恋の訪れ

 長谷部が顕現されたばかりの頃、長谷部に触れたことがある。

 あれは九月上旬。まだ夏の暑さがしつこく残り、じっとしているだけでも体がしっとりさせる湿気に、私は嫌になっていた。

「寒くありませんか? 何か羽織る物をお持ち致しましょうか」
 そんな日だったにもかかわらず、長谷部がしきりとそう勧めてくるのだ。
 もしかしたら空調の送風が長谷部のいる場に集中しているのでは、と思い至った。私のいる場は寒くないから場所を移動しようと思ったのだ。
「長谷部、こっちで作業をして。そこは空調の風が強いのかも」
 私は書類を脇にまとめて、座っている場所を一人分横にずらした。
「はっ」
 長谷部が焦った様子で書類や文具をまとめて隣にやってくる。しばらく隣り合って作業していた。私より少し目線が上の長谷部。執務室には互いのペンを滑らせる音だけが響いていた。
 長谷部の場所を移動したから少しはよくなるかと思ったが、長谷部の顔色は悪くなる一方だった。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
 そう言って、長谷部の額に手を当てる。長谷部の額は恐ろしく冷たくなっていた。ひんやりとした感触が、私の掌に伝わる。
「え? え? そんなに空調が強かった? 長谷部大丈夫?」
 私の心配をよそに、長谷部は少しだけ表情を緩めた。
「主の御手は……とても温かいのですね」

 潤んだ青紫の瞳が私を見上げる。長谷部が初めて見せた少し甘えた表情に、私の胸は高鳴った。驚きに息を呑む。体格の良い青年が私に弱みを見せて、甘えている……。
 長谷部ははたと我に返った。

「も、申し訳ありません! 俺なら問題ありませんので、お手を……ッ!」

 長谷部が己の失態に気付き、慌てて離れようとするが、すぐに手を床について頭を抱えた。

「長谷部?」
 怖々と長谷部を呼ぶが、長谷部が蹲っている。ピンと伸ばされていた長谷部の背中は、グラグラと揺れてしまっている。慌てて長谷部の上半身を支え、背中をさする。

「恐れ入りますがお二方もそのままでいるのがよろしいかと」
「ぅ……」

 話に割ってきたのは、この本丸専属のこんのすけだった。こんのすけに反論しようとする長谷部だったが、上手く口が回らないようだった。

「こんのすけ、これはどういうこと? 手入部屋に入れたほうがいい?」

 こんのすけは何か事情を知っていそうだ。矢継ぎ早に尋ねる。こんのすけはくるりと尾をひねり、そして口を開いた。

「へし切長谷部殿は霊力不足に陥っています。ですので至急、主様の霊力を供給する必要がありますので、身体接触を続行してください」
「へ?」

 こんのすけは説明する。
 本丸で暮らす刀剣男士は、本丸の畑で収穫された作物を調理し、食事としている。それには意味があり、主の霊力によって生成された本丸の敷地内……土には主の霊力がこもっている。その霊力を吸収して育った作物を食べることで、刀剣男士達は霊力を吸収しているのだと。
 しかし顕現されたての刀剣男士は上手く霊力を吸収できず、倒れてしまうことがあると。

「つまり今の長谷部が霊力不足だっていうこと?」
「その通りです」
「じゃあ私はどうすればいい?」
「主様がお傍にいるだけで霊力は供給されますが、長谷部殿の霊力不足は大分深刻なようです。座っているのもやっとではありませんか?」
「そんなッ……はずは……。どうしてっ!」

 長谷部の指が空中を掻く。私の手を長谷部の背中から離そうともがいているらしいが、目が回って背中に手を回せないらしい。視線があらぬ方向を向き、顔色を失った顔を見れば、いかに長谷部の状態が深刻かよくわかった。
「なるべく近く、できれば身体の接触した状態であれば、より回復は早まります」
「じゃあ、こうしていればいいんだね」
 私は躊躇なく長谷部の頭を抱き寄せた。
「あ、あるじ……!?」
 長谷部の吐息が私の胸にかかる。今の私は、膝を折って長谷部の頭を抱きかかえている状態だ。長谷部の頭は私の胸に密着していない。ぎりぎりのところで長谷部が踏ん張りを聞かせてしまったからだ。
「こんのすけ、こんな感じでいい?」
「…………いえ、主様と長谷部殿がよろしいのであれば」
 こんのすけの反応に少し間があったが、問題はないようだった。

 はっ、はっ、と長谷部の浅い呼吸が耳に届く。長谷部は私の腕の中で、困惑しながら苦しそうに喘いでいた。
「長谷部、ごめんね。私が至らないから、こんなことになってしまって……」
「いえ、主の、せいでは……」
 そう答える長谷部の顔は蒼白だった。潤んだ長谷部の瞳が、私を見上げる。その頼りなさそうに揺れる目。呼吸のために開かれた血の気の薄い唇……。
 普段の自身に溢れた長谷部とは全く別の誰かだった。私が守ってあげなければ。そう思った。

 長谷部の不調は少し時間が経つと治まった。そして立ち直った長谷部はすぐに身体を離し、
「女人としての自覚をもっとお持ちください。例えどれほど弱っているように見えても、俺達は男で刀の付喪神なのですよ」
 と口を酸っぱくしてお説教されてしまった。
 しかし、長谷部の必死の表情すら、いとおしく思えてならなかった。

 この出来事から母性本能が働いたのか、徐々に長谷部に惹かれるようになったのだ。




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2020年10月6日

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