ヤマアラシな僕ら

コンポーザーは、いつも渋谷のことを思っている。
渋谷の未来を憂い、過去の施策の研究にも熱心だ。
渋谷の町並みを見つめるコンポーザーの目は、いつも優しく穏やかだ。

そんなコンポーザーの眼差しを、独り占めしたいと思うことは、罪なのだろうか。

私は生前から渋谷が好きで、だから死神になって、この渋谷を統治している人物がいると知った時は、私はコンポーザーがどんな人なのか、知りたくなった。

最初はあくまで好奇心だった。
好奇心が全く別の感情に変わったのは、幹部になってからだった。
北虹指揮者から、コンポーザーの逸話をいくつか聞く内、ぜひ直接お会いしたいと思うようになった。

しかしUGのルールで、コンポーザーは指揮者以外の死神と直接交流することができない。例外を除いて。
ならば、例外的にコンポーザーとの謁見を認められる死神になればいいじゃないか。
私はそう思った。

そして私は努力を重ね、ついにコンポーザーの信頼を得るまでに、長い時間がかかったものの、ついに謁見の許可が出たのだ。

やっと私の努力は報われた。これでコンポーザーに胸を張ってお会いできる。
そう思っていたのに……。




コンポーザーとの初対面は、それはそれはひどいものだった。
北虹指揮者に付き添っていただきながら、審判の部屋に入り、コンポーザーに自己紹介をしようとした時だった。

突如起こった激しい頭痛と目眩に、全身が重くなった。
何が起こったかわからない。
体調管理は万全だったはずなのに、どうしてこんな時に。
「佐倉、大丈夫か?」
北虹指揮者が膝をつく私を支えてくれる。
「ぁ……何ですか、これは……」

無意識に漏れた私の言葉に、冷めた吐息が聞こえた。
「やっぱり君もダメだったか」
「コンポーザー。お言葉ですが、佐倉はまだ組織に入って3年程の中、ここまで成長したのは快挙と言っていいほどです」

コンポーザー。
北虹指揮者の話しかける先に、コンポーザーがいらっしゃる。
膝が笑ってどうしようもない体を何とかよじり、彼の姿を捉えようとする。

しかし、私の視線の先にいるのが誰なのか、わからなかった。
だだっ広い空間の中央に、大きな椅子が見える。
椅子の上に、何か靄のようなものが座っていた。
意識を集中すれば、人の輪郭に見えるが、見ようとすればするほど、私の頭痛はひどくなるばかりだった。
「コンポーザー、そちらに、いらっしゃるのですか……?」

その靄に私が息も絶え絶えに話しかけると、息を呑む音が聞こえた。
「君には僕が見えるのかい?」

コンポーザーが座り直して、私に問いかける。
「っ、いえ……申し訳ありません。お姿を確認することはできませんが、『そちらにどなたかが座っている姿』をおぼろげながら、確認できます」
「そう。……確かにこれは快挙と言っていいね」
コンポーザーがひとりごちると、北虹指揮者がもちろんですと頷く。

状況がいまいち把握できず、頭痛に苛まれるまま黙り込む私に、コンポーザーが補足する。
「波動の強弱の関係で、影響が出ることを聞いているでしょ? 差が大したことがなければ、交流にも問題ないけど、あまりにもかけ離れた波動の持ち主同士だと、どうしても色々不都合がでてくるんだよ。まさに今の君みたいに」
「では、この頭痛も、コンポーザーのお姿が見えないのも、私が弱いから……」
「そういうことだね」

コンポーザーが鷹揚に頷く。
北虹指揮者が私に慌ててフォローした。
「いや、佐倉が特別弱いというわけではない。コンポーザーはUGを統べるお方で、波動の高さもUGで最も高い。私もお会いしたばかりの頃は、君のようになっていたよ。むしろコンポーザーを見ることさえできない者も珍しくない中、君はちゃんとコンポーザーを視認できるという時点で、貴重な人材だ。誇りにしたまえ」
「は……、ありがとうございます」

北虹指揮者の高揚した口調から、ぼんやり褒められていることを理解し、よろよろと頭を下げた。




その後、私の状態から見てこれ以上の接触は不可能と判断し、北虹指揮者に引きずられるように審判の部屋を出た。
「申し訳ありません……」
「何、気にするな。少しすれば体調もよくなるはずだ。本部のソファーで休んでいくといい」
「ありがとうございます」
相変わらずフラフラの私にとって、北虹指揮者の心遣いは嬉しかったので、お言葉に甘えることにした。

組織本部の死せる神の部屋に着くと、ソファーに座り込んだ。
頭痛はだいぶ治まったものの、全身の倦怠感が抜けず、ぼうっとしてしまう。
「コーヒーでよかったか?」
「あ、わざわざすいません。ありがとうございます」

