どんな夢見てる?

 ぼんやりと、主が縁側に座って庭を眺めている。視線の先に何があるわけでもなく、池の鯉がぱしゃぱしゃと戯れているばかり。
「おはよう! 主」
 不思議に思った不動行光は、軽やかに声をかけた。もしかしたら寝ぼけているだけかもしれない。そう思って。
「おはよ……」
 しかし不動の予想に反して、主の返答の声はいつもに比べて小さく、元気がなかった。
「隣り邪魔するね」
 こういう時はそっとしておくのが一番だ。無理に元気づけるのはかえって逆効果な場合が多いことを、不動は身を持って知っている。何故なら修行に出る前の自分が、まさに放っておいて欲しいけれど誰かの傍に置いて欲しい。そんな孤独を延々と味わっていたからだ。誰かが傍にいてくれれば、抱え込んでいたものを自然と話したくなるものだとも。
 二人で池の鯉が泳ぐ様子や、枝葉が風に揺れるところを暫し見ていた。
「不動君はさ」
 しめた。
 不動は何でもない風を装って「うん?」と相槌を打つ。
「いいよね」
「……俺? 何が?」
「前の主がいてさ、いいなあって」
「そう、かな?」
 思わぬ言葉に不動の笑顔がわずかに固くなる。不動は前の主達のことを忘れたわけではない。完全に割り切れてもいない。けれど今の主に縋って強くなりたいからと言って、修行に出させてもらった身分だ。だから前の主のことを話題に出されると嬉しい反面、少しばかり、そう少しばかり、居心地が悪いのだ。
「私はわかんないからさ、そういうの」
「…………そうでもないんじゃない」
 前の主がいる感覚を分からないと主は言う。しかし前の主への嫉妬心はあるらしく、時折前の主のことを不動が話すと、複雑そうな顔をする。歴史の勉強になるからと不動の話に耳を傾けてくれるが、どうやら内心ではあまり割り切れていないらしい。
 本当は主の複雑な顔をする理由を、不動は知っている。
 今の主はなんとへし切長谷部という刀剣男士と結婚しているのだ。名と魂を相手に明け渡してもなお、長谷部の前の主達に嫉妬してしまうらしい。女心とは複雑だ。
「今日さあ」
 縁側の床板を爪ではじきながら主が言う。
「うん」
「私の方が長谷部よりちょっと早くに目が覚めちゃったんだよね。そしたら長谷部はまだ眠ってて」
「うん」
「すっごく幸せそうに笑っているのよ。あの長谷部が」
「へー」
 自分の伴侶がすっごく幸せそうに笑って眠っているなら、それはよいことなのではないかと不動は思うが、気のせいか床板をはじく音は段々速まっていく。
「それで長谷部が寝言言ったのよ。何て言ったと思う?」
「もしかして……、『信長様』、とか?」
 不動が怖々と尋ねると、主は忌々しげにため息を吐いてくるりと不動に向き直った。
「『長政様』!」
「あー……」
 そっちか、と内心思いながら、不動は頭を抱える。長谷部は執着している前の主が存在する。それが不動と同じく織田信長である。しかしそれとは別に心の奥底で愛してやまなかった方がいたらしい。それが黒田長政その人である。
「それで怒ってるの?」
「……怒っているっていうのとはちょっと違う」
「そうなんだ」
 怒っているようにしか見えないなんて、口が裂けても言えない。余計主の機嫌を損ねるだけだと、不動は分かっている。
「怒っているわけじゃないんだよね? じゃあ何が嫌なの?」
「いいなあって」
「何が?」
「前に不動君と長谷部が、信長について話していたことが何度かあったでしょ」
「……ああ」
 主に言われて不動は苦い顔になる。確かに何度かあった。修行に出る前、本能寺に二人で出陣させられた時、飲み会で不動が孤立していた時。
 長谷部は燃えゆく本能寺を前に、前の主などどうでもいいと言い切った。しかし実際にはそうではないらしい。長谷部もまた内心ではあまり自分の感情を御しきれていなかったのだ。そんな状態で長谷部は動揺する不動を宥めようとして、失敗した。あの時の会話から不動は長谷部に自分と似た臭いを感じ取っていた。
 ある時飲み会の席では隣りにわざわざ座ってくれた長谷部に、信長や蘭丸との思い出話を振って「前の主の蛮行を自慢するのは楽しいか?」と煽られ、喧嘩になった。しかし不動は気付いていた。自分達は前の主との思い出を覚えていて、共有できる感情がどこかにあると。それを長谷部は隠しているだけなのだと。
「それ見ていいなあって思ったの。私は長谷部とそういうことできないから、いいなあって」
