氷菓子

 今日も本丸は暑い。蝉の鳴き声が本丸中に響き渡り、そよぐ風が生温い。
 暑さは人の思考力を鈍らせる。あいにくと空調が壊れてしまった執務室は、外と同じ温度になってしまっていた。
 午前十一時になった頃だろうか。私は近侍の長谷部と執務室で書類仕事に格闘していた。暑さと蝉時雨に頭がもうろうとし、集中力が途切れた。
 ぽろりと私の手の中からボールペンが零れ落ち、書類を引っ掻いた。
「あっ」
 いびつな線を引かれた書類。この書類は政府に出す書類だったため、一から書き直さなければならない。隣りで一部始終を見ていた近侍の長谷部が、書類を見て私を見た。
「少し早いですが、一度休憩致しましょう。茶を用意致します」
 長谷部はそう言ってすっくと立ち上がった。そこで私は執務室の冷蔵庫の中に冷たい物があることをふと思い出した。
「待って長谷部。冷蔵庫の中に麦茶がある……」
「はっ」
 出て行こうとする長谷部を引き止め、がさがさと冷蔵庫を漁る。冷蔵庫から麦茶と棒付きアイスを取り出す。水色が眩しいソーダ味のアイスだ。三時のおやつに取っておこうと思ったが、こんなに暑いのであれば仕方がない。
 冷たい麦茶とアイスを取り出すと、背後で長谷部がグラスを二つ用意してくれていた。さすが長谷部、仕事が早い。
 私は長谷部にアイスを手渡し、麦茶をグラスにとくとくと注ぐ。そして「いただきます」を言い合ってアイスに口をつけた。長谷部と午後の出陣部隊の布陣を相談しながら、つかの間の冷たさを楽しむ。
 しかし残念ながら私は、暑さで手の中のアイスが溶けかかってしまっていることに気付けなかった。
 ぐにゃりと棒の上で形を変えていたアイスが、私の顎を伝いぼたっと膝に落ちた。
「うわっ!」
 まだ半分ほど残っていたアイスの欠片が、私の緋袴に染みを作る。慌てて拭おうとした時、白い手が伸びてきた。長谷部だった。
 長谷部は迷いない動作で私の膝からアイスの欠片をすくい上げると、なんとそのままぱくりと自分の口に放り込んでしまったのだ。
「長谷部っ」
「染みになってしまいますよ」
 慌てふためく私をよそに、長谷部はにこりと笑う。そのまま座卓の上に置いてあったおしぼりで、私の膝をぽんぽんとはたく。幸いにも長谷部の応急処置のおかげで、染みにはならなかった。
 そして長谷部の手が、するりと私の顎に添えられる。
「ちょっと!」
 さすがにそこまでされるのは……と思い声を上げるが、「染みにならずとも、べたべたして気持ちが悪いでしょう」と爽やかな笑顔で私を押しとどめる。
「良い子ですね」
 長谷部はおしぼり……ではなく、己の白手袋を着けた手でそっと私の顎をなぞった。
「動かないで、じっとしていてくださいね」
 そう呟く長谷部の瞳は、淡く光を放っていた。私の顎のラインをじっとりとなぞり、そのまま首へと進む。ゆっくりとした動作で長谷部の手が私の喉仏へ到達しかけた時、遠征部隊が帰還したらしく、話し声と足音が聞こえた。
 長谷部がチッと舌を打つ音がして、我に返った。
「遠征の連中が帰ってきましたねえ」
 白々しい口調で長谷部が遠征部隊の戻りを告げ、後には今の行為の余韻すら残らなかった。




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2020年10月6日

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