今回は世界観考察その1の補足編です。
ソウルとイマジネーションの関係は、その1で申し上げたのが基本編で、今回は人の成長にソウルとイマジネーションがどう関わっているのかについて、考えていきたいと思います。
そもそも物質には持って生まれたソウルの量があり、自分を構成するためのソウルを新しく生み出すことは、難しいのではないかと思います。
ソウル自体を生み出すことは可能です。
ソウルについて『意思、思考などすべての事象を構成する要素』(1)とあるように、人間が考え事をするだけで、ソウルが生まれます。
思考で生み出したソウルは、自身の中に取り込まれます。
ソウルを自身に取り込むことを、以後成長とします。
成長するためにはソウルを自身で生み出すことでも可能ですが、この世界ではもっと別の方法を推奨しています。
作中で、たびたび他者との交流を推奨する描写が見られます。
『死神と参加者はゲームを通じてイマジネーションを駆使して競うことで互のソウルを高めあう』(2)
『世界ってのは自分に見えてるとこまでしかない。だから楽しむためには、自分が見える世界をガンガンひろげなきゃならない』(3)
『自分ひとりだけじゃいつまでたってもひろがらない。だから…人と関わって世界をひろげていくんだ』(4)
つまり、他者との交流を通し、自分とは全く違う互いのソウルを受け入れ合うことで、人は成長していくのです。
そしてそのソウルを集め、人の形にしているのが、イマジネーションです。
イマジネーションはソウルに形を与えるだけではなく、もう一つ『自分を守る』という大事な機能を果たしています。
私達の周囲には様々な情報(ソウル)が溢れています。
時にそんなソウルの中には、自分にとって有害、不要なものが存在します。
そういった有害・不要なソウルから自分を守る機能がイマジネーションです。
ヨシュアが『人はそれぞれ心のなかに自分の世界…誰も入ることを許さない自分だけの世界を持っているのさ。その世界はその人物の個性という法則で成り立っている。そこではほかの世界の法則は成り立たない』(5)と興味深いことを言っています。
ヨシュアの言う『自分の世界』(5)をソウルとするなら、『その人物の個性という法則』(5)がイマジネーションでしょうか。
私たち人間には、ひとりひとりに個性があります。
他人との交流をしなければ成長できないですが、個性がしっかりしていないと、自分の世界を保つことが難しくなってしまいます。
つまり、自分自身を守る術がしっかりしていないと、他者の影響を受けすぎるあまり、自身の個性を保てなくなってしまうのです。
さらにイマジネーションは世界観考察その1で述べたように、イマジネーションはその人の未来を描く力でもあります。
いわゆる信念とでも言えばいいのでしょうか。
『自分はこうありたい』というポリシーや、『将来はこんな風になりたい』という目標などであり、さらにそのポリシーや信念のための努力もイマジネーションに含まれます。
つまりイマジネーションは人が生きるために重要なものでもあるのです。
だから個性を保つために、イマジネーションは存在し鍛える必要があります。
他人との交流を通じて成長できればいいのですが、自分を守るためのイマジネーションが、交流の障害になってしまうことがあるのです。
自分を守るイマジネーションが弱かったために、自分と親友の境を見失い、ついには自分自身を捨ててしまった美咲四季の例もあります。
美咲四季とは逆に、イマジネーションが強固になりすぎるあまり、人と交流することが困難になる場合もあります。
イマジネーションは自己実現と自己防衛のために必要ですが、イマジネーションだけにすがっていては、周囲の人間も本人も非常に辛い状態になってしまいます。
桜庭ネクを例に、考えてみましょう。
死神のゲームに参加したばかりの桜庭ネクは、かなり意固地な状態です。
彼の思考の中心には『他者との交流を避けること』、『自分だけが大事』という2点があります。
他人との会話を徹底的に避け、音楽は流さないものの常にヘッドフォンをかけ、せっかく仲間ができたと思いきや、一人がいいと言って単独行動に走ろうとします。
ヘッドフォンについては、『そのヘッドフォン…人と関わるのキライな証拠でしょ?』(6)とヨシュアが鋭い指摘をしているように、恐らく桜庭音操自身の人との関わりを避けたいというイマジネーションの表れなのでしょう。
またシキに『だいたい、そのヘッドフォンだって外した方がいいよ。話してる人に失礼だよ』(7)と言われたとき、ネクは相手が怯む勢いで怒鳴りつけています。
それだけ、彼のイマジネーションが強固だった証です。
死神のゲームに参加したばかりの頃の桜庭音操は、『俺は一人でいい。俺は誰かと分かり合う事なんて、一生、できない!! だから誰ともかかわらない、俺に近付くな!』というイマジネーションでガッチガチに固まっている状態なのです。
これでは周りの人の影響を受けることはできません。
ですが、桜庭音操はパートナー達との交流を重ねるうちに、少しずつ他人の意見に耳を傾けるようになり、他者を許容できるようになっています。
つまり、死神のゲームを通して、徐々に桜庭音操の考え方(イマジネーション)が変わってきているのです。
ネクのイマジネーションが変わった結果、周りのソウルを受け入れられるようになりました。
少し自分の考え(イマジネーション)を変え、他人の考え(ソウル)を受け入れ、自分の中に取り入れることが、『全力で今を楽しめ』(8)であり『世界を変えたければ、自ら境界を越えろ』(9)ということなのではないかと思います。