「もぉ~」
隣で吐息混じりの呆れ声がした。
「いくら新しい景趣をもらえて嬉しいからって、ここで仕事することはないでしょう?」
近侍の堀川国広である。
そう。彼の言う通りである。
私は政府が新規に配布した景趣『小雪・寒椿』をようやく入手した。
苦労した甲斐があった。といっても、苦労したのは審神者の私ではなく、遠征や内番に精を出した刀剣男士達なのだが。
「そ、そうだね」
堀川は赤くなった鼻先を白い襟巻から出して、書類に手を伸ばした。
その先に見えるのは、雪がちらほらと舞う光景。小雪が椿につもる様は見事だ。
そんな風景が、前後左右どこを見ても広がっている。
なんと雅なことか!
綺麗、素敵とはしゃぐうちに、こう思ったのだ。
ここで四六時中過ごしたい、と。
しかしながらこんな私のわがままを、刀剣男士達は反対した。
雪の降る中、四方を壁で覆われていない場で長時間過ごしたら、風邪を引いてしまう、と。
防寒着はばっちりだ。
ヒートテック、裏起毛のシャツ、とっくりセーター、その上にキルトダウンコートを羽織っている。ちなみにコートの裏にはホッカイロを二枚仕込んでいる。
手袋だって装備済みだ。細かい作業をできるよう、指先だけ出せるタイプの物だ。
呼吸するたび口や鼻が痛くなるので、マスクもつけた。
「その格好で表に出ないでよ」と、ある刀剣男士に眉をしかめられてしまった。当然である。
「いいかい、いくら風景が雅でも、それを嗜む側にも景観を損なわないだけの優雅さが必要なんだよ」と、ある刀剣男士にたしなめられてしまった。ごめんなさい。
隅に置かれた火鉢から、ぱちぱちと爆ぜる音がした。
風邪を引いたら大変と、刀剣男士達がわらわらと火鉢やらストーブやら緑茶やらを持ってきてくれた。
灯油ストーブの温かい匂いが鼻先をかすめる。
この香りを嗅ぐと、ああ冬だなと感じる。
匂いを嗅ぐまでもなく、周りを見れば足跡一つない見事な白銀の庭が見えるのだが。
板敷の間で正座して作業するのは、あまりに寒かったので諦めた。
今は通販サイトで購入した、飴色のテーブルと椅子を持ってきて、それを使っている。
寒いには寒いが、床に直接座るよりは幾分ましである。
隣でぎっと椅子が鳴った。音につられて、そちらをちらりと見やる。
堀川国広。
今夏に修行を終えて帰ってきた。
普段は明るく振る舞い、何事もぱっぱとこなす彼にも、いくつか葛藤があったらしい。
私は修行に出る以前の彼を、せわしない刀剣男士だと思っていた。どこか所在なさそうにいつも相棒の和泉守兼定を探していた。
世話焼きと言えば聞こえはいいが、手が空くことを怖がるように、いつも何か作業をこなしていた。
そんな彼も修行を経て変わった。
現代における刀の意味、現存しない自分の存在意義。
不安要素だったそれら二つを、堀川は修行で解決した。
今は胸を張って、和泉守兼定の相棒を名乗るようになった。
そして、私という人間の刀だとも、はっきり自覚できたらしい。
私がこの寒椿の間で作業しているのは、半ば意地だった。
数日前「この綺麗な庭を一日眺めていたい」と言ったところ、周囲から現実的ではないという真っ当な答えが返ってきた。
当然である。だって、通常の審神者の執務室と違って、寒くなったからと言って障子を閉めて寒さを遮ることができない。
だが、だめと言われると、どうしても、と思ってしまう私の悪癖が出た。
周りが反対すればするほど、意固地になってしまう。
そして刀剣男士達は“主”の言に忠実だ。
皆渋々私のわがままを許した。
普段私がわがままを言い出したら、皆ある程度放っておいてくれる。
そして私の心が折れそうになる前に、気心の知れた者達がそれとなく声をかけて止めてくれる。
しかし、今はそんな悠長なことを言っていられる場合ではなかった。
──連隊戦。
年末年始にかけて行われる、政府主催の大規模な演習が行われているのだ。
私のフォローに回ってくれる者達は、出払っている。
だから私は一人で黙々と、この吹きっさらしの場所で仕事をしていた。
そこにやってきたのが、近侍の堀川国広だった。
彼も例にもれず、私の意固地を止めに来たのだ。そう身構えた。
私の警戒する様子を見た途端、堀川は苦笑した。
「もう、僕は温かいお茶を持ってきただけですよ。ほら」
そう言ってテーブルの上に湯飲みを置いた。
「お仕事まだ残っているんですよね? 手伝いますよ」
「…………」
「お茶、冷めない内に飲んでくださいね。すぐに冷たくなっちゃうから」
「……うん」
「綺麗ですね。お庭の椿が見事に咲いてます。あっ、今枝から雪が落ちていきました! 前の主だったら、きっと一句読んでいたでしょうね」
堀川に誘われるまま、湯飲みを持ち上げて、一口ずずっとすする。
程よく温かい茶に、ふてくされた心がほぐされる気がした。
修行に出る前の堀川は、私と一歩距離を置いていた。
いつも大人げなく意地を張る私に、どう対応したらいいかわからないらしかった。
けれど修行から帰ってきてから変わった。
以前も何か意地を張って周囲の手を煩わせた時、堀川は「なるほどー。主さんは意地っ張りなんですね」と一人納得していた。
それから堀川はいつもわがままを言って困らせる私を、迎えに来るようになった。
自分でもわかっている。
意地を張って無茶をして、痛い目を見るのも、寂しい思いをするのも、全て私の自業自得なのだ。
当然である。
けれど刀剣男士達にとって主は大事だから、私の無茶や意地に心配せざるを得ない。それが時折煩わしくてたまらなくなるのだ。
彼らの主だから大切にされる。私という人間が大切というわけではないのだ。
そんな風に思ってしまう。やさぐれてしまう。
堀川が冷たくなった空の湯飲みを盆に下げた。
そしてさりげない声音で言うのだ。
「一区切りついたら、いつもの執務室に戻りましょうね。厨でお汁粉を用意しているみたいですよ」
「うん」
堀川は私がどんなに捨て鉢になっても、私を見捨てたりはしなかった。
自分だけでなく、皆があなたを心配していますよと、声音や言葉で伝えて、安心させてくれる。
頭にそっと彼の手が乗せられる。
「えらいえらい」
そんな彼の優しさに、私はいつも甘やかされているのだ。
寒椿に涙は解けて
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