初めての

「やっちゃった……」
 私は執務室でがくりとくずおれていた。やってしまった。そう、やってしまったのだ。

 私の近似で第一部隊長のへし切長谷部と交際して、一年になる。そんな長谷部と、初めて喧嘩してしまったのだ。  私が他の刀剣男士や審神者と仲良くしているのを見て、長谷部が嫉妬することはよくある。そして私が長谷部の前の主達に嫉妬してしまうこともよくある。けれど、まさか、怒鳴り合いにまで発展するような喧嘩になったのは、今日が初めてだった。
「どうしてこうなっちゃったかなあ……」
 非常に気まずい。今日もこの後は執務が残っている。つまり、長谷部と顔を合わせなければならない。いっそ近侍を変えてしまおうか? いや、それでは公私混同だし、長谷部の代わりに近侍を担当する刀剣男士だって、気まずい思いをするだろう。
 であれば、やはり予定通り長谷部を近侍に据えたまま、執務に当たるしかないだろう。
 長谷部に非はなかった。完全に私の自業自得だった。だから謝るなら私からだ。長谷部と仲直りがしたい。
 そもそもの事の発端は、私の悪癖が出てしまったことだ。

 私は精神的に弱い面がある。ちょっとしたことですぐに落ち込んでしまう。ただ、落ち込んだ私を見れば、この本丸の刀剣男士達が真剣に心配してしまうので、なるべくそういった面は見せないようにしていた。
 今日の執務中、こんのすけが突然私の前に現れて、政府からの伝令を持ってきた。私の本丸の戦績があまり芳しくないこと、資源や札が他の本丸よりも備蓄されていないことをくどくどと言われ、さらにとどめが「やる気がないなら辞めていただいても一向に構わないのですよ」だった。
 怒涛の駄目出し。しかも恋人で部下でもある長谷部の目の前で、罵倒されたことが堪えた。ショックで茫然自失としている内に、こんのすけはしゅるりと姿を消してしまった。そして執務室には、私と長谷部だけが残された。
「主」
 長谷部が声をかけてくれたが、応える代わりにぽろりと自然に口から「死にたい」という言葉がまろび出た。
 恥ずかしかった。よりにもよって長谷部の前で、私がいかに不出来かを白日の下に曝されたことが耐え難かった。
 次の瞬間、ぱん、と乾いた音がした。少し経ってから、私の頬がじんじんと痛みを感じた。
 見上げれば、長谷部が手を振り下ろした体勢で仁王立ちしていた。
 え……? 長谷部が私を、ぶったの……?
「何故そのようなことを言うのですか! 主はまだお若いでしょう! なのに俺を置いていくと言うのですか!」
「長谷部……?」
「主の気に入らないものも、仇なすものも全て切り伏せましょう! ですがそれだけは駄目です! 何故この程度のことで、死にたいなどと仰るのですか!」
 “この程度”という言葉に、私はカチンときた。
「この程度ですって!? 長谷部にはわからないでしょうね、私の不出来さを恋人の前で散々になじられて、惨めな気持ちになることなんてないんだから! 私の気も知らないで、やめてよ……」
 途中までは威勢よく言えていたけど、途中からあまりの情けなさに声がすぼまり、最終的に涙がこぼれて止まらなかった。
「主……」
「もういい、一人にして。頭を冷やす」
「ですが」
 私の肩に手をかける長谷部。けれど私はその手を振り払い、目を伏せた。
「主命よ」
「……主の命とあらば」
 そう言って長谷部は執務室を辞した。
 静かに閉められた障子を、私はいつまでも見ていた。

 さて、もうすぐ執務再開の時間だ。長谷部も戻ってくるだろう。すぐに長谷部に謝らなきゃ。
 散らかった執務室の机を片付けていると、「失礼致します、長谷部です」と遠慮がちな声が響いた。早速やってきたか。
「どうぞ」
「はっ」
 長谷部が障子を開けて入室してきた。
 私の向かいに座り、長谷部は伏し目がちに書類整理に手を付ける。そんな長谷部に謝ろうと思い、声をかけた。
「長谷部」
「主」
 声が同時に重なった。なんだ、結局長谷部も同じ気持ちだったんだ。
「私から先に話してもいい?」
「なんなりと」
「ありがとう」
 私は居住まいを正し、長谷部に向き直った。
「長谷部、さっきは死にたいなんて言ってごめん。怒らせるつもりなんて、なかった。不安がらせてごめんね」
 すると長谷部がするりと私のそばに近寄ってきて、ぎゅっと抱きしめてくれた。私も長谷部を抱きしめ返す。
「よかった……。本当に死にたいと思われていたら、どうしようかと思いました……。俺の方こそ、先程は主を叩いてしまい、申し訳ありませんでした。女人に手を上げるなど、男失格です
」 「そんなことないよ。あんまり痛くなかったし、いい荒療治になったよ」
「いいえ、それでもですよ。俺達刀剣男士の力は、主のような人間とは比べ物にならないほどのものです。だというのに、反射的に叩いては、主を怪我させてしまっていたかもしれません。痛くはありませんか? 怪我はしていませんか?」
 長谷部が不安そうな顔で私の顔を覗き込む。あまりの慌てぶりに、私はくすりと笑ってしまった。
「大丈夫だよ。叩かれた時に噛み締めたりもしていないし、血も出ていないよ。それに腫れてもいないでしょう?」
 そう言って笑ってみせると、長谷部はそっと私の頬に手を添えた。
「それなら、よかったです。主に仇名すものは、全て俺が斬って差し上げます。主の心の平穏をかき乱す何
もかもから、貴方をお守りしたい。貴方が例えどんなことになろうとも、俺は主の味方です」 「……ありがとう、長谷部」

 長谷部と見つめ合う。自然に互いの吐息が顔にかかる距離へと近付く。そのまま唇が合わさりそうになった──。 「よう、悪いな大将。遠征結果の報告だ」
 からかうような口調で、誰かが声をかける。はっとして顔を離すと、執務室の扉は開かれており、遠征部隊の面々がこちらを見ていたのだった。






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2022年12月9日

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