アルスヴィズを望む


「あーあ……」

 卯月が退屈そうに何度目かのため息を吐く。
 南師主催の『死神のゲーム』が始まって、早二日。
 本来なら死神達にとって格好のポイント稼ぎのチャンスのはずだった。
 しかしゲームマスター南師の独断で、参加者への手出しは禁止されている。仕事がしたくてもできないのだ。
 だが今回は南師の通達よりも、重要なことがある。
 ──『禁断ノイズ』の出現。
 突如音もなく現れた漆黒のノイズを、死神二人がかりで何とか撃退し、卯月は急ぎ上層部に報告した。

 これで『禁断ノイズ』の調査という新しい仕事にありつけると期待していた卯月だったが、命じられたのは待機だった。
 上層部も突然聞かされた異常事態に、どう対処するか協議しているのだろう。
 新しい任務を与えられなかった上、どうやら禁断ノイズを倒したことに対する労いの言葉さえなかったらしい。

 そんな経緯で、今の卯月はまさに『おあずけ食らった犬』のような状態だった。
 働く意欲に満ち満ちた死神・八代卯月にとって、ゲーム開催二日も経ってゼロポイントというのは、あまりに屈辱的で、そして退屈なのだ。
 卯月は隣で見ているだけでわかるほど、気の毒なほど落ち込んでいた。

 参加者への手出しは禁止されているが、毎日のミッションは届いている。
 ミッション内容は、『ゲームⅡ √3のAuバッジ入手。制限時間は300分。未達成なら破壊。』だ。先程狩谷と卯月で調べたところ、モルコで行われるマーブルスラッシュというゲームの大会の賞品が関係するらしいことはわかった。

「卯月ー、いい加減機嫌直せッテ」
「…………」

 先程から狩谷が何度声をかけても、卯月は道端に座り込んで、ふくれっ面のままRGの様子を眺めている。

「どっかで休憩するカ? 卯月の好きなモンおごってやるヨ」
「休憩?」

 地の底から響くような低い声でつぶやき、卯月はゆらりと立ち上がる。
 狩谷がしまったと思ったときには遅かった。

「まだ働けてもないのに休憩って、どういうことよ!? 私はサボりたいんじゃないの。仕事がっ、したいって、言ってるでしょっ!」
 口角泡を飛ばす勢いで、卯月ががなり立てる。
 最後の方は、一節一節叫ぶたびに自分の膝に力いっぱい拳を叩きつけていた。
 痛くないのだろうか、と狩谷は思う。

「アー……」

 狩谷は完全に卯月の地雷を踏んでしまった。
 金切り声を上げて頭をかきむしる卯月を前に、どうしたものかと狩谷は考えあぐねる。
 そういえば今日のミッションは……。

「卯月」
「何よっ!」
「モルコに行かないカ?」
「ゲームマスターの通達で仕事ができないんだから、モルコに行ったって仕方ないじゃない!」
「今は指令がなくても、後々仕事が来るかもしれないダロ。だったら現場で待機していた方が、仕事もしやすいと思わないカ? ハイこれ名案」
「名案って……あんた本気で言ってんの?」

 卯月が頭大丈夫? と言いかねない顔で、狩谷を見上げる。

 ゲームマスターの南師は、幹部の中でもかなりの変わり種だ。
 南師は己のポリシーと直感で行動しているため、彼の言動は周囲から見れば不可解としか言いようがなく、一度決めたことは何があろうと決して覆さない。
 そんな南師が『今回のゲームでは、参加者への手出しを禁止』と宣言したのだから、卯月の望む仕事は絶対に回ってこないだろう。

 だからこそ、卯月は狩谷に聞き返したのだ。

「まあまあ、ここでずっとふてくされてるより、気晴らしにふらっと出かけた方が面白そうダロ? 現場を監視するのも仕事のうちサ」
「……まあ確かに、ここで暇つぶしするよりはましかもしれないけど」
「ナ?」
「わかったわよ、行けばいいんでしょ! 行けば」

 納得のいかない様子だったが、パンパンと体についた土埃を乱暴に叩き落とし、卯月は立ち上がった。



 ******

 二人がモルコに到着する頃には、かなりの人数がマーブルスラッシュの催しに集まっていた。
 今日のミッションはモルコで行われるマーブルスラッシュ大会の優勝賞品、英雄バッジを入手することだ。

