違和感の正体


「昨日のミッション中、戦闘部隊の尾藤大輔之丞が、参加者とパートナー契約を結び、組織への造反を行いました。尾藤大輔之丞の対策に伴い、本日よりエマー ジェンシーコールが発令します。
上層部では、反逆者尾藤大輔之丞を危険因子とみなし、全死神に開放バッジの装着を義務付けます。
反逆者尾藤大輔之丞及び、パートナーの桜庭音操を発見した場合は、必ず複数名で対処に当たってください。なお尾藤大輔之丞を消滅させた者には、特別報酬が……」

 三週間連続で死神のゲームが開催されるという異例の事態に、日に日にUGは緊張感を増してきている。
 表面上はいつも通りに粛々とゲームが行われていることに、そこはかとなく不気味さを感じながらも、上層部で何が起こっているのかを知る由もない下っ端の死神たちは、いつも通り仕事をしていた。
 そんな最中、今回のゲームマスターである虚西充妃が、全死神を集めて、緊急集会を開いたのだ。

 新人死神が組織に造反したため、エマージェンシーコールを発動し、開放バッジを全死神が装備することになった。
 補助部隊の死神が何人かで協力して、開放バッジを手渡ししている。
 物珍しそうに開放バッジを見つめる死神たの手の中で、バッジが赤く光っていた。

「開放バッジ、ネェ……」

 開放バッジを前に、ざわめく死神たちを眺める狩谷の表情は晴れない。

 組織に入ったばかりの新人の実力などたかが知れているし、確か尾藤大輔之丞はほとんど仕事をしていなかったはずだ。
 死神にとって仕事で得たポイントは、寿命と直結している。
 ほとんど仕事をしていない新人なら、わざわざ倒さずとも、近いうちに寿命を迎え消滅するだろう。

 なのに何故、開放バッジまで使って対処に当たる必要があるのか。
 そもそも……。

「どうも気に入らねぇな~。こんなのはサ」
「あきらめなさい☆ 開放バッジ装着はゲームマスターの命令よ。逆らえないわ」

 うっかり漏らしてしまった本音を、隣にいた卯月が聞きとがめる。今日の卯月は随分機嫌がいい。
 前回のゲーム中は、ゲームマスターによる参加者妨害禁止の通達のおかげで、戦闘部隊としての仕事はほとんどできず、かと思えば行方知れずの禁断ノイズの捜索を命じられ、あてもなく渋谷をさまよう羽目になった。
 それに比べて、今回は参加者がたった二人とは言え、ひとりは今まで2回のゲームを勝ち残った強者と、もうひとりは死神組織を裏切り参加者に寝返った造反者だ。
 さらに事態を重く見た上層部がエマージェンシーコールを発動し、実行部隊の死神でも参加者に手出しができるようになった上、開放バッジの装備まで義務付けられている。
 やっとまともな仕事ができると、卯月は喜んでいるのだ。

 喜ぶ相棒を見ていると、狩谷の心の靄も自然と晴れていく。
 早速賭けラーメンでもしようと提案しようとした矢先、最も会いたくない人物の声が聞こえた。

「ご苦労様です。意欲的に取り組んでいるようですね」

 振り返らなくたって、声の主はわかってしまう。
 冷たく取り澄ました声の主は、今回のゲームマスター・虚西充妃だ。

 彼女は卯月と狩谷に、特命を伝えに来たのだ。
 尾藤大輔之丞のエントリー料であるバッジを使い、参加者たちを翻弄して欲しいという。
 しかもご丁寧に幹部昇進をちらつかせているのだ。
 どうにも怪しいが、自分たちにそんな嘘をつくだろうかと狩谷は内心訝しんでいた。
 自分を警戒している部下である狩谷に、あからさまな罠を仕掛けるだろうか。

 そして卯月だ。
 卯月は虚西を心から尊敬している。心酔していると言ってもいい。
 いくら鉄仮面たる虚西でも、自分を信頼している部下を欺くだろうか。それも狩谷が隣にいる状態で。
 出世に興味のない自分はともかく、卯月だけは騙さないでほしいものだが……。

 真意を測りかねている狩谷に、虚西は狩谷にだけ見えるように僅かに口角を上げてみせた。
 直感的に次の言葉を彼女に言わせてはいけないと、狩谷は悟る。
 十中八九、先日の幹部入りを狩谷が蹴った話を持ち出すつもりだ。

