暫し名前を説得するために議論が続いたが、
「そもそも俺は保護されなくとも自分の身は自分で守れます!」
 当の長谷部本人の言により、名前は渋々衝立の奥の布団を使うことに決めた。ちなみに刀剣男士達は、衝立のすぐ隣の布団から長谷部、南海、歌仙、長義、肥前の順で寝ることになった。

 さて布団の順番が決まった所で、もう遅い時間になっていたので、皆すぐ布団に入り明かりを落とした。
 障子が月明かりにぼんやりと青く照らされている。
 とはいえ、皆まだ先程の議論で興奮冷めやらぬ様子であった。
「長谷部はどう? もう本丸には慣れた?」
 名前が衝立越しに声をかける。
「はっ、お陰様で順調に慣れてきております」
「長谷部が上手くいっているのは僕の指導の賜物だよ」
 二人のやり取りを聞いていた歌仙が口を開く。衝立越しの会話なので実際には見えないが、歌仙の誇らしげな顔が名前の脳裏に浮かぶ。
「はいはい、さすが歌仙ね」
「君ね、僕の指導力を侮っているだろう。いいかい、僕は日々君の近侍に恥じぬよう努力しているんだよ。それに今日は忙しかったが夕餉の仕込みも手伝ったんだ。君がおいしそうに頬張っていた蓮根の天ぷらだって、僕が揚げたんだからね」
「そうだったの。あれはおいしかったよ。皆は何がおいしかった?」
「俺も蓮根の天ぷらが美味でした……。ところで主、俺も夕餉の仕込みを手伝ったのですよ」
 そっと長谷部も己の功績を会話に挟み込む。
「そうだったんだ。忙しいのにありがとう、長谷部」
「俺は畑で一日を費やした」
 と長義が言う。
「畑当番お疲れ様、長義。南海たちは……」
 名前は順々に今日一日の出来事を聞いていく。皆自分の持ち場について、真面目に仕事をこなしていたようだ。それぞれに労いの言葉をかけていく。
「長谷部はどう? 政府の仕事と本丸では全く違うでしょ」
「はっ……」
 そこで長谷部は口をつぐんだ。政府を出る時、役人や政府付きの管狐から、緘口令を敷かれていたからだ。主の命とどちらを優先すべきか、迷ってしまったのだ。
「政府にいた頃は、馬当番や畑当番などなかったから、俺は慣れないな」
 長義が代わって答える。具体的な仕事内容ではなく、そういった当たり障りのないことを離せばよいのだと、長谷部もようやく気が付く。
「そうですね……。屯所内の食堂を使っていたので、自分で料理をする機会もありませんでした」
「食堂なんてあるの?」
「ええ、専門業者が入っていて、毎日朝昼晩と食事を用意するんです。あまり美味くなかったようですが」
「何故自分の食事なのに他人事なんだい?」
 歌仙が首を傾げる。
「食堂とコンビニ以外で食事を取ったことがなかったから、上手いか不味いかなど考えたことがなかった」
「コンビニ?」
 名前が素っ頓狂な声を上げる。まさか長谷部がそこまで現世になじんでいるとは思わなかったのだ。
「そうだね、僕たちもコンビニはよく利用したよ。いつでも開いているし、色んなものが置いていて便利な所だね」
 と南海がにこにこと話に入る。南海だけでなく長義や肥前も頷いていることから、政府にいた経験のある刀剣男士にとって、コンビニは身近な物のようだった。
 それからしばらく政府での食事について、皆で語った。基本的に和洋折衷でなんでも出てくるが、養殖より和食の方がまあ食えるとか、サバの味噌煮を頼んだらパックに入ったレトルトの物でがっかりしたとか。
「ですので、魚を一から調理する本丸の魚料理は、殊更美味に感じます。調理の手間はかかるでしょうが……っ」
 そこで長谷部が黙り込む。
 先程までずっと鳴り響いていた耳鳴りが唐突に止まったのだ。そして、猛烈な静けさがざわざわと長谷部の背筋を駆けあがる。

 泣きたくなるような懐かしい匂い。ともし火のような、頼りなくも確かに存在する温かさ。そんな不思議な心地よい温かさが、長谷部の全身を包み込む。

「来たようだね」
 長谷部の隣に寝ていた南海が、興味深そうに顔を覗かせる。
「なん、だ。これは」
 長義が体を起こしていた。彼もまた今の長谷部と同じようなことを経験したのだろう。
「それが審神者の刀になるということだ」
「長谷部、今あなたの身体に私の霊力が繋がるようにしているの。どう? 違和感はない?」
「は、い……」

 とろとろと長谷部の瞼が下りていく。
 名前は長谷部の返答が少しずつ緩慢になっていくことに気付いた。長谷部の眠りが近いのだ。

「長谷部、おやすみ」
「おやすみ、なさい、ませ」

 長谷部はそう言うので精いっぱいだった。名前に応えるや否や、すぐに意識を手放した。


「寝た?」
 名前が尋ねると、
「眠っているようだ」
 南海が答えた。
「そう。これで一安心ね。明日の状態次第だけど……よかった」
「明日も共寝にお邪魔する、なんてことにならないようにしてくれよ」
 歌仙が苦笑する。
「だから共寝じゃないって……」
「しーっ」
 むきになって言い返そうとする名前に、歌仙たちが人差し指を立てた。長谷部が眠っているから静かに、ということだ。
「俺達も眠るとするか」
「そうだな」
「おやすみなさい」
 残りの五人の声が重なり、それぞれに布団を肩までかぶる。
 夜の時間は静かに過ぎていった。




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2020年9月6日

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