遠慮しないで

 私の執務室を重苦しい沈黙が包んでいた。
 先程江戸城に出陣していた第一部隊が帰還し、その戦果を書類にまとめていた時のことだ。
 第一部隊長であり、近侍の長谷部が書類仕事を手伝ってくれていたが、むっつりと唇を引き結んで何も言わない。普段の長谷部なら自分の上げた戦果を事細かに報告するものだから、明らかに様子がおかしい。
 そう思いながら書類に部隊名を記入していた時だった。

「主」
 長谷部が私を呼んだ。
 私が顔を上げると、長谷部は書類の方ばかり見て、私と目を合わせようとしない。
「なに?」
 私が尋ねると、少し躊躇いがあった後、長谷部がおずおずと口を開いた。
「先程の出陣で、何故主はあの場で進軍を命じたのですか」
 なんだそんなことで悩んでいたのかと思いつつ、私は答える。
「重傷者が出ていなかったし、皆疲弊してもいなかったから、乗り切れると思ったの」
 江戸城の最深部直前で、中傷者が出た。中傷者は怪我した片足をかばいながら進軍していたため、敵を一撃で仕留めるのは難しい状況だった。が、彼以外の部隊員はほぼ軽傷ないしは無傷だったため、他の刀剣男士達でカバーできると踏み、進軍を命じたのだ。
 事実部隊長の長谷部が彼のカバーに回り、最深部の敵をしとめることができた。

「……左様ですか」
 ぐ、と長谷部が言葉を詰まらせた様子で、ゆっくりと頷いた。その様子は明らかに何か物言いたげだが、言えずに飲み込もうとしている様子だった。
「言いたいことがあるなら言って、長谷部」
「いえ、俺は……」
 長谷部はついに指を止めた。見ると、腿の上でぎゅっと握りこぶしを作っている。
 長谷部の悪い癖がでてしまっているようだ。

 実は私と長谷部が交際を始めてから数か月が経過している。
 主従関係から恋愛関係へとなったというのに、長谷部は自由に振る舞うことができない。私に敬語を使わないでと言っても、「主に敬語を使わぬなど、恐れ多い!」と言って絶対に敬語を用いるし、いつも背筋をピンと伸ばして姿勢を正している。
 しかし良いこともある。近頃少しずつではあるけれど、自分の意見を言うようになってきてくれている。今までは諾々と私の言葉に頷き続けていた長谷部だったが、「万屋街にできた店に行きたい」とか「ここはこういう戦略を立ててほしい」とか、自分の意思を口にしてくれるようになったのだ。
 だが、時折口に出したはいいものの、果たして本当に私に言ってよいものかと途中で止めてしまうことがあるのだ。その度にじれったく思う私と長谷部で衝突してしまう。
「長谷部」
 私の声が自然と高くなる。私の悪癖でもある短気が発揮されつつある。そして長谷部の唇が真一文字に引き結ばれた。長谷部の頑なさに、私の短気が刺激される。私の悪い癖が出ていると自覚していたが、止められなかった。
「どうしていつもそう中途半端に話を止めるの。そこまで言うならはっきり言ってよ」
「いえ、これはあくまで俺の気持ちの問題ですので……」
「だから! 長谷部の気持ちを知りたいって言ってるの!」

 いつもこうだ。口をつぐんでしまう長谷部を私が責める、喧嘩とも言えない一方的な口論になってしまう。世話好きな刀剣男士やこんのすけがいれば止めてくれることもあるが、あいにくと今この部屋には私と長谷部しかいない。
 きまり悪そうに黙り込んだ長谷部と、一方的に怒ってしまう私という悲しい図ができてしまう。
 しかしこのまま怒り続けては長谷部が気の毒だし、私も良い気分ではない。ふーっと大きく息を吐いて、なんとか疳の虫を押さえる。
「長谷部、仕事の進捗はどう? さっきの戦果はまとめられそう?」
 できる限り優しい声音を作って話を逸らすと、長谷部はほっとしたように肩の力を抜いた。
「はっ、実は一か所記入方法がわからないところがありまして、ご教示頂けますでしょうか」
「いいよ。どこ?」
 長谷部と他愛もない仕事の話を済ませる頃には、すっかり部屋の空気は和やかな物に戻っていた。私も知らず知らず強張っていた肩の緊張がほどける。多少長谷部の感情がわからなかったとしても、ギスギスした空気が続くよりはよほどいいものだ。

 いつもより少し時間をかけて、戦果を書類にまとめることができた。
 こんのすけを呼び出して、政府に書類を提出する。こんのすけは空中で身を翻して政府へと向かった。これでやっと一息つけると思っていると、背後から長谷部に抱きすくめられた。
「先程は申し訳ありません」
 甘えた口調で長谷部が言う。長谷部の腕の中で振り返ると、長谷部は困ったように笑っていた。
「さっきはどうしたの?」
「いえ、本当は『足手まといな手負いのものがいるのに進軍させられては、俺が思うように動けず辛い』と言いたかったのですが、以前主にそれは非効率だと宥められたことを思い出しまして……」
「また怒られると思って、黙っちゃったの?」
「はい」
 臣下ではなく恋人だからこそ長谷部の我儘を叶えてあげたいと思うが、戦の効率を下げてしまうことや本丸運営に支障が出ることの実現は難しい。それを長谷部も弁えているからこそ、口をつぐんでしまうのだ。
 長谷部の鼻先にちゅっと唇をつける。
「長谷部はいい子ね」
 そう言うと、長谷部は照れくさいような不服そうな顔をしてみせた。
「できればもっと男として扱って頂きたいのですが……」
 そして私を抱き寄せる腕に力をこめる。
「それはごめんね、嫌だったの?」
 悪戯っぽく見上げてみせると、長谷部は目を逸らして少しの間考え込んだ。
「嫌では、ありません」
 長谷部は内心で男として立ててほしい気持ちもあるが、子供のように甘やかされるのも嬉しいらしい。
 長谷部の扱いは難しいが、苦労するのもまた彼との交際の楽しみでもある。きっと長谷部も私の扱いにくさに日々四苦八苦しながら私に接してくれているのだろう。
 互いを認め合い、ぎこちなく距離を縮めていく日常が、何物にも代えがたい大切な時間なのだ。





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2020年11月29日

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