夏の景趣にまつわる連作集

空虚なひまわり畑


 目の前の景色を『不自然だ』と主が仰っていた。
 長谷部は眉根を寄せて一面のひまわり畑を見やる。黄色い花弁を元気に広げる花々のどこが不自然なのか、長谷部には分からない。
 “景趣”とは、政府から小判や特殊アイテムと引き換えに受け取れる娯楽システムの一環だと、長谷部は聞いている。この本丸があるのはサーバーと呼ばれる仮想空間上のデータに過ぎず、景趣は全て網膜に見せている幻なのだという。だからこそ審神者の任意で季節や風景を自在に変えることができるのだ。
 つまり今長谷部の眼前に広がるひまわり畑は、まやかしなのである。
 主は景趣を受け取っても、あまり景色を楽しもうとしない。「まやかしを愛でても楽しくない」そうだ。
 長谷部は長いホースを使ってひまわり畑に水をやりながら、額の汗をぬぐう。
 今日も暑い。
 いっそ撒いている水を頭からかぶれば心地よいかもしれないなどと、長谷部は考えていた。
 しかし主の言が事実なのだとしたら、ひまわり畑のみならず、この暑さすらまやかしなのだ。長谷部にはとてもそうは思えない。今長谷部の肌をじりじり焦がす太陽すらまやかしなのだとしたら、何を信じたらいいのだろう。

 長谷部は暑い最中に行う水浴びが好きだ。かき氷を食べてシャキシャキと冷たい感触も好きだし、遅く訪れる夕暮れも好きだ。
 背の高いひまわり畑から、長谷部はじっと離れを見る。主は景趣のみならず、長谷部達刀剣男士という存在も懐疑的だ。そのため住処を別に構えて刀剣男士達との交流は控えめだ。今も離れにいるご様子だ。
 ぴたりと閉じられた離れの障子を、長谷部は寂しく見つめる。
 まやかしでもよい、と長谷部は思う。
いつか主と一緒に楽しめるといい、と長谷部は思うのだ。


例えまやかしであっても


 今まで何もなかった本丸の二階部分に、新たに展望の間が増築された。
 先日江戸下町で遡行軍の一派をせん滅した報酬として、「展望の間・花火」を政府から受け取ったからだ。

 私は景趣を操作し、『展望の間・花火』に変更した。新しく入手した景趣に不具合がないか、確認するためだ。私は新しい景趣を前にしても、特にはしゃいだりしない。何故なら景趣が見せるのは機会が見せる幻に過ぎず、本物ではないからだ。
 今まで本丸は一階部分のみ居住区域として使用し、二階は使用していなかった。がらんどうの間に時折風を通すために入った程度だった。
 私は執務室を出て、本丸の一階と二階を繋げる木製の大きな階段にやってきていた。普段は人気のない二階から、がやがやと人の足音や話し声が聞こえる。
 今日は花火を鑑賞するという名目で、男士達が集まっているらしい。目の前にいる長谷部は紫紺のカソックと武装を外し、腕をまくったシャツ姿だ。他の男士達もめいめいにくつろいだ格好でいるようだが……。
 例え刀剣男士達がいくら楽しみにしたところで、今から鑑賞する花火は、偽物なのだが。
 景趣は政府が審神者と刀剣男士の娯楽システムの一種だ。景趣がどれほど優れたものであっても、我々の網膜と脳に機械が見せる幻に過ぎないのだ。だからどれほど美しくとも……。

「主、こちらへ。暗いですