触れ合う指先の世界

「あああああ、もうっ!」
スクランブル交差点のど真ん中で、私は大声を上げて地団駄を踏む。
人が大勢いるけれど、構うもんか。どうせ、RGからは見えやしない。

多い。多すぎる。
二人組で歩く幸せそうな人々が。

いやいや、そうじゃない。
ノイズの数がだ。

十二月二十五日。
渋谷のどこかで大喧嘩をしたカップルに、ノイズ達が一斉に反応し、カップルにノイズがとり憑く事案が発生した。
カップルの騒動を発端に、ノイズがじわじわと増え始め、果ては渋谷中にノイズが溢れてしまったため、上層部から対処に当たるよう連絡が回ってきた。

私にだって、コンポーザーとデートする予定があったのに。
泣く泣くコンポーザーにメールで緊急出動で遅れる旨を伝え、住居のアパートを出たのだった。

私がスクランブル交差点にたどり着く頃には、視界の端から端まで、オレンジ色のノイズシンボルだらけになっていた。

そして、私は一人、ノイズの対処にあたっていたのだけれど、倒せども倒せども、ノイズは減らない。
渋谷の死神は、私だけではないはず。
他の人たちはどうした。
息も絶え絶えに、空中をふよふよ移動するノイズを忌々しく睨んでいると、私の携帯電話が鳴った。
「はい、佐倉です」
『佐倉? 私、八代よ』

同僚の八代卯月からだった。
八代の声は普段の張りがなく、息も上がっている。
どうやら彼女もノイズ討伐に参加したようだ。
「ああ、お疲れ様。もしかして八代もノイズ討伐に来てるの?」
『オツカレ。あったりまえでしょう。あたしらの方でも結構頑張ってるんだけど、全然ノイズが減らないわね』
「うん。こっちも同じく。私、八代以外に同僚に会ってないんだけど、もしかして」
『仕方ないんじゃない? 今日は雪降りそうな勢いで寒いし、それに何てったってあの日だからね』
『「クリスマスだから」』

げんなりした八代と私の声が重なり合う。その後に吐いたため息のタイミングまでぴったりだ。
『ま、こんな日に出動しちゃったのが運の尽きよ。せいぜい一緒にがんばりましょ』
「オッケー。私も頑張るわ。まずはノイズの発生源を探さないとね」
『そうね。って、ちょっと待って。狩谷が代わるって』

電話の向こうで、ごそごそと音がする。
狩谷も出動していたらしい。
同僚が少なくとも二人以上いることに、ホッとする。
少しすると、狩谷の気だるげな声が聞こえてきた。
『もしもーし、狩谷ダゾ。お疲れサン』
「狩谷もお疲れ様。ちょっと今日の仕事は大変そうね」
『アア。実を言うと、ノイズを呼び寄せていた元凶の対処は終わったンダ』
「え、じゃあどうしてノイズがこんなにうようよいるわけ!?」
『俺が思うに、元凶の近くにいた人間達もノイズにとりつかれて、徐々に増えているみたいダ』
「じゃあその人たちを探せば……」
『そううまくいかないみたいよ』

不機嫌そうな八代の声が割り込む。
『どうもノイズは色んな人間達にとりついて、ソウルを頂いているみたいナンサー。今日はちょっと厳しいカモナ』
「うっそ……。ノイズにとり憑かれた人を探して、対処しなきゃいけないってこと!?」
『その通リ〜』

気の抜けた狩谷の声に、へなへなと腰が抜けそうになる。

ふとコンポーザーの顔が頭をよぎった。
今日は仕事も休みで、コンポーザーと二人きりで会う予定だったのに、だめになりそうだ。

でも、渋谷の惨状を見るに、きっとコンポーザーも休日出勤の真っ最中だろう。
だったら少しでも早く仕事を終わらせて、コンポーザーに会いに行きたい。

肺の空気を空っぽにするように息を吐きだす。
改めて、受話器の向こうの二人に、というより現状に向き直った。

二人と話したところ、私達以外にも出動した同僚が何人かいるようなので、そちらにも協力してもらうことになった。

まずは手近なエリアから、ノイズにとり憑かれた人間を探し、ノイズにとり憑く原因を消去し、ノイズを払う。
もし対処が難しそうなら、他の死神にも協力を仰ぐということで落ち着いた。
『お互い頑張りましょ☆』
『楽しいゲームの時間ダネ〜。勝負は誰が多くノイズを払えたかで、勝ったらラーメンをおごっちゃうゾ』
『ふざけてる場合じゃないでしょ!』

