春雨

 俺には体温というものがない。
 顕現されて初めての手入を受けた時、俺の持ち主が俺の肌に触れた時言ったのだ。
『大倶利伽羅、あなたとても冷たいね』
 疑問に思った持ち主が管狐を呼びだして問いかけたところ、不具合ではなく『物』としての意識が強い刀剣男士は、時折人としての肉体や語感が欠落した状態になるそうだ。確かに俺は自分を刀としてしか見ていなかった。だから俺に体温がないと言われても、『戦に支障がないなら関係ないな』と呟いた。その時、何故か持ち主は悲しそうな顔をしたのが解せなかったが。

 俺の今の持ち主は本丸に通いでやってきていた。現世で『学生』として生活しながら、審神者としても働いているらしい。何かと忙しそうにしているのをいいことに、俺は持ち主との交流を避けていた。
 桜が綻び始めたある日、持ち主が俺の部屋にやってきて、神妙な面持ちで口を開いたのだ。
『大倶利伽羅、実はお願いがあるの』
『慣れ合いなら他の連中とやってくれ。俺には向いていない』
『大倶利伽羅にしかお願いできないの』
『……戦か?』
 俺の言葉に持ち主はゆるゆると首を横に振る。
『今度、現世に行く時、大倶利伽羅に護衛をお願いしたいんだ』
『俺に?』
 妙な頼みだった。普段の護衛は初期刀の加州清光や、持ち主とやたら慣れ合いたがる連中から立候補制で選んでいた。なのに何故俺を指名する?
『事情は今話せないけど、他の子達じゃ駄目なんだ。今回だけでいいから、お願いできないかな?』
 持ち主が俺に向かって頭を下げる。そのままの姿勢で微動だにしない。
 ややこしいことになった。持ち主は一度言い出したら聞かないところがあるのだ。
 俺は溜息を吐いた。
『……わかったよ。日取りはいつだ?』
『本当!? ありがとう! 大倶利伽羅。明後日の土曜日の朝からお願い。その日は終業式で学校が早く終わるから、すぐ帰れると思う』
『そうか』
 一見嬉しそうにしてみせた持ち主だったが、その表情にどこか影が差して見えたのは、俺の気のせいではなかっただろう。

 そして持ち主の予告通り、土曜日の朝、持ち主と俺は本丸を発った。
『えー、なんで俺じゃなくて大倶利伽羅なの? せっかくだからこの間教えてくれたお店、また行きたかったのに』
 城門の前で加州清光が甘えた声を上げる。
『ごめんね、清光。また今度お願いね。じゃ、行ってきます』
『行ってくる』
『ちぇー。早く帰ってきてよ、主ー!』
 加州清光達に見送られながら、俺達は城門をくぐり現世へ向かった。

 初めて人の肉体を得て出る現世は、空の色が希薄で人が沢山いた。
 持ち主の通う“学校”は、本丸ほどではないが桜が咲いていて、同じ服を着た若い男女とその親達でごった返していた。
 終業式が終わるまでは学校の外で待っていてと言われたので、俺はそのまま待機していた。
 今のところ遡行軍の気配はない。何事もなく終われそうだ。