「長谷部が前の主の話をしてくれないってこと?」
「そうじゃなくて! 長谷部が私にはわからない前の主の話をして、私にはわからない感情を前の主に抱いていて、それを共有できる仲間がいて、いいなあって」
「それは……」
 今の主は刀でもなければ、長谷部の前の主達と関わった経験もない。ある意味で前の主の話題は、刀剣男士達の領分なのだ。そこに今の主が関わろうとするのは無理がある。
 そして自分がない物ねだりをしていることに、主自身も気付いている。だからこそ先程までひっきりなしに床板に立てていた爪は、いつの間にか主の膝元に戻っている。
「いいなあ……」
 主の囁くような声が風に攫われる。落ち込む主を何とか励ましてやれないかと不動は知恵を絞った。不動は幼く見えても、何百年も生きた付喪神だ。人間の機微も多少は分かっているつもりだ。
「主だって、俺達には教えてくれないこと、沢山あるじゃないか。あいつだってきっと、主のこともっと知りたがっているよ!」
「そんなのない。だって長谷部、時々私が話してないことまで知っているし、絶対記憶読まれているよ……」
 主がしゅんと肩を落とす。神婚した付喪神は、伴侶の記憶や感情を知ることができると不動は聞いたことがある。とはいえまだ魂の全てを掌握したわけではないので、あくまで断片的な物であって、完全ではないようだが。
「案外知らないことが沢山あるみたいだけど。この間あいつ、主には隠し事が多くて困るってこぼしていたよ」
「本当?」
 主が顔を上げる。
「主は本丸に来る前の話をあまりしてくれないって」
「だってそれは……」
「それは?」
「神域で話せるネタが減ったら困るし」
「えっ」
 思わぬ返答に不動が目を丸くする。そんな不動に気付くことなく、主は続ける。
「だって長谷部と二人きりで何百年もずっといることになるのに、話のネタがなくなったら困るでしょう? 大して面白い話ではないけど、なるべく長谷部に退屈な思いをさせたくないし、それに」
 まだやみそうにない話を、不動はとりあえず両手を前に掲げて止めさせる。
 主の言う通り、神隠しされた人間は付喪神の本霊へ分霊と共に還り、数百年、時には千年以上かけて、魂を同化させていく。その長い間長谷部が退屈させないために、主は秘密主義になっているらしい。
「えっとさ……、主、ちょっと思い違いをしているんじゃないかな」
「何を?」
「もしかして主だけがあいつを退屈させないようにしないといけないって思っているように聞こえるんだけど。伴侶を歓待するのはあいつの方。だってあいつの都合で神隠しするわけだし」
「まあ確かに長谷部にもそう言われたけど、だからって長谷部の言葉に胡坐をかくのもどうかと思うんだよね。夫婦なんだから、一方だけが苦労するっておかしいでしょう?」
「まあ、そうかな」
 不動が話したのはあくまで一般論としての神隠しの話だ。しかし夫婦間によって異なる場面があるだろうから、不動はあいまいに頷いておく。だが愛着のある人間を手元に置いて長い間眺めていたい衝動はある。不動にはその相手がいないから、衝動はうっすらとしたものに過ぎず、どこか遠くの出来事のようだ。
 さてそんな話をしていると、主の夫神がぬっとあらわれて何食わぬ顔で主の隣に座った。へし切長谷部である。
 主は驚いた様子もなく、わざとらしくため息を吐いた。そしてそのまま流れるように言った。
「『長政様』」
「は?」
 長谷部はぴんと張った背筋を崩さないまま、片眉だけを器用に上げた。
「長谷部今朝、夢の中で長政様のこと呼んでた」
「左様ですか。この本丸での朝の挨拶が『長政様』になったのかと思いましたよ。おはようございます、主。不動もいるのか」
「そんなに恋しいなら朝の挨拶を『長政様』にしてあげてもいいのよ。おはよう長谷部」
 甘えた口調で主が言う。朝あった途端に皮肉の応酬をしているように聞こえるが、戯れているだけなのだ。
「おはよう! じゃ、俺はこれで~」
 不動は軽く手を振ってその場を後にする。落ち込んでいた主の機嫌は少しましになったようだし、長谷部が来たことでお役御免と早々に立ち去った。
 長谷部と主がそれに軽く手を振り返し、そして二人の間にあった距離を縮める。
「今日はどんな夢見てたの?」
「主の昨晩の寝言について詳細をお教え頂けたらお話ししますよ」
「寝言?」
