その背をさする

※主が嘔吐する場面があります。




 長谷部は情緒のある刀だ。だが顕現されたばかりの頃は、感情を表に出すことが苦手だった。いつも愛想笑いを口元に浮かべて、けれど目だけは主の様子を常に窺っていた。
 だから主に「長谷部がじっと見つめてきて怖い」と思われてしまっていた。長谷部の視線は常に主命を欲し、主からの良い評価を期待する強いものだった。
 長谷部の強すぎる視線は、主に威圧感を与えてしまっていたのだ。
 それに気付いたのは、長谷部が主の元に顕現してから一月が経った頃だった。たまたま主の執務室を通りかかった際、聞いてしまったのだ。
「長谷部の目が怖い。いつも見張られているみたい」
 と、主が初期刀の加州清光に零しているのを。
 長谷部は傷つき困惑した。見張ってなどいない、ただ主が傍にいる時になってつい見てしまうだけなのだ。それを見張られているようで怖いと思われては、悲しくもなる。


 主はプレッシャーにめっぽう弱く、ストレスを感じると体調を崩す癖があった。
 ある時主が執務室で演練に向かうため本丸で準備を整えていた時、やはり体調を崩してしまった。他本丸の刀剣男士達の放つ威圧感を想像してしまったらしい。
 主は「うっ……」と胃の当たりを押さえ、戻してしまった。傍で控えていた長谷部はとっさに動くことができなかった。
 主のやってくるのが遅いことを訝しみ、加州が執務室を覗きに来た。
「あー、主戻しちゃった? 大丈夫?」
 加州は立ち尽くす長谷部と戻す主を見て、状況を察したらしい。
「ちょっとごめんね、主。苦しいよね?」
 加州は主に声を駆け乍ら緋袴の締め付けを少し緩め、顔を仰いだ。主の背中をさすってやったりしながら、主を介抱した。しばらくして落ち着いた主に水を与えて、戻してしまったものを処理をした。加州は何度も主が戻してしまった現場に出くわし、その度に介抱していた。だから加州の手際はとてもよかった。
「ありがとう、清光」
 息も絶え絶えに主が答える。
 身体の弱い主を支える刀剣男士という美しい主従関係。そんな二人の輪に、長谷部は入れなかった。それがとても口惜しかった。俺だって、主を支えられる存在でありたいのに──!
 知らず知らずの内に、長谷部は握りこぶしを作っていた。ぎりぎりと握られた手に爪を立てる。
 長谷部の羨望の眼差しは加州に向けられていたものだったが、その視線の強さでさらに主に誤解を深めることになってしまった。
「長谷部は私が駄目だから睨んでくるんだ」
 と加州に零していたらしい。
「その目、どうにかできないの?」
 と加州直々に指摘されて、長谷部は初めて事の重大さに気付いた。もちろん長谷部にそんな意味はないことを加州に弁明した。
「俺も本当のところはわかってるけどさ、本人に伝わらなきゃ、意味ないでしょ?」
 加州も困り顔だった。
 主の誤解を解くにはどうすればいいか……。長谷部と加州は途方に暮れていた。


 だがそんな誤解が解ける日が来た。


 さて、視点を長谷部の主に変えよう。
 主は長谷部の前で戻した日、主は長谷部に失望されたと思い込んでしまっていた。
 だから主は長谷部の前でみっともないことをしないようにしなきゃ、と心に決めていた。
 が、かえってその決心がプレッシャーとなり、長谷部といると常に緊張状態になってしまった。長谷部と目が合うだけでくらくらとめまいがし、長谷部の姿を見ただけで腹が痛くなってしまうのだ。

 そして、ある日。
 政府の役人との面談の為に主は執務室で準備をしていた。主の気分は重かった。何故なら今回の面談は、上半期の戦績を評価が下される重要なものだったからだ。
「失礼致します。本日の必要書類をお持ちしました」
 長谷部が部屋に入室してきた。その瞬間に主は限界を迎えた。
「うぇっ……」
 自然と呻き声が口から漏れ、胃の中の物がまろびでてしまう。

 それを見た長谷部は、主の背に手を伸ばす。
 緊張のあまり身を固くした主の背を、長谷部の骨ばった手が恐る恐ると言った様子で撫でたのだ。
「大丈夫ですか。お苦しいですね」
 うっ、うっ、と胃液を戻す主に、長谷部が優しく声をかける。
 主は困惑していた。長谷部は自分に幻滅したから、あんなに冷たい目をしていたのではなかったのかと。
「失礼致します」
 長谷部は一言断り、主の緋袴を緩める。先日清光がしてくれたのと同じ手順で主を介抱した。手つきは不慣れだったが、とても甲斐甲斐しいものだった。
「長谷部……?」
「はい」
「私のこと、嫌いになったんじゃないの?」
 主は先日の件で長谷部に幻滅されたのだと思ったと素直に口にした。
「そのようなことはございません! 誤解です」
 ひどく狼狽した様子で長谷部は弁解する。あの時の俺は初めて見る主の体調不良を前に、どうすればいいかわからず手をこまねいていた。主を見ていたのは心配していたからであり、今後同じことが起こった時の為に介抱の手順を見て学んでいただけだ、と。
「そうなんだ」
「はい……」
「ごめんね、私、ずっと長谷部のこと、誤解していた。ありがとう、心配してくれてたんだね」
「いえ、礼を言われるようなことなど、何も……。顔色が少しよくなって参りましたね。水をお持ち致しましょうか」
「お願いしてもいい?」
「勿論です」
 そう言って長谷部は傍らにあった水差しに手を取る。水差しをグラスに注ぐ長谷部の背中を、主は温かく見守った。





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2020年10月6日

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