ぼうっとしていた私に、北虹指揮者が湯気の立つカップを運んでくれた。
そばにあった砂糖とミルクを遠慮なくお借りし、たっぷり甘くしたコーヒーを口にする。
ほろ苦くも甘ったるいコーヒーに、やっと一息つけた。

私の向かいの席に、北虹指揮者が座る。
彼はブラックのまま、コーヒーを煽った。
「体調の方はどうだ?」
「おかげさまで、だいぶ落ち着きました。先程の現象は、やはり私が原因だったのですか?」
「そうとも言えるが、少し違うな」
「違うとは?」

私が聞き返すと、顎鬚を撫でながら、北虹指揮者が答える。
「佐倉は『波動』について聞いたことはあるか?」
「いえ、あまり……」
「我々はそれぞれ固有の『波動』を放っている。言ってみればオーラのようなものだ。このオーラが近い者同士であれば、特に影響は出ない。君は俺と話していて、体調不良が起こるか?」
「いいえ」
「つまりそういうことだ。普通死神や人間同士なら、波動の差は多少あったとしても、影響が出るほどのことはない。だが、あのお方は別だ。
俺はあの方に仕えて数年になるが、未だにあの方のお姿を直視することができない。かろうじて背格好や表情を読み取ることはできるが、俺が佐倉を見るように、鮮明に見えることはない」

それだけコンポーザーの波動は、強烈なものなのだと言外に含ませた口調で、北虹指揮者が苦笑する。
サングラス越しにも、何年も付き合いのある上司の姿を、正視できない己の不甲斐なさを恥じている瞳が見えた気がした。
「では、どうしたら波動の差を埋めることができますか?」
「何?」
「今のままではコンポーザーとお話することさえできません。まずは波動の差を緩和しなければなりません。どうすれば北虹指揮者のようになれるでしょうか」
「は、ハッハハハハ」
少しポカンとしてから、北虹指揮者は笑い出した。

いや、そもそも幹部でさえない私が、北虹指揮者と同格になりたいという言葉は、実はものすごく失礼だったことに気付く。
「も、申し訳ありません」
気にするな、と言うように、手を振りながらも、北虹識者はひとしきり笑った。
「ハハハ……。そうか、佐倉もコンポーザーにお仕えしたいのか」
「はい」

北虹指揮者の目を見据えて、私は頷く。
「わかった。実を言うとコンポーザーもそれがお望みだったようだ。RGの状況に精通した君に、できれば直接RGの詳細を定期的に報告してもらいたいそうだ」
「え!?」
「つまり、君はお眼鏡にかなったということだ。これからも励み給え、佐倉ユウ」
「あっ、ありがとうございます!」

ソファから立ち上がり、テーブルにぶつけかねん勢いで、頭を下げたのだった。




それからもやはり苦労の連続だった。
北虹指揮者のおっしゃるとおり、そもそも『波動』の影響でコンポーザーとの謁見に支障をきたし、ろくに話すこともできなかった。

でも、時間が経つごとに、少しずつではあるけれど、二十分程の会話なら可能になり、やがてある程度コンポーザーのお姿を見ることができるようになる。




やっとコンポーザーに近付けるようになったと、舞い上がっていたある日のことだ。
その日もコンポーザーへの定期報告のために、審判の部屋へ向かっていた。

ちょうど北虹指揮者との定例会議の最中だったらしく、開けかけた扉をそっと閉めようとした。
北虹指揮者と楽しそうに話すコンポーザーのお声が、扉の隙間から耳に入る。
会議が終わって、ちょっとした雑談をしていたのだろう。
私の聞いたことのない、心を許した親しげな声音で、コンポーザーは北虹指揮者と話していた。

北虹指揮者の方が、付き合いが長いのだから、信頼度がそもそも違う。
分かっていても、あんな打ち解けた話し方をしているコンポーザーの一面を見てしまったことが、悲しくてうらやましくて仕方なかった。

何故あの場にいるのが、私ではなく北虹指揮者なんだろう。

私がコンポーザーと接触できるほどの立場に至るまで、決して短くない月日を要した。
そしてやっとコンポーザーと直接お会いしても、平気なくらい波動が成長するまで、さらに月日を重ねた。