「ふーん、意外と人が多いわね」
「そこそこポピュラーなゲームなのかもナ。卯月は知ってるカ?」
「全っ然。こういう遊びとか、マジ興味ないし」

 今回の大会は初心者が多かったらしく、主催者側が軽くマブスラのレクチャーを行ってくれたおかげで、マブスラを知らない狩谷と卯月もスムーズに観戦することができた。
 最初は乗り気ではなかった卯月も、大会が始まると途端に騒ぎ始めた。
 誰を味方するでもなく、その時その時で誰かのバッジが落ちそうになれば甲高い声を上げて応援し、誰かが逆転すれば腕を振り回して喜んだ。

 狩谷の想像以上にマブスラを堪能していた卯月だったが、何戦目かに狩谷の肩を叩いた。

「ねえ、狩谷!」
「ナンダ?」
「今対戦してるヘッドフォンのボウヤって、この間の参加者よね?」

 卯月の指さす先には、鮮やかなオレンジ色の髪の少年がいた。彼はヘッドフォンをしたまま、手元のバッジを見つめている。
「そうダナ」
「なんでここにいるわけ?」
「再参加したんダロ。珍しいことじゃナイ」
「そりゃそうだけど……、まあいいか」

 卯月はそう言って再び観戦に戻っていく。

 そして試合はつづがなく進行し、準決勝、三位決定戦が終わったところで、一旦休憩時間をはさんだ。
 狩谷が叫び通しの卯月にドリンクを差し入れすると、卯月は喜んで受け取る。

「マブスラって結構面白いわね! うん、ここに来て正解だったわ」

 興奮冷めやらぬ口調でそう語る卯月の頬は、少し紅潮している。

「そりゃドウモ。気に入ったみたいで何ヨリ……」
「見てるだけじゃつまんないわ。大会が終わったら、あたしたちもやるわよ!」
「ハイハイ」

 スポーツドリンクを飲みながら、卯月は会場をぐるりと見渡し、狩谷に向き直った。

「てゆうか、今回のミッションって何なのかしら。あの人参加者がゲームで遊んでるの見て喜ぶような人だったっけ?」
「サァネ……」

 南師はこんな平和な場面を見て喜ぶような性格ではないと、狩谷も思う。
 『ルート3』という死神にしかわからないキーワードを出しているところからして、参加者にミッションをクリアさせるつもりはあまりなさそうだ。
 『Auバッジ』と書いてあるから、金でできたバッジを手に入れることが目的だとわかれば、いずれこの大会にたどり着けるだろう。

 だが、この大会は大々的に宣伝されていた様子はないため、参加者の誰も情報を入手できない可能性もある。
 そういった参加者たちが、優勝者からバッジを力づくで奪い取るというのも、ミッションクリアになるだろう。
 もしかしたら南師は強引な方法がより好みかもしれない。

 そうこう考えている間に、決勝戦が始まる。

 その後、決勝戦で死神のゲームの参加者が優勝し、ミッションはクリアされた。
 結局南師から特に指令もないまま、1日が終わってしまった。



 *****

 ゲームも三日目である。

 今日になって、おかしなことが起きた。
 通常毎朝出題されるミッションが、今日に限って出題されていないのだ。
 戦闘部隊の狩谷たちは、元々仕事がなかった上、ミッションも出ていないため、これでは動きようがない。

 そんな中、昨日マブスラの大会を見てからというもの、卯月はしきりに自分もマブスラをやりたいと言っていた。
「どうせ仕事もないんだし、マブスラでもやらなきゃ気が済まないわ! ……にしても、ゲームマスターは本当に何考えてんのかしら」

 マブスラをやろうと決めたはいいものの、狩谷も卯月もマブスラについての知識はほとんどない。
 とりあえず昨日大会が開かれたモルコに行ってみることにした。

 とはいえ、やはりいつもマブスラ大会を開催している訳もなく、モルコの中は買い物客しかいなかった。
 渋々卯月の買い物に付き合わされてからモルコを出たところで、見覚えのある少年を見かけた。
 昨日の大会で優勝を逃した少年と予選で敗退した少年だ。
 その少年達が言うに、普段は千鳥足会館付近にあるゲームショップ『STRIDE』にマブスラッシャーは集まっているらしい。
 マブスラ用のバッジを貸出しているので、バッジを持っていなくても大丈夫だというありがたい情報まで教えてくれた。


