夏の終わり

 ここ数日、随分静かになった。
 顎から滴り落ちそうになっていた汗をぬぐいながら、長谷部は畑で思う。

「そうか」
 長谷部はぽつりと独り言つ。少し前まで嫌になるほど響いていた蝉の鳴き声が、変わっているのだ。みーんみーんと鳴く声は大分少なくなり、ヒグラシの声が耳に届く。
 今年の夏は過酷な猛暑が毎日続いていたが、今の暑さは耐えられないほどではない。
 日が落ち始め、周囲は茜色に染まっていた。もうそろそろ当番も切り上げ時か。先程一緒に作業していた山伏が、収穫物を持って厨へ行った。その後も何となくで作業を続けていたら、いつの間にか日が傾き始めていた。それでも畑仕事は一度凝るとどこまでも作業が続けられてしまう。それこそ、日が暮れて手元が見えなくなるまで。
 長谷部は背筋を伸ばし、とんとんと腰を叩いて己をいたわる。すると遠くから橙色の人影が歩み寄ってくるのが見えた。
「長谷部ー、そろそろ終わりにしよう! もうすぐ御夕飯だよ!」
 主がぱたぱたと手を振りながらやってきた。畑仕事からなかなか帰らない長谷部を迎えに来てくれたのだ。橙の着物に見えたのは、主の巫女装束が夕焼けに照らされているからだった。
「はいっ、すぐに!」
 長谷部は急いで主の元に駆け寄る。一瞬主の手を取りかけてから、長谷部ははたと軍手をしたままなことに気付いた。すぐに土で汚れた軍手を乱暴な仕草で取ってポケットにしまう。そしてゴシゴシと汗ばんだ手をジャージで拭ってから、主の手を取った。
「そんなことしなくても気にしないよ」
「俺が気になるのです」
 手を繋いであぜ道を二人で歩みながら、二人でとりとめもなく話す。晩御飯の献立について、畑の様子について等。
 ふと主が立ち止まり、畑の方を見やる。
「もうすぐ夏が終わるね」

 夕日に照らされた主の横顔が寂しそうで、長谷部は何故か急に切なさを感じた。
 涼風が畦道の名もない草を、主の黒い髪を揺らした。
 ヒグラシの声が、二人を包む──。




top

2020年10月6日

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
現在文字数 0文字