昼下がりのワイルドキャットにて


『カフェは趣味みたいなもんだな。ダンディーな感じがするだろ?』

 先ほど選ばれし者たちに告げた、自身の言葉を胸の中で反芻する。

 誰もいない静かな昼下がりのカフェのカウンターで、ひとりごちる。
 私は今、かつて羽狛早苗“だった”男を借りて、UGに顕現している。
 我々天使は、UGやRGよりも『個』という概念が希薄だ。
 個性自体はかろうじて存在しているし感情もあるが、高次元では互いの意識を共有しあっており、イレギュラーな思想や感情は排除される。

 下界の者たちは、イマジネーションという壁で仕切られ、完全に分かり合えることができないと聞くが、我々天使の壁はずいぶん薄い。
 だから意識を共有し合えるし、これを高次元では理想の状態だと思っているようだ。

 高次元にいるときであれば、個が希薄でも問題ないけれど、下界に降りるときは下界の者たちに混乱が生じるため、不便だ。
 そのため天使は、下界に用意された肉体を器にし、下界に降り立つのだ。

 羽狛早苗も、そんな器の一つに過ぎない。
 私は今、生前彼が経営していたカフェで、羽狛早苗の姿を借りている。
 何も事情を知らない者から見れば、カフェのマスターが暇そうに店内でくつろいでいるように見えるだろう。

 高次元で知り合った私の友人が羽狛早苗だったかもしれないし、私自身の一部に羽狛早苗が存在するかもしれない。きっとしているだろう。

 羽狛早苗。  RGの住民だったころは、このカフェで生計を立てながら、アーティストになるために日々努力をしていた。
 アーティストとしてはまだまだ無名だったが、カフェもそこそこ繁盛していて、創作活動自体を全力で楽しんでいたようで、日々楽しく生きていたようだった。
 夢まであと一歩のところで、不慮の事故に遭うまでは。

 そしてUGに来て、何としても夢をかなえるために、好成績を残したが、生き返らなかった。
 羽狛のパートナーと彼自身が、全く同じスコアだったため、コンポーザーは彼ら二人に『どちらが生き返るにふさわしいか』、判断をゆだねたのだ。

 お互い生き返るために七日間を乗り切ったのだから、二人に生き返る権利は平等にあるだろう。
 しかし、用意された席は一人分だけ。

 結果、羽狛がUGに残ることを決意した。パートナーの境遇に同情し、議論を重ねていくうちに、気概がそがれてしまったという。

「俺のことは気にすんな! お前はRGにかえって、やりたかったことを精一杯やってこいよ」

 晴れ晴れとした笑顔で、RGへ戻っていくパートナーを見送ったという。

 やがて寂しそうな背中だけが、審判の部屋に残った。
 彼にゲームの指揮者が再参加するか、死神になるかを尋ねたときは、ずいぶん迷ったらしい。
 渋谷でアーティストとして有名になりたいという願望を、彼は捨てきれなかったのだ。
 パートナーとのやり取りを一部始終見ていた指揮者に、死神は副業可能だと聞くと、喜んでUGの住民になることを選んだ。
 人間ではなくなっても、RGにいたころと同じ生活ができるということが、嬉しかったようだ。

 死神になった彼は、カフェのマスターをしつつ、創作活動に励み、死神としての職務も果たしていく。二足の草鞋ならぬ、三足の草鞋を履いていたわけだ。
 少しずつ彼の名前は知られるようになったが、転機が訪れた。
 彼の頑張りが認められ、ついにコンポーザーになったのだ。
 いや、なってしまったと言った方がいいかもしれない。

 コンポーザーはその性質上、死神以上にUGに依存している。
 コンポーザーになった瞬間から、入ってくるソウルの多さが桁違いに増える。
 世界中で起きている情報が耳に入り、常に取捨選択を迫られる。

 早い話が、雑多な情報の中から、自分のエリアに受け入れるに値するものは何なのかを、見極め、取り入れる必要がある。
 職務をしていくうちに、コンポーザーになった羽狛自身のソウルが増え、死神たちとのコミュニケーションが難しくなってしまうのだ。

 久しぶりに会った元同僚たちに話しかけようとしたら、誰一人自分を見ることさえできなかった時の落胆ぶりは、激しかった。
 当然そんな状態では、RGでアーティストとして活動することはできないが、彼はあきらめなかった。

 唯一死神の中で、自分と対話ができるゲームの指揮者を仲介人として、ひっそりと創作活動を続けていく。

 渋谷の情報は『スキャン』や部下の『報告』という形になって、彼の元に入ってくるが、ほとんど一方通行だった。羽狛自身が誰かと心を通わす対話を強く望んでいた。
 彼の渇望が、渋谷の若者たちの心に強く響いたらしい。

 結果、彼の『CAT』というアーティスト名は、有名になった。

 ようやくアーティストとして軌道に乗り、渋谷も活気をおびてきたところで、突如彼に高次元からお呼びがかかる。
 羽狛早苗は天使になったのだ。

 UGにいた頃、自分を突き動かしていたはずの激しい感情は、思考の波にのまれ、ただひたすらに途方もなく穏やかで冷徹な思考に塗りつぶされる。

 そして、天使たちは彼の特異な状況に興味を持ち、こう思うのだ。『CAT』というブランドを、高次元で上手く活用できないだろうか、と。

 結果、天使たちは彼の肉体を器に、RGやUGを行き来し始め、好き勝手にアートをCAT名義で公表し始める。
 彼の作風とかけ離れた作品を批判されることもあったが、RGの人間たちはCATの作風は変化に富んでいて面白いと結論付けたらしい。
 今のCATは、群衆に広く受け入れられている。

 高次元は、羽狛早苗一個人が長い時間をかけて築き上げてきた名誉も、存在さえも食い物にしている。
 例え世界にとってよい影響を与えることであっても、果たして彼は喜ぶだろうか。

 彼のことだ。
 お人好しな笑顔で、「気にするな!」と言ってくれるだろう。

 だけれど、それでは彼があまりに報われないのではないだろうか。

 だから、今日くらいは、彼のためにコーヒーを淹れよう。

 私は自分のカップの隣にもう一つ、淹れたてのコーヒーを注いだカップを置いてやるのだった。

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