嫉妬の先は

 ある日、俺が主と万屋街に買い物へ出ていた時のことだ。俺は近侍として、主の護衛と荷物持ちを務めた。
「これで大体の物は買い終わったかな。長谷部、ごめんね。色々持たせちゃって」
 主が俺を見上げながら仰る。確かに俺の両手には買い物袋がある。といっても大した重さでもないし、主に万が一のことがあればすぐに打ち捨てる準備はできている。警戒は常に怠らない。
「いいえ、これくらい当然のことですよ。なんでも俺にお任せください」
「頼もしいなあ。でもあまり無茶しちゃ駄目だよ」
「無茶など何も。ただ俺は主命に従っているまでのことで……」
 そこで俺の言葉は途切れる。前方から突然、俺達の方へ走ってくる犬が見えたのだ。その様子はまっしぐらという表現が、ピタリと当てはまるくらいのものだった。
 犬の大記者俺のすねぐらいでさほど大きくもなく、獰猛な様子もない。人懐っこそうな瞳でウルウルとこちらを見上げながら、やってくる。止めるべきか?
 そう考えていると、主がそっと膝を折った。
「主?」
「おいでおいで」
 なんと主が犬に向かって、手招きしているではないか!
「主、危険です! もしも野犬に噛まれでもしたら……」
 俺が止めるのも気にせず、主は突進してきた犬畜生の頭を撫で回している!
「大丈夫だよ。ほらこの子、リードと首輪がある。きっと飼い主さんとはぐれちゃったんだよ。一緒に飼い主さんを探してあげよう」
 主の言う通り、犬畜生の首には朱色の首輪が巻かれ、その先にはひもが括り付けられている。
「しかし……」
「お座り」
「わんっ!」
 主がそう言うと、犬はぺたりとその場に座り込んだ。思いの外利口らしい。しかしまだ撫でられたりないのか、ぐいぐいと主の御手に頭を摺り寄せている。犬畜生の分際でなんという奴。
「すみませーん!」
「あっ」
 遠くから必死に走ってくる男の姿があった。すると犬畜生は主の手を離れ、男の元へ一目散に走っていく。男は輪っかになったひもの持ち手をしっかりと握り、俺たちの元へやってきた。近くで見ていて気付いた。男は主と同年代のようだ。
「先ほどはうちの犬が失礼しました。店の軒先に繋いでいたんですが、ひもがほどけてしまったみたいで……。あの、怪我とかありませんか?」
「いいえ、大丈夫です。飼い主さんが見つかってよかったです。可愛い子ですね。本丸で飼っていらっしゃるんですか?」
「ええ。元々審神者になる前から飼っている子でして、政府に許可をもらって、本丸に連れてきました」
 むっ。
 俺の悋気など露知らず、主と男が話を弾ませている。その間も犬畜生は飼い主と思しき男を、キラキラした瞳で見上げている。先程までは主にべったりだった癖に、現金な奴だ。
「そうだったんですか。本丸でも動物が飼えるんですね。私も何か飼おうかな……」
「犬はいいですよお。可愛いですし、皆のアイドルです」
 他愛もない話をしている主と男を前に、俺はじりじりとしたものを胸に感じた。嫉妬だ。俺は目の前の男に嫉妬している。
 そんな時、男の連れと思しき秋田藤四郎がやってきた。
「主君ー! 太郎君、見つかりましたか?」
 遠くからやってきた秋谷、男が笑顔で答える。
「ああ、この方達の所にお邪魔していたらしい。それじゃ、そろそろお暇しますよ。お世話おかけしました」
「こちらこそ、可愛いワンちゃんを撫でられてよかったです。お気を付けて」
 主の言葉に男は笑顔で手を振りながら、去っていった。もしも連絡先を交換などということになっていたら、男を切り伏せるところだった。
 くるりと主が俺を振り返る。するとにこりと笑ってみせた。
 カバンからハンカチを取り出して、主は手を拭う。そして「おいで、長谷部」と俺を手招きした。
 主に請われるまま、目線を主と同じ位置にすると、頭を撫でられた。これは一体……?
「長谷部ったら、さっきのワンちゃんに嫉妬したんでしょう? 可愛いんだから」
 主の言葉に俺はがくりとうなだれそうになった。違う、そうではない。しかし、主に触れて頂けるのは嬉しいので、されるがままにした。すると主はさらに驚くべきことを口にした。
「さっきのワンちゃん、長谷部に似ていたね」
「俺にですか? どこが?」
「飼い主さんが見つかったら一目散に駆けて行ったり、飼い主さんだけを見ているところ。それから飼い主さんと一緒にいるのがすごく嬉しいって全身で伝えているのが、長谷部に似ていた。私といる時の長谷部も、あんな感じだもの」
 あの犬畜生と付喪神の俺が似ている……。言葉を発したのが主でなければ、無礼千万と切り伏せるところだが、ぐっとこらえる。
「……俺は主を置いて、勝手にどこかへ行ったりしませんよ」
 主は「それもそうだね」と笑って、俺にごめんねと謝るのだった。その笑顔が眩しくて、俺はつい視線を逸らした。






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2022年10月21日

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