かりそめの永遠

 永遠などないなんて、嘘だ。
 ぼうっと私は本丸の縁側から、空を見上げて思う。いつもと変わらぬ青空が広がっていた。端切れの様な灰色の綿雲が風に吹かれて、どこかへ散っては形を変えていく。きっとこの光景も、今まで何度も見てきたものと同じものなのだろう。
 私は諦めて起こしていた上体を床に放り出す。変わらない日常が、延々と続くここは一体どこなのだろうか。審神者は政府から本丸という本拠地を与えられ、数多の刀剣男士達を呼び起こし、戦場へ出陣させる。本丸とは審神者にとって住居であり、己の聖域なのだ。例え刀剣男士達の方が審神者より神格が高かったとしても、本丸の中では審神者の言が、霊力が優先される。
 しかし、本丸が審神者の命令通りに機能しなくなった時、それは何と呼ぶべきなのだろうか。果たしてそれは審神者である私の居場所と言えるのだろうか。庭では短刀達が鍛錬している。私の見えないところで、彼らは私の割り振ったとおりに内番や厨の仕事をこなしているのだろう。しかしそれに何の意味があるのか。

 あの日のことはよく覚えている。
 私の本丸が、ある日突然外界との接続を絶った。
 出陣部隊が帰還したばかりの長谷部から出陣の報告を聞いていた時、突然エラー音が本丸中に鳴り響き、そして二度と外界に繋がる城門が開かなくなった。何とかして政府との連絡を取ろうと、本丸中の刀剣男士達をかき集め、彼らの端末や非常用端末を取り出して外界との連絡を試みた。
 しかし無駄に終わった。
 不安に思う皆を、私は落ち着くように言い聞かせた。しかし本丸中で一番不安だったのは、間違いなく私だっただろう。
 それを見抜いたのは、長谷部だった。
「主も御辛いでしょう。どうか無理をなさらずに。俺にできることがあれば、何でもお申し付けください」
 政府への連絡を何度も試み、その度にエラーを吐き出し続ける端末を前にげんなりしていた私に、長谷部がかけてくれた言葉だ。長谷部は私をねぎらうために茶と菓子を置いて、そっと執務室から去っていった。
 長谷部。
 そう呼ぼうとして、私は思い留まる。
 特定の付喪神に依存するのは危険だと、政府の研修で学んでいたからだ。そして何より、私の矜持が許せなかった。何年もかけて積み上げてきたこの本丸での私という存在を、長谷部の前でだけ崩すなど、できるはずがなかった。

「もしかしたらこの本丸の誰かが主を神隠ししたのではないか?」という疑念が芽生えたのはすぐのことだった。連日外界との接触ができず、疲弊し始めていた私にとって、その疑念は恐ろしかった。
 そう言い出したのは、御神刀の石切丸だった。大広間で集まって朝餉を食べている時のこと。普段は優しい彼が、厳しい眼差しを全ての刀剣男士に向けていた。同じ疑念を他の御神刀の刀剣男士達も抱いていたようで、皆がすくと立ち上がる。巨躯が座っている皆を圧倒する。
「……斬りますか?」
 静かな声音で、長谷部が私に問いかけた。何を、と問うことはできなかった。
 私は長谷部が楽しげに戦場で敵を斬り裂く様が好きだ。殺気立つ長谷部が好きだ。しかしそれを私のいる領域で見せられては、怖くてとても動けなかった。
 私の身体の強張りに気付いた長谷部が、「申し訳ありません」とすまなそうに謝った。そこでやっと私の緊張はほぐれ、「余計な詮索はしないほうがいい。ただし、もしも本当に神隠しを決行しようとしたものがいるならば、正直に言ってほしい」と伝え、その場は解散となった。
 当然のことながら、私の元に白状しにきた刀剣男士はいなかった。


「良い天気ですね」
 どうぞ、と呟きながら長谷部が、縁側にお盆を置く。その上にはお茶が二つと私の好きな金平糖や煎餅が乗っていた。そして長谷部はそのまま私の隣に正座した。湯呑を一つ持ち上げて、お茶をすする長谷部。
 違う。以前の長谷部はこんなことをしなかった。
 長谷部は私の近侍だ。いや、近侍というより第一部隊の長を任せていた。常に出陣しては手入部屋と執務室を往復していた。
 私と個人的な会話をすることはほとんどなかった。そんな暇などなかったからだ。私なりの気遣いでもあった。長谷部はかつての主達に執着し、今なお囚われている。内心では私に何かを期待していることも知っていた。しかし私は彼の特別な存在になれるほどの器量の持ち主ではないと、私自身が自覚していた。だから彼の期待から逃げたのだ。そのために彼に膨大な数の出陣を繰り返し行わせ、過去のことも私のことも考える隙を与えぬようにしてきた。
 今はどうだろうか。閉じ込められた世界で、近侍として淡々と働く長谷部は、果たして幸せと言えるのだろうか──?
 私は長谷部が好きだった。戦場で駆け巡る長谷部が好きだった。前の主について真剣に苦悩する長谷部が好きだった。修行先で律義に私へ礼を言う長谷部が好きだった。
 長谷部はもう二度と戦場に出陣することができない。あの戦好きの長谷部が、戦場で血みどろになりながら楽しそうに敵を屠る長谷部が、もう二度と。

「いいものですねぇ花見は」
 ひらりと桜の花弁が縁側に舞い落ちる。私は上体を起こし長谷部を見上げる。長谷部は私ではなく、庭で咲き誇る桜の木々を見ていた。
「もちろん一番は……いえ」
 そこまで言って長谷部照れ臭そうに微笑み、ようやく私を見た。
「花は刀も酔わせます」
 嘘つき。前はそんなこと、言わなかったのに。
 私は今この瞬間、本丸を外界から閉ざした犯人がわかってしまった。しかし目の前にいる張本人がいとおしいのか、憎いのか。それすら私には判断がつきかねた。
 長谷部はただただ静かに目を細めて、私を見ていた。






top

2021年5月30日

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字