 そう思った時、持ち主が学校の正門から出てきた。声をかけようとしたが、もう一人の人間と一緒にいるのが目に入ったので、俺は止まった。持ち主より少し背が高い、制服を着た少年だった。
『君、どうしたの?』
 桜の木の下で少年が持ち主に問いかける。
 持ち主はしばらく口をぱくぱくと開閉してから、意を決した様子で口を開いた。
『あのっ、私、先輩のことが好きなんです! 付き合ってくださいっ』
 一陣の風が吹く。
 二人の間をぶわりとまるで刀剣男士が顕現する時のように、桜の花びらが舞う。
 そして──。
『ごめん、実は俺もう付き合ってる子がいるんだ』
『そうですか……。いえ、すみません』
 少年は気まずげな顔をして去っていった。
 持ち主は独り、取り残された。
『おい』
 俺は持ち主に声をかける。すると持ち主は目元を真っ赤にしていた。そして俺の胸元に飛び込んできた。
『おいっ』
『ごめん、大倶利伽羅。今だけでいいから……』
 ぎゅっと俺の上着を握りしめて離さない持ち主に、俺は当惑した。今のはどういうことだったんだ? 好き、ということは持ち主はあの少年に好意を抱いていたということなのか?
『わかってた。最初からわかってた! 先輩に彼女がいること! それでも諦めきれなかった! だって、好きなんだもん……』
 持ち主の声がくぐもる。俺のシャツに水滴がかかる。どうやら泣いているらしいと気付くのに、少し時間がかかった。
『大倶利伽羅を護衛にしたのだって、他の子達にこんな顔見せたら、先輩のこと斬っちゃうかもしれないって思ったから。慣れ合いが嫌いな大倶利伽羅なら、きっと護衛としての仕事だけをしてくれるだろうって思ったから。だから、私……』
 こういう時、どうすればいいのか俺にはわからなかった。しかし俺の当惑している間も持ち主の嗚咽は止まらない。
 だから俺は持ち主の目元を拭ってやった。
『そら、もういい加減泣き止めよ。』
 持ち主は驚いたように俺を見上げた。痛々しいまでに赤くなってしまった目が気まずくて、視線をついと外す。
『……ありがとう、大倶利伽羅。優しいんだね』
『別に。そんなことはない』
『そんなこと、あるよ』
 持ち主は泣きながらも笑ってみせた。どうやら俺はなだめることに成功したらしい。
『実はね先輩にフラれたら、現世の未練もすっぱりなくせるって思ったの。だから今日、私はこうなるってわかってて、先輩に告白した。後悔はないよ』
『つまり審神者に専念するということか?』
『うん。戦争に参加するなら今までみたいに中途半端なことじゃやっていけないって、前々から思っていたの。だから学校もやめて、本丸で皆と一緒に暮らす』
『本当にそれでいいのか? いつ戦が終わるかわからないんだぞ』
『大丈夫だよ。大倶利伽羅達がついていてくれれば、私はどこまでも戦える』
 大倶利伽羅『達』と言われた時、俺は何故かむっとした。俺だけでは不満なのか、と言いかけて、やめた。
『他に寄るところはないのか?』
 俺が尋ねると、持ち主は目をぱちくりさせた。
『え、でも……大倶利伽羅は早く帰りたいでしょう?』
『これからは現世にもあまり戻ってこられなくなるんだろう。未練は少ない方がいい』
『……ありがと。大倶利伽羅。それじゃあ家に帰って、お母さん達にお別れの挨拶を言って、それから本屋さんと雑貨屋さんにも寄りたいな。あと駅前のクレープ屋さんも……。あーっ、今嫌そうな顔したでしょう!』
『確かに寄るところはないかと言ったが、荷物持ちまでするとは言っていない』
『ケチー!』
 とはいったものの、結局持ち主の希望する全ての場所を回った。持ち主の家で会った母親からは『カレシかい?』とひやかされた。最初は言葉の意味が分からなかったが、赤面して困惑する持ち主を見て気が付いた。カレシとは想い人という意味なのだと。
 持ち主は違うと否定していたが、案外その座に収まるのも悪くないかもしれないと思った。

 そして持ち主が審神者になって二年が経過した。
 今の季節は梅の花が咲く初春。ようやく本丸を覆っていた雪が解け始め、鶯の鳴き声がする。
 本丸の片隅で一人物思いに耽っていたところ、人の気配がして顔を上げる。持ち主だ。
「大倶利伽羅!」
 俺は手をひらりと上げて返事をした。
「いつもの場所にいなくて探したんだから。大倶利伽羅は、落ち着ける場所を探す才能があるね」
「フン」
 俺と持ち主が恋仲になって、一年になる。
 人の恋慕の情、というものは、俺にはよくわからない。
 しかし神として一人の人間を独占したいという欲求が、初めて持ち主を護衛したあの日から強く出るようになった。神域に持ち主を連れ出したいが、戦にも出たい。刀としての本懐を遂げる前に、持ち主を連れ去っては意味がない。だから俺達はこうして恋人という関係でいられる。
「今日は暖かいね」
「そうか」
 持ち主が俺の肩にもたれかかってくる。その小さい頭の感触は嫌いじゃなかった。
 持ち主は暖かいと言ったが、その感覚も俺にはピンとこない。よほど暑いか寒いかでなければ、俺には寒暖差が明確にわからないのだ。いつぞやに熱湯に指を突っ込んで温度を確認し、火傷を負った時は、持ち主をひどく心配させてしまった。
「あんたはこんなところで油を売っていていいのか?」
「もう遠征も出陣も書類仕事も終わったし、今日は大丈夫だよ」
「ならいいがな。あんたは時々抜けてるから」
「何よー」
 持ち主が戯れた調子で俺の肩をぽすりと叩く。
 するとしと、しと、と雨が降り始めた。音もなく降る春雨に、持ち主は驚いた様子で空を見上げる。空は晴れているのに、雨が降っている。狐の嫁入りだ。
 春は過ごしやすいと聞くが、こうして急に雨が降ってくるので油断できない。
「おい、こっちだ」
「うん」
 俺はすぐに持ち主と手を繋ぎ、近くにある東屋へ誘導する。幸いにも小雨だったため、さして濡れることはなかった。
「雨、止むかな」
「さあ、どうだろうな」
 俺は上着を脱ぐと、持ち主に着せてやった。
「風邪を引かれたら俺が困る。出陣できなくなるからな」
 俺がそう言うと、持ち主はクスリと笑ってみせた。
「素直じゃないんだから」
 そしてそのまま俺の胸に飛び込んできた。
「おい、俺に寄りかかったら冷たいだろう」
 俺に体温はない。表面上は人と同じ肉体だが、刃と同じ冷たさだ。雨の降る中、鋼の冷たさを全身で感じたら、それこそ風邪を引いてしまいかねない。
「ううん、大倶利伽羅はあったかいよ」
 持ち主がぎゅっと俺を抱きしめる。俺も諦めて持ち主を抱きしめ返した。
 俺は持ち主の人肌の温もりを感じる度に、ああ食ってしまいたいなあ、と思うのだ。






top

2023年3月9日

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字