電話は切れた。
賑やかな二人と会話ができたことで、私も大分リラックスできた。
携帯電話をポケットに突っ込み、ノイズの群れと向き合う。

さあ、人間にとり憑いているのは、どいつだ。




************



ノイズにとり憑かれた人を十人ほど助けてやると、波が引くようにノイズの群れは散っていった。
「これで仕事は終わりかな?」

どうやらそのようだった。
周りはいつもの赤い野良ノイズシンボルだけになっている。

やっと渋谷UGも平常運転に戻ったことに安堵し、自然とため息が出る。

今日のRGを見ていて思ったけれど、ノイズにとり憑かれた人間は、些細なことで不安定になるようだ。
彼氏が他の女に目をやっただけで浮気していると思い込んだり、人と肩がぶつかっただけで絶望したり……。今日はクリスマスだけあって、人が多い。
人が多ければ、ソウルを狙ってノイズがそこらじゅうで集まっていたからこそ、今回のような騒動につながるんだろう。
「お」

鼻先を冷たいものが掠める。
雨粒に混じって、白い雪が降り始めた。

RGの人々も気付いたらしく、嬉しそうに雲を指差したり、携帯電話を取り出し、写メする者もいたりと、反応は様々だ。
「やれやれ」

UGは大変だったのに、RGの人間はのんきなものだ。
ホワイトクリスマスか。なかなかロマンチックでいいじゃない。

そろそろコンポーザーに連絡を取ろうとしたとき、隣に温かい気配がした。
振り返らなくても、誰だかわかる。
私の待ち人だ。
「コンポーザー、お疲れ様でした」
「君もね。ユウ」

はぁーとため息のような吐息をついて、コンポーザーは私の肩に腕を回す。
するとそのまま、顔を俯けて黙り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」

私が尋ねると
「RGの桃色思考に当てられてのぼせそう」

さらりと笑顔で皮肉るコンポーザーだったけれど、疲労の色を隠しきれていない。
「どこか、喫茶店にでも入って温かいものでも飲みましょう」

肩に置かれた手を取り、引っ張ろうとすると、コンポーザーは気だるげに首を横に振った。
「いいよ。今日はどこも混んでいるだろうし。静かなところで、ユウと二人でいたい」
吐息と共に呟かれた言葉に、飛び上がりそうなほどに歓喜した。

そんなことを言われたら、断れないじゃないか。
「はい。僕から差し入れ」
コンポーザーはコートのポケットから、缶コーヒーを二本取り出し、そのうちの一本を私に差し出してくれた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」

お互いにプルトップを開けて、缶をコツンとぶつけ合う。
まだぽかぽかの缶を傾けた。
温かいコーヒーが冷たい体にしみる。

お互い体が温まり、少し落ち着いたところでコンポーザーが口を開いた。
「僕のところからも見えたよ。ユウが地団駄踏んでるところ」
「わっちゃ〜、見られてたんですか……。恥ずかしい」
赤くなった顔をさすって照れ隠しをする私を、コンポーザーはクスクス笑う。
「ありがとう」
「はい?」
「出動人数も少ない中、一生懸命この街のために動いてくれて」
「え、えへへ……」

褒められると嬉しいけれど、なんだかくすぐったい。
私はただ、与えられた任務を、こなしただけ。
私にとって当たり前のことをしただけなのに、コンポーザーにお礼を言われることがよくある。

コンポーザーと死神の私と、考え方が少し違うのかな、と思う。

おっと、照れ隠しついでに、今日一番の目的を果たさなければ。
「じゃあ、私からも差し入れです」
「差し入れなんて、色気のない言い方だなあ。もっと今日にふさわしい言い方がない?」
「クリスマスプレゼント、ですね」

バッグからラッピングしたプレゼントを取り出す。
と言っても、可愛い柄の紙袋にリボンをつけたシンプルなものなのだけれど。
プレゼントをそっとコンポーザーに渡そうとすると、意味ありげに唇の端を上げて、私を見つめている。
「受け取ってくださいよー」
「寒くて手がかじかんじゃった。ユウが開けてよ」
「承知いたしました」

仕事口調でいたずらっぽく答え、袋の封を切る。
コンポーザーは一旦肩から腕を外し、目を細めて私の手元を見ている。
コンポーザーの視線を意識して、少し緊張しながら袋から紺色のなマフラーを取り出した。
「前に会ったとき、首元が寒そうだったから。どうぞ」

そう言って、コンポーザーの首にそっとマフラーをかける。
紺色のマフラーは、コンポーザーになかなか似合った。
一生懸命吟味した甲斐があった。
あ、でもちょっと長すぎたかな。長さが随分余ってしまっている。
「どう? 気に入ってもらえましたか?」

コンポーザーはクスリと笑うと、とても自然な手つきで、するするとマフラーを私の首にもかけてきた。
戸惑う暇もなく、ぼうっとコンポーザーを見上げると、彼は今日初めて屈託のない笑顔を私に向けてくれる。
「うん、とっても」

そして、二人で手を握り合う。
たくさんの人で賑わうRGを、ふたりきりでUGから眺めていると、視界を白いものが横切った。
みぞれ混じりだったものが、徐々に純粋な白い雪へと変わっていく。
「今夜は積もるかもね」
「積雪大いに結構です。明日はお休みですし、家でゆっくり休みましょう!」
「そうしようか」

外は少し寒いけれど、こんな日も悪くないな、とコンポーザーのとなりで私は思う。

手の中で空になった缶コーヒーは、まだ温かかった。