少しはコンポーザーの信頼を得られたと思っていた。
でも所詮はただの思い上がりだったのだろうか。



ぐるぐる考え込んでいる内に、いつの間にかスクランブル交差点にたどり着いてしまった。

今日はやけに喧騒が耳に響く。
とにかく一人になりたくて、駅方面の薄暗くい裏路地に足を踏み入れる。
人通りは途絶えない場所だけれど、少しは落ち着いた。


 「こんなところで仕事をさぼって、何しているの?」

思わぬ声に振り向くと、そこにはいるはずのない、いてはいけない人物が立っていた。
波動のせいで、ずきずきとこめかみが痛む。
「佐倉君」
コンポーザー。
いつものようにスーツをスマートに着こなした、すらっとした体躯が目に入った。

私の目に見えるのは、それだけだ。
コンポーザーの顔を見据えようとすると、視界が歪んで頭が痛くなってしまうのだ。
北虹様やコンポーザーがおっしゃるように、私の波動がまだ未熟なため、コンポーザーの全容を把握することができないからだ。
「報告の時間は、過ぎているはずだけど」

表情は見えないけれど、つま先でアスファルトを叩いている様子や声音から、苛立っているのがわかる。
「申し訳ありません。まだご報告する内容の精査が、終わっていなかったので……」
「だからこんなところで、情報の整理をしていたの? こんな薄暗い場所で?」
「………………」

すぐにぼろを出してしまった私の耳に、コンポーザーのトゲトゲしい吐息が届いた。
そして、コンポーザーはすぐに二歩、三歩と素早く歩を進め、私の目の前にやってくる。

そして、コンポーザーは私の肩を思い切り乱暴に押した。
「痛っ」

背中が綺麗とは言い難い壁に当たる。
「え? え?」

コンポーザーが私を壁際に追い詰めるまで、十秒もかからなかっただろう。
その間、私は間抜けにおろおろしているだけだった。
「嘘吐きはキライだよ」

そう言って、困惑する私の顔のすぐ横に、コンポーザーが手をついた。
互いの息がかかるくらい距離が狭まる。
それと同時に、頭の痛みが強まる。万力でキリキリと締め付けられているようだ。
「あの……、コンポーザーはどうしてこんなところに?」
「それ、今聞く必要がある? 状況を理解できてる?」
「いえ、あの、それは……」

しばらく返事をしようとしては失敗する私を見下ろしていたけれど、さすがにそれも飽きたのか。
もう一度コンポーザーがため息を吐いた。
「どうして僕がこんなところに来たか、本当にわからない?」
「私が、仕事をさぼったから、ですか?」

おずおずと聞き返すと、今度こそコンポーザーはゆるゆると首を振った。
さしずめ『うんざり』の見本とも言えるくらい、うんざりした首の振り方だった。
「……約束の時間を二十分も過ぎて、君が来ない。何度携帯に電話をしても出ないから、わざわざ僕が出向いたんだけどね」
「えっ、それは、本当に申し訳ありません!」

慌てて携帯の着信履歴を見ようとポケットに突っ込もうとした手を、コンポーザーがひねり上げて壁に押し付ける。
「こ、コンポーザー……?」

いつもの穏やかな様子と全く異なるコンポーザーに、さすがに不安が勝って声をかける。
でもコンポーザーは、戸惑う私をお構いなしに、質問を重ねる。
「それで、どうして約束の時間に、僕の部屋に来なかったの。本当は部屋の入り口で待ってたでしょ?」
「あの、北虹様とのお話が長引いているみたいだったので、終わるまでにもう少し情報を、集められないかと、思いまして……」
「ふぅん。それでRGをスキャンするために、こんなところに来ていたんだね」

確認するようにゆっくり話すコンポーザーに、こくりと頷く。
「本当に?」

コンポーザーの声が、眼前で響く。
「言ったよね? 嘘吐きはキライだって。本当にそんな理由なの?」

私の手首を掴む大きな手に、ギリ、と力が込められる。
まるで全身を握られたように、私は身動きが取れない。
「本当はそんな理由じゃないよね。じゃあどうして佐倉君はこんな場所にいるのかな」

子供をからかうような口調で、コンポーザーは独り言のようにつぶやく。
「もしかして、僕とメグミ君の仲が良いのを、嫉妬しちゃった?」

あっさり図星を指されて、顔が赤くなる。
「僕の勘も捨てたものじゃないな。でも、どうして佐倉君が嫉妬する必要があるんだろうね? ……もしかして、僕のことが好きなの?」
「そ、それは……」

コンポーザーの拘束を逃れたくて、体をよじってみても、ダメだった。
逆に両方の手首を 掴まれて、壁に押し付けられてしまう。
「ねえ、君が僕と対等に付き合えるのかな? 僕の顔も見られない君と僕が」
「っ…………」