「そして狩谷さん、あなたは本来……」
「……で、虚西さんはどちらへ逃げられるノデ?」

 タチの悪い挑発には、こちらも挑発で返すのが礼儀だ。
 こちらもニヤリと笑って、あえて屈辱的に聞こえる言葉をチョイスしてやる。

「逃げる?」

 彼女のお綺麗な眉間に、キュッと皺が寄る。
 あっさり挑発に乗った彼女に、狩谷は内心ほくそ笑んだ。

 しかし、彼女に浮かんだ不快そうな表情は、一瞬で霧散する。
 形の良い唇に笑みをたたえて、答える。

「狩谷さんその認識は誤りです。訂正してください。攻めるのです。絶対に見つからない場所から」

 張り切る卯月に、感情のコントロールにはくれぐれも注意するようにと釘を刺し、去ろうとする虚西の背中に、狩谷は問いかける。

「今回は開放バッジも使って、随分慎重なんですネ。虚西サンの発案デスカ?」
「いいえ、開放バッジの義務付けは、指揮者とコンポーザーによるものです」
「え……」
「狩谷さんも例の件、よろしくお願いしますね。それではごきげんよう」


 優雅ににこりと会釈して、虚西が去っていく。

 コンポーザーが開放バッジ装着を義務付けた? 何故?

 予想外の返答に硬直する狩谷をおいて、組織総出の参加者狩りが始まる。






 たった一人の反逆者のために、死神総出で参加者狩りをさせ、挙句に開放バッジをばらまいたコンポーザーの意図がわからない。
 そして奇妙なことに、この赤いバッジは偽物の可能性が出てきた。
 先程参加者二人に襲いかかった同僚が、開放バッジを装備しているにも関わらず、あっさりやられてしまったのだ。
 同僚は戦闘部隊でもそれなりの実力を持っていたはずだ。
 開放バッジを装備しているなら、もっと奮闘できたはずなのに。
 途端に手の中に収まる赤いバッジが、異物のような気持ち悪さをおびてくる。
 エマージェンシーコールの発動、偽物の開放バッジの配布。

「コンポーザーは何をたくらんでいるンダ……?」

 狩谷の問いに答える者はいない。




「ンン……」

 ベッドの中で、狩谷は身じろぎした。
 どうにも眠れない。

 室内の明かりは既に落とされ、カーテンの隙間を縫って、ぼやけた光が部屋を暗く照らしている。
 見慣れた天井を見上げ、狩谷は違和感を覚えた。

 ついにコンポーザーが重い腰を上げたことで、そわそわしているからか?
 いや、それだけではない。いつもは仕事の後ならすぐに眠れるはずなのだが……。


 カチャッ

 薄暗がりの中で携帯電話を探していると、冷たい物が指先に触れた。
 探るままにそれをかざしてみせる。

 薄暗い室内で、赤いバッジが気味悪く光る。

 開放バッジ。
 赤地に黒でスカルマークを描かれた、参加者バッジの色違い版にも見える、謎のバッジ。
 上層部の情報を信じるなら、装備した死神の能力を大幅に強化するバッジだが、それさえ怪しくなってきた。

 今日のミッションが開始された、すぐのことだ。
 血の気の多い戦闘部隊の死神が、開放バッジを装備したことで、真っ先に造反者たちへ襲いかかったまではよかったが、彼の能力が強化された様子はまるでなく、あっさり造反者に返り討ちにされ、消滅している。
 
 この開放バッジは偽物なのか?
 上層部はこの開放バッジを偽物だと気付かず、配布したのか?

 いや、そんなはずはない。
 何か意図があって、この偽物の開放バッジをばらまいたはずだ。
 ご丁寧に全死神が開放バッジを装備するよう、お達しが来ているのだから。
 確実に目的があって、偽物のバッジをばらまいたはずなのだ。


 では、何のために?

