逃亡者

 風景は次第にビル群から山間へと変わっていった。車のランプが闇夜を白く切り裂く。運転席に座る長谷部は、真顔で正面を見つめるばかりだった。助手席に座る女性は、彼の恋人だ。
 恋人は言った。
「これからどこに行くの?」
 恋人であり彼の主でもある審神者が尋ねると、長谷部はちらりと振り返りながら言った。
「本日の宿の老舗旅館です。窓からの景色が絶品と聞いております。きっと普段お疲れの主の気も紛れるかと……」
「そうなんだ、ちょっと疲れてない?」
 審神者が尋ねる。長谷部の横顔が普段と異なる影が差しているように見えたのだ。長谷部は不思議そうな顔をした。
「俺がですか? 主こそ顔色が優れませんよ。あ、あと少し先にサービスエリアとやらがあるそうですよ。そちらで休憩致しましょうか」
 審神者が「そうしよう」と頷くと、長谷部はウィンカーを出して左車線に寄った。長谷部は流れるような仕草で車をサービスエリアの駐車場に車を止めた。
車のドアを開けて、二人は車外に出る。濃厚な酸素を胸いっぱいに吸い込んだ。
 久しぶりに身体を動かせた解放感が心地よい。審神者が身体を伸ばしていると、長谷部が微笑ましそうに目を細めた。
「何食べに行く?」
「いえ、俺は車でお待ちしていますので、お早めにお戻りください」
「長谷部は休まないの?」
「いえ、休ませて頂きますが、すぐ車を出せる状態にしておきたいので」
 何か欲しいものがあるか審神者が問うと、
「では煙草と珈琲を」
 長谷部は申し訳なさそうに言うと、車内に戻っていった。
 審神者はサービスエリア内に入る。と言っても、時刻は午後十一時を回っているため、店は閉まっている。自販機を見て回った。
 自販機群を見て回ると、パンを売っている自販機を見つけた。そういえば昼から何も食べていなかった。
 長谷部は何も言わなかったが、きっと長谷部も空腹だろう。サンドウィッチと煙草を買って、お使いは完了だ。もちろん長谷部が愛飲しているブラック珈琲も買った。
 審神者は荷物を両手に抱え、小走りで車に戻った。長谷部は運転席で据わった目で周囲を警戒していた。審神者が戻ってきたのを確認すると、すぐに目元を和ませた。
「おかえりなさいませ! 主のお戻りをお待ちしておりました。おや……?」
「店が開いていたのですか?」
「ううん。自販機があった。お腹空いているかなと思って」
 長谷部は審神者が車に乗り込むと、すぐに車のロックをかけた。エンジンは先程からかかったままだ。
 審神者が頼まれていた品々と一緒にサンドウィッチを手渡すと、長谷部は一礼してから受け取った。

「いただきます」
 を言い合い、サンドウィッチをぱくつく。長谷部はサンドウィッチを折り畳み、強引にするりと二口で食べ終えた。ぺろりと指についたタマゴを舐め取ると、すぐに車を出した。審神者はまだ食べ終わっていない。
 審神者は車の急加速で手の中のサンドウィッチを落とさないよう注意しながら、長谷部を見る。
 長谷部はすっかり運転に集中している様子だ。
 とにかく今は先を急ぎたいらしい。ここまで長谷部が急ぐのにも理由がある。
 審神者はとある事情から、政府と遡行軍の繋がりを知ってしまい、追われる身になってしまったのだ。政府の権限で審神者の刀剣男士達は皆刀解されてしまい、唯一残ったのが、長谷部だった。
だからこそ真夜中という人目に付きにくい時間帯に、車を走らせているのだ。
 果たして宿に無事着けるだろうか。
 審神者は長谷部の無表情な横顔を見つめながら、長谷部本体を胸にきゅっと抱えた。いつでも長谷部が抜刀できるように。
 そしてこれを長谷部が抜くような機会が訪れないように、と祈りながら。



top

2021年2月3日

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字