 少年に礼を言って、千鳥足会館方面に向かおうとしたその時だ。

「あっ」

 モルコ前に昨日のミッション中から鎮座しているオブジェの前で、実行部隊の死神二人が困り顔で立っているのを、卯月が見つけた。
 二人に気付いた実行部隊の死神が会釈する。

「ちわっす」
「ども」
「ドシタ~? 何かお困り事カ?」
「困り事というか……」
「虚西さんにここのオブジェが通行の邪魔だから、撤去しておくように言われたんすよ」

 実行部隊の死神が答えると、途端に卯月はげんなりする。

「またぁ? この間も同じ仕事やったじゃない。実行部隊にそんな仕事任せなくたっていいのに……」
「仕事っすから、仕方ないっすよ」
「そうそう。とにかくゲームマスターに見つからないうちに、移動させておかないと」

 そう言う二人だったが、表情はすっかり困りきっていた。

「ン~……」

 卯月が言うように、実行部隊の者に南師作のオブジェを撤去するよう命じられるのは、今に始まったことではない。
 幹部同士の争いに巻き込まれ、下の者たちは板挟みにあい、胃の痛い思いをしている。

 狩谷は虚西の下の者にわざわざ命令して、オブジェを撤去させる方法が気に食わなかった。
 RGならともかく、UGにこの程度のオブジェがあるくらいなら、さして通行の邪魔にはならない。
 南師のオブジェが気に食わないなら、自分で片付ければいいのだ。
 疲れた表情の二人を見て、狩谷の口が自然と動く。

「じゃ、お困りの二人に代わって、今回の仕事は俺が引き受けマショ」

 卯月がぎょっとして狩谷を振り返る。

「狩谷!?」
「いいんすか?」
「でもそれだと狩谷先輩が……」
「気にしなさんナ。ここは頼れる先輩に任せて、二人は持ち場に戻りナサイ」

 笑顔で促す狩谷に、死神二人は困惑した様子で顔を見合わせる。
 狩谷は二人に大丈夫だと言わんばかりにニッと笑ってみせた。すると二人はやっと安心した表情になり、ぺこぺこ何度も頭を下げながら去っていった。

 二つの背中を見送ってから、卯月が不安そうに狩谷を見上げる。

「あんた、安請け合いしちゃって大丈夫なワケ?」
「ンー、まずいカモ」
「ちょっと」

 おちゃらける狩谷に、卯月が気色ばむ。

「冗談ダッテ。虚西サンには撤去してる最中にゲームマスターに見つかったとかテキトーに言っておくから平気ダッテ」
「……オブジェは、撤去しないってこと?」
「マァネ」
「あんた、何でそんな……」

 盛大にため息をついて、卯月は背後のオブジェを振り返る。
 渋谷の街並みにそぐわない巨大なオブジェを、腰に手を当て見上げた。

「それにしても……、なんなのかしらこのゴミ山。本人はオブジェのつもりらしいけど」
「このオブジェが何なのかなんて、俺ら凡人には理解不能ダッテ」
「違うわよ。これが何なのかなんてわかるはずないんだから、考えるわけないでしょ。何度見てもあたしにはゴミ山にしか見えないわよ」
「じゃあ何サ?」
「どうしてあの人がこんなモノを街中に作るのかって話よ」

 邪魔ったらないわと、オブジェを蹴り飛ばそうとする卯月を、狩谷が崩れるかもしれないゾと注意する。

 南師がどうしてオブジェという謎の物体を創るのか、狩谷は一つ仮説を持ち合わせているが、その仮説を卯月に話せば、確実に機嫌を損ねるだろう。
 話す必要はないなら話さなくても……と思案する狩谷だったが、卯月はあっさり狩谷の迷いを見破った。
 じとっとねめつけながら、卯月がにじり寄ってくる。

「狩谷、あんた何か隠してるでしょ?」
「何かって何をサ」
「だ・か・ら、あのオブジェの人がこんなわけわかんないものを作る理由! あんた、知ってるんでしょ」
「いやいや、あくまで推測程度ダヨ? ゲームマスターと直接話したことはないから、真意はわからないシ」
「いいから話しなさいよ! 推測でもいいから。狩谷だって知ってんでしょ。実行部隊の人間が、何度虚西さんに言われて、オブジェ処分させられてるか。迷惑にも程があるわ!」
「…………」
「それでもちゃんとした理由があるっていうなら、こっちだって納得できるでしょ。幹部が創ったものを、別の幹部に言われて処分しなきゃいけなくても」