「……俺みたいな凡人には、なにもわからないナ」

 こういった上からの命令に真っ向から反対する、幹部の南師がいない今だからこそ、スムーズに事が運べたのだろう。
 あの人がいたら、と少し思った。
 惜しい人を亡くしたと思ったことは、初めてだった。

 南師猩。
 狩谷にとって、彼は渋谷の最後の希望だった。

 渋谷を変えるために立ち上がった、かつての同僚や幹部達は、志半ばで散っていった。

 現役のコンポーザーや上層部では、渋谷を変えられない。
 いや、このカオスティックな渋谷を前にしても、なんの対処もしない上層部を見て、変える気がないのかもしれないと、狩谷は諦めていた。
 そんな停滞した渋谷に、彗星のごとく現れたのが、南師だった。

 彼の仕事ぶりは、すごいとしのか言い様がない。色んな意味で。
 ずばぬけた身体能力と知性とエキセントリックな策略で、ありとあらゆる任務を素早くこなし、いつの間にか幹部の座に就いてしまった。

 しかし、彼の行動原理は南師独自の理論と信念に基づいているため、彼の思想に賛同する者はほとんどいなかった。
 狩谷にも全くもって理解できなかったが、南師が渋谷を変えてくれるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだ。
 そんな南師が消滅しまったと聞き、狩谷は絶望した。

 南師は次期コンポーザー候補であり、上層部のストッパー的役割を果たしていた。
 上層部の黒い思惑に、渋谷が操られないための、ストッパー。
 南師自身にそんなつもりはなかっただろうが、狩谷にとって、南師は“あの空気”を払拭できる唯一の存在だった。
 破天荒な南師の存在が、コンポーザーや他の幹部達の圧政を防いできたのだが、その南師がいなくなった今では……。

 南師が消滅した直後、エマージェンシーコールが発令され、訳のわからないバッジがばらまかれた。
 上層部は何を企んでいるのか。

 再参加の2人を、組織総出で叩き潰すということは、上層部にとって、あの2人は厄介な存在なのだろう。
 組織に逆らい、こちらに牙を剥いた尾藤大輔之丞はまだしも、現パートナーであり、以前のゲームで尾藤大輔之丞と接触のあった桜庭音操も、ひとくくりに危険人物とされているが、桜庭音操まで厄介な存在とは、狩谷には思えなかった。

 桜庭音操はエントリー料として徴収された、かつてのパートナーを救うために再参加を繰り返している。
 今回のゲームマスターは、『桜庭音操は我が組織を理不尽なゲームを課す非道なものだと思い込み、元死神の尾藤大輔之丞がパートナーになったことで、組織に復讐しようとしている』と言い、桜庭音操の印象を操作していた。

 以前桜庭音操のパートナーになっていた、桐生義弥という少年は、生きている人間にもかかわらず、何らかの手段で不正参加し、コンポーザーに成り代わろうと企んでいた。
 考えてみると、桜庭音操は修羅場に巻き込まれやすい、気の毒な体質なのかもしれない。

 気付いたら、狩谷はいつの間にか、うつらうつらと眠りかけていた。
 考え事をしているうちに、やっと眠気がやってきたようだ。
 目を閉じかけたとき、違和感の正体に気付いた。

「声が聞こえナイ……」

 今まで、渋谷のどこにいても聞こえてきた、RGの人々の思念がまるで聞こえないのだ。
 組織に入って日の浅い死神だと、この『声』に戸惑い翻弄され、ノイローゼになってしまう者さえもいる。
 狩谷のような長年UGで過ごしている死神にとって、ざわめきのように聞こえる『声』が聞こえないと、逆に静か過ぎて落ち着かないのだ。
 現に今も、耳鳴りが細く甲高く聞こえ続けている。

 声が聞こえないという事態は、今まで一度もなかった。

「一体、何が起こっているンダ?」

 狩谷の気付かなかったところで、渋谷に何かが起こっている。
 そう思い至ったとき、背筋を怖気がぞわぞわと這い上がってくる。
「まさか……」

 掌の中で転がしていたレッドスカルバッジが、急に重みを増す。

コンポーザーは、渋谷の異変を一足先に察知し、最悪の事態を未然に防ぐために、このバッジをばらまいたのではないか。
この赤いバッジこそが、渋谷を救うたった一つの鍵なのではないか。

「ヤッコさん、やぁっと動いてくれる気になったみたいダナ」

渋谷の危機は、勘の良い死神なら誰もが気付いていたことで、まことしやかに囁かれていた。
恐らく狩谷が死神になる、ずっと前から。

なのにコンポーザーは、その重大な問題を放置し続けてきた。

それが、遂にコンポーザーが動いたのだ。
狩谷は歓喜に震えた。

「俺もいつでも動けるように、スタンばっておくとしますカ」

赤いバッジを握り直し、狩谷はにぃっと笑う。
数年ぶりに明日の仕事を待ち遠しく感じ、狩谷は改めて布団をかぶり直した。

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