SeeKer


 今日も無事ゲームが終わった。
 渋谷のとあるビルの屋上から、散り散りになる参加者や死神たちを見つめ、狩谷は独りごちる。

 死神のゲームは今日で二日目。まだ狩るべき参加者も多く残っていたが、あと数日もすれば片手で数えられる程度の数にまで減るだろう。参加者は血眼で探す死神やノイズに食われ、消えていく運命だ。
 諸行無常──と心の中でつぶやきながら、懐から飴を取り出す。
 いつも行動を共にする相棒の八代卯月は、別件で出払っている。
 そろそろ卯月の用件も終わる頃だろう。ケータイをポケットから取り出し、卯月と合流しようと思った時、背後から声をかけられた。

「狩谷」

 狩谷は聞き慣れた声に思わずぎくりと身構えそうになった。
 振り返ると、そこにいたのは狩谷の上司である北虹寵指揮者だった。

「ボス! ボス直々にいらっしゃるなんて、珍しいデスネ」
「急で悪いが、今から少し時間をもらえないか? 話したいことがある」
「今からですカ? 承知致しましター」

 ちらりと狩谷は北虹の表情を伺う。
 口元にはいつものようにうさんくさい笑み。そして目元は大きなサングラスにさえぎられて分からない。
 ああ、やりにくい。

 狩谷は心の中でそう呟いて、ケータイの電源を落とした。


*****

 本当なら今頃卯月と合流して、ラーメンを食べに行っているはずなのに、と頬杖をつきながら狩谷は思う。

 しかし今の狩谷は先程声をかけてきた人物の誘われるままに、メインストリートから少し外れた場所にある喫茶店に来てしまっている。
 喫茶店の雰囲気は良いが、店の外から見えにくい構造と暗めに設定された照明のせいで、密会には持って来いの雰囲気だった。

 何だか逃げ場がないようにも思えて、嫌な予感が狩谷の胸中をよぎる。
 パーカーのポケットに突っ込んだケイタイには、今頃卯月からの着信でパンク寸前だろう。

 卯月を待たせてしまうのは後が怖いものの、目の前に座る人間の誘いは断れない。
 なにせゲームの指揮者である北虹寵、直々のお誘いなのだから。
 
「すまなかったな。急に呼び立てて」
「イエイエ、ボスの誘いとあらば火の中水の中デスヨ」

 コーヒーの入ったカップを傾けながら、笑いかけてくる北虹に、おどけた調子でまぜっ返す狩谷。
 お気に入りのロリポップを一なめした後、コーヒーをブラックのまますする。味の組み合わせの悪さに、密かに眉をひそめた。
 組み合わせといえば、下っ端の自分と死神組織の最上に位置する指揮者の組み合わせもまたおかしかった。

「相変わらず飴が好きなんだな」
「何があっても、これだけは手放せまセン」
「今回のゲームも調子はよさそうだな。昨日、今日と戦闘部隊ではトップの成績を残しているそうじゃないか」
「ドウモ。可もなく不可もなくってところデスヨ」
「気になる参加者はいたか?」
「今のところは目ぼしい参加者もいませんネ」

 他愛もない世間話を続けながら、狩谷は何故自分が喫茶店で上司と差し向かいで茶を飲むことになったのかを考えていた。
 狩谷は指揮者に呼び出されるような後暗いことは、身に覚えがない。そもそも、部下を叱責するためにわざわざこの男が、喫茶店に誘うことはないだろう。そして最近目ぼしい手柄を得たこともない。
 何せ上層部に注目されないよう、わざわざ功績をセーブしているのだから。
 そうなると、思い当たることはひとつ──。

「ところで狩谷」
「はい、ナンデショ?」


 北虹の声音が、先程までと打って変わって低くなる。
 来た、と狩谷は思った。
 おどけたフリをしながらも、狩谷は身構える。

「君に是非幹部になってほしい」

 もっと勿体ぶった言い方をされるかと思ったが、北虹の言い回しは随分シンプルだった。

「幹部? 俺がですカ?」

 素っ頓狂な口調で聞き返すが、北虹は重々しく頷く。
 サングラスから一瞬見えた瞳は、ひたと狩谷を見据えて微動だにしなかった。

「適任者は他にいると思いますヨ~」
「まさか。さっきも言っただろう。君のポイントは幹部に引けを取らない。そして組織への忠誠心も高い。だからこそ、君に幹部になって、組織により貢献して欲しい」
「俺は人の上に立って指揮を執る器じゃないデスヨ。それに責任とかそういうの、苦手デスシ……」