 かなり理不尽だけど、と卯月は頬をふくらませて付け加える。

「卯月が納得できるとは限らないんだケド」
「それでもいいから」

 狩谷がフゥ~とため息をついてみせても、卯月の強い視線は揺るがなかった。
 渋々と狩谷は話し始める。

「これってさ、マーキングみたいなモノだと思うんダヨ」
「マーキング? 犬とかがするあれのこと?」
「ソウソウ。動物が自分の縄張りをアピールするための行動サネ」
「……って、UGが誰かの縄張りってものでもないでしょ?」
「そうとも限らないダロ。今このUGは、言ってみればコンポーザーの縄張りダ。南師サンは指揮者にも興味ないみたいだから、つまり彼の狙ってる座ハ……」
「つまりあんたはこう言いたいわけね。あの人はあたしたちに、『ここは俺の土地だ』ってアピールしてるって」
「そんなところなんじゃないかと、俺は思うヨ」
「何考えてんのよ! それじゃあコンポーザーに宣戦布告してるのと同じじゃない! 道理で虚西さんが毎回しつこいくらい、ゴミ山の撤去命令を出してたわけね」

 卯月はブツブツと持論を展開していく。
 狩谷の予想通り、卯月は不機嫌に……というより、南師を警戒してしまった。

「だから嫌いなのよ」

 卯月は吐き捨てるようにつぶやいた。

「今の渋谷に不満だって言ってるんでしょ? 渋谷の何がダメなわけ? 私、渋谷が好きよ。それを否定して、コンポーザーになりたいって、意味わかんないし」

 一方的に熱くなる卯月を前に、狩谷の心はどんどん冷え切っていった。

 やはり卯月は、渋谷の問題に気付いていなかったカ……。

 狩谷が組織に入った頃に比べ、渋谷の空気はどんどんよどんでいっている。
 そのよどみを払うにはどうしたらいいか、狩谷は死神として働きながら、考え続けていた。
 下の者が団結して問題に当たることも狩谷は考えたが、組織の現状を見るに難しいだろう。
 渋谷の死神は個人行動を好む傾向が強い。
 死神達に仲間意識が希薄で、渋谷のために団結して対処にあたろうと誰かが言ったところで、皆実感がわかないだろう。

 頼みの綱である上層部は、全く対処にあたろうともしない。
 死神がダメならコンポーザーなら……と言いたいところだが、姿さえ見せないコンポーザーに、一体何ができるというのだろう。

 いや、何もできない。
 そもそもコンポーザーはじめ、上層部の者たちは、この事態に何もする気もないのだ。
 幹部になっても駄目、実行部隊の者でも駄目。
 残る道はコンポーザーの代替わりしかないのだと狩谷は結論づけた。

 だから、この渋谷でコンポーザーの座に執着する南師に、狩谷は一目を置いているのだ。
 幹部に就任してから早数年、それでも南師は上層部の圧力に屈することなく、今日も野望に燃えている。
 ひょっとして彼なら……と思えるカリスマ性とポテンシャルを、南師は持っている。
 とはいえ、普段していることと言えば、街中に謎のオブジェを建てるくらいだが。
 南師の突き抜けた姿勢を見ていると、狩谷や先人たちが成し得なかった何かを、掴んでくれそうな、そんな気がするのだ。

 もちろん、コンポーザーの交代が起こる前に、何らかの対策を施して渋谷を正常な状態に戻せるなら、それが一番良い。
 そういえば……と狩谷は思い出す。相棒の卯月が、幹部を目指して日々奮闘していることに。

 しかし、今の卯月は闇雲にポイントを稼いでいるようにしか見えない。
 卯月には何か考えがあって、幹部を目指しているのだろうか。

「卯月」
「何よ」
「卯月は幹部になりたいんだよナ。どうして幹部になりたいんダ?」
「なっ、なっ! そんなの今はどうだっていいじゃない。今はマブスラが最優先でしょ!」

 そう答える卯月の頬は赤く染まっている。

「く、くだらないこと言ってないで、千鳥足会館の方に行くわよ!」

 狩谷の返事を待たずに、卯月はズンズン進んでいく。
 聞くタイミングが悪かったのか、卯月は質問に答えようとはしなかった。

「アイヨ……」

 今日気晴らしが必要なのは、卯月ではなく自分の方かもしれないと、狩谷は密かにため息を吐いた。

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