答えられない私に、コンポーザーが畳み掛ける。
「無理だよね。だって、顔も直視できなくて、一緒にいるだけで具合が悪くなるような相手と付き合うなんて、できないよね。
でも、安心して。僕が言うのもなんだけど、君は優秀だよ。人物像もほとんどあやふやな僕に会いたい一心で、今まで手柄を立ててきたんだ。意欲的にRGとの交流を図り、膨大な情報量からコンポーザーの役立つものだけを的確に選んで、届ける。そんなことを業務の片手間にできる死神は、僕の知る限りで、君以外いないよ。
きっと君は、僕の恋人になれなくても、最高の片腕になれるさ。佐倉ユウ……」

私の耳元で、いっそ冷酷なほど甘い声音で、コンポーザーが囁いた。

最悪だ。
コンポーザーに褒められたい、認められたいと、常日頃から思っていたけれど、これほどにも苦々しい褒め言葉はない。
嬉しくない。
ちっとも嬉しくない言葉が、私の胸を突き刺す。

はぁと、心底うんざりした様子で、コンポーザーはため息を吐く。
「ま、この程度のことで諦めちゃうってことは、君の気持ちもその程度ってことだよね。どうせ諦めるなら、君自身の受け止め方を変えればいい。『甘ったるい関係にはなれないけれど、今の関係に満足している』と考えれば、いいんじゃないかな」

視界が滲み、鼻がツンと痛む。
泣くな、と自分を叱咤する。
ただでさえ醜態を晒しているんだから、せめて一番みじめったらしい表情を、この方の前で晒すな。
ギリギリと唇を噛み、涙がこぼれないようにまばたきをやめ、それでもやっぱりコンポーザーに綺麗とは言い難い表情を見せたくなくて、下を向く。
何とか呼吸を整えてから、私はコンポーザーに向き直った。
「思い上がってしまって、申し訳ありません。すぐに報告へ参りますので、コンポーザーは……」

部屋にお戻りになってくださいと言いかけたとき、コンポーザーが遮る。
「それで?」
「はい?」
「佐倉君は、それでいいのかな?」
「あ、の……」

いいわけがない。
本当はもっとコンポーザーに近付きたい。
でも、さっき、コンポーザー自身が言ったではないか。
『自分のことは諦めろ』と。
「私、は……」

コンポーザーの静かな瞳が、私を見つめているのに気付いた。
本音は『ノー』だけれど、遠回しにとはいえ、諦めろと言われた私に、本音を言う資格があるのだろうか。
涙の滴りそうな目を向けると、やっぱりコンポーザーの目は私を見ていた。

コンポーザーの目に、私を非難する影はないように感じる。
ただ、自分の本音と向き合うよう、うながしているようにさえ見えた。
本音を言おうとしても、さっきのコンポーザーの冷たい声が蘇り、言葉の代わりに別のものがこみ上げてきてしまうから、『いいえ』と首を振る。

もう一度コンポーザーが、やれやれとため息を吐く。
今度は随分軽い調子だった。
「僕はね、いかにもイマドキらしい、すぐに諦めちゃうこも、他人の言うことに簡単に従っちゃうこも嫌いなんだ。つまずいても、とびきりの誘惑にあっても、自分なりに考えて進んでいこうとするこが好きだよ」

フフッとコンポーザーが笑う。
そして
私は自分のおでこに、何かやわらかいものが当てられたのを感じた。
「こ、コンポーザー」
「まだ赤点ギリギリだけど、頑張った佐倉君にごほうびだよ。頑張って、僕の隣まで這い上がっておいで」

クスクス笑っているコンポーザーを見て、おでこにキスされたことをじわじわと自覚し始めた私は、カアっと顔が熱くなった。
私は、私に気を許した笑顔のコンポーザーが、見たかったんだ。

お返しに、今度は私がコンポーザーの肩を両手で押して、壁際に押しやる。
油断していたらしいコンポーザーの背中は、あっさり壁についてしまった。
「 ゆ、佐倉君?」

戸惑うコンポーザーに、素早く近付いて、私は背伸びをした。
さっきコンポーザーがそうしたように、唇をコンポーザーの顔に、頬に寄せる。

チュッと軽い音を立てて、私はコンポーザーの頬にキスをした。
「…………」

やり返されたコンポーザーは、呆然と私を見つめている。
「今のは私からのお礼と、……それと新愛の証です。近い将来、私は必ず唇にキスできる関係になってみせます。『這い上がって来い』と言ったのは、あなたです。後悔なさらないでくださいね」

しっかりと瞳を見つめて私が言い切ると、しばらくぼうっとした後、またコンポーザーは笑った。
「ねえ、佐倉君」
「はい」
「今ここがどこで、何をしてるか、わかってるかい?」
「え? あっ!」

コンポーザーに言われて、周囲を見回す余裕が出来た私は、さらに赤面するのだった。