 北虹がフ、と笑って狩谷に問いかける。

「本気でそう思っているのか? 君は戦闘部隊でも抜きんでている。そんな君だからこそ、幹部になる価値がある。違うかな?」

 分厚いサングラス越しに、二人の視線がかち合う。
 蛇に睨まれたカエルとは、今の自分のことではないかと狩谷は思う。

 狩谷は目の前の男に、自分の全て見透かされている気がしてならなかった。
 幹部になりたくないが故に自分が道化を演じていることも、組織の上層部を密かに軽蔑していることも。

 狩谷が我に返ったのは、自分の肘がテーブルに当たり、派手な音を立てた時だった。

「オット失礼……」

 張り詰めた空気が弛緩する。
 ロリポップを口に運びながら、狩谷は頭をフル回転させて返答を考える。
 考えて、考えて……、正直に心の内を話すのが適当だと気付いた。心理戦の得意な北虹相手では言いくるめようとするより、率直に答えたほうがいいだろう。

「お褒めの言葉は恐縮ですが、やはり辞退いたしマス」
「ほう、その理由は?」
「今の俺には、現場の仕事が合ってるんデスヨ。現場で駆けずり回って、渋谷の変化に一喜一憂するのが、楽しいんじゃないデスカ」

 しかし北虹も負けじと食い下がる。
「……幹部だからこそ、見える景色もあると思わないか?」
「さっき言いませんでしたっケ? 俺に幹部は不向きデスヨ~。……それに一度高みに登ったら、今の俺じゃなくなりそうで、怖いんデス」

 狩谷は自嘲気味に笑って、最後の言葉を付け加える。幹部に匹敵する実力者である狩谷にも、弱点があった。
 自分が組織の毒素に侵食されることを、心の奥底で恐れているのだ。
 これは誰にも、卯月にさえも言ったことのない、狩谷の弱みだった。

 狩谷の組織在籍期間は長い。
 だからこそ、何度も見てきた。どれほど野心や希望に燃えていた死神達も、幹部になった途端、保身に走って本来の目的を忘れてしまう姿を。
 渋谷の平穏を願い、幹部になって渋谷を変えようとした先輩がいた。
 その先輩でさえ、最後は高くなりすぎたプライドで、自滅していった。

 幹部になった先輩さえも、渋谷を変えることはできなかった。
 今の渋谷の閉塞感は、幹部でさえもどうにもできないのか?

 そんな状況で末端の自分に、何ができるというのだろう。
 幹部になっても駄目。末端は言わずもがなだ。


 しばらく二人の間に沈黙が流れた。
 控えめに流れていたポップスが耳に届く。
 狩谷は北虹を警戒するあまり、BGMが流れていることさえ気付かなかった。

「……そうか」

 しばらくして北虹が溜息とともに、苦笑を漏らす。

「君の気持ちはわかった。何、無理強いはしないさ。残念だがな」
「スイマセン」

 神妙に頭を下げる。
 北虹は話せばわかる上司だ。だからこそ、狩谷は本心を晒した。

 しかし、北虹は狩谷の幹部入りを諦めたわけではないだろう。
 狩谷の意思が強かったから、今回のところは引いたに過ぎない。
 これは長期戦になりそうだ。

 狩谷は心の中でつぶやきながら、すっかり覚めてしまったコーヒーをすするのだった。



 狩谷自身が幹部かそれ以上の立場になって、渋谷を変えるビジョンがまるで見えない。
 自分独りではどうすることもできないと悟った狩谷は、上層部を目指すことをやめ、渋谷の変化を見つめることにした。
 渋谷に終わりの日が来ないことを願って。


*****


 喫茶店を出て、北虹と別れた。
 日の光が眩しい。
 狩谷は気付かないうちに、眉をひそめていたことに気付いた。
 話のわかる上司相手とは言え、やはり緊張していたようだ。
 いやそれよりも、過去の苦い記憶を思い出したせいかもしれない。

 狩谷はそこまで考えて、両肩に重くのしかかる何かを振り払うように首を振った。
 我ながら、らしくないことを考えてしまった。
 ついでに皺の寄ってしまった眉間を、指でもみほぐして、気の抜けたため息を吐いたところで、やっとちゃらんぽらんでロリポップと卯月との賭けラーメンが好きな、いつもの『狩谷拘輝』に戻れた気がした。

 そういえば卯月を待たせているんだった。
 パーカーから携帯電話を取り出すと、卯月の不在着信とメールでぎっしり埋っている。
 卯月のふくれっ面が目に浮かぶ。
 狩谷は苦笑いを浮かべながら、卯月に電話をかけるのだった。

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