「俺の知らぬ男の名を呟いておられました。もちろんこの本丸にもいない男の名ですよ。主が恋しそうにさとし、と呼ばう男は一体誰なんです?」
 長谷部が呟いた男の名は、覚えのある名だった。子供の頃に飼っていた犬の名である。もしかしたら夢の中に飼い犬が現れてくれたのかもしれないが、寝言にまで責任は持てまいと主は困惑する。そこでやっと主自身も長谷部に無茶な言い分をぶつけたことに気付いた。
 思わず吹き出しそうになるのをこらえて主が長谷部を見上げると、長谷部の表情は真剣そのもので、ほんの少しばかり不安そうだった。主の魂の半分と名は長谷部に渡っている。だから不貞などしようものなら即刻長谷部に勘付かれるため、とてもではないができないしするつもりもない。それでも、気になってしまうのが夫婦というものだ。
 話のネタとしてとっておきたかったが、夫を不安にさせ続けるよりもあっさり種を明かしてしまった方がいいだろう。主はそう判断した。
「サトシは犬だよ。い・ぬ。ワンちゃん」
「ワンちゃん?」
 ぱちぱちと長谷部が目を瞬かせる。
「昔私が子供の頃に飼っていた犬の名前だよ。柴犬でころころしていて可愛かったなあ」
 主があっけらかんと事情を言い放つと、長谷部はきまり悪そうに顔を顰めた。
「何故畜生無勢に人間のような名を与えたのですか」
「そんなの知らないよ。私が付けたんじゃないし、お父さんに聞いて」
「……いつか主の御家族と、お話しさせて頂く機会があるのですか」
 長谷部が複雑そうな顔を主に向ける。長谷部と主の婚姻はとっくのとうに済ませてしまっている。婚礼の儀は当然のこと、へし切長谷部という刀剣男士に政府が人間としての仮名と戸籍を与え、夫婦としてしっかりと籍を入れている。が、主の家族との対面だけが果たされていないのだ。
「うちの家族って、オカルト方面に疎くてさ……」というのが主の言い分である。政府から審神者になるよう招集がかけられた時、そんなうさんくさい職業になるなんてと、前時代的な考え方を持つ家族に大反対を受けながら、無理矢理審神者になった経緯がある。ほとんど喧嘩別れ。縁を切られたと言っても過言ではない状況らしい。
 家族が今どうしているかもわからないという。
 長谷部としてはせっかく主と婚礼の儀を執り行ったのだから、家族の一員として認めて欲しいのだ。もちろん思いは主も同じで、本当は家族と仲直りをした上で長谷部と家族を対面させてやりたいが、きっかけが掴めないままズルズルと時間ばかりが過ぎていく。
「いつか主の御家族とお会いした暁には胸を張って、『俺がこの方の夫ですよ』と言えることが夢なのです」
 長谷部は目を細めて話す。神様にしては小さな夢を叶えてあげたいと主は思うけれど、上手くいくだろうかと内心不安でたまらなかった。
「ごめんね、長谷部。もうちょっとだけ、時間を頂戴」
 主が長谷部の肩に頬をすり寄せると、長谷部は何も言わずに静かに頷き、主の肩を抱きとめた。長谷部の胸中に主の悲しみが伝わってくる。
 神婚した付喪神と人間は繋がっている。伴侶の感情の波を大雑把に付喪神は把握することができる。だから長谷部も無理に話を進めるのはやめた。
 主にとって家族とは、思ったよりも複雑な存在なのだ。愛しいも苦しいも悲しいも、全て含めたほろ苦い存在なのだ。長谷部にとっての前の主のように。
 長谷部は刀だから家族というものを知らない。けれど主の話す様子や感情の波を見ていれば何となく分かるのだ。
 主と長谷部が同じ時間帯に眠れば、夢が交わることもある。夢の中の主は家族との別離に悩み苦しんでいることが多い。そういう時は長谷部が優しく手を引いて、そっと悪夢から楽しい夢へと誘ってやるのだ。主が長谷部にそうしてくれたように。
 前の主に捨てられて死にたくなるような絶望を抱えていた長谷部を、修行に出して苦しみから少しだけ解放してくれたのが、今の主だ。だから長谷部は主と結婚したいと申し出たのだ。
 だからこそ二人の結婚を、主の家族に祝福してくれることを、二人は夢見ているのだ。
 ほの明るい縁側に二人の影がくっきりと映る。
 秋田藤四郎が朝餉ができたことを告げに来るまで、縁側で二人の影は静かに寄り添い合っていた。






top

2021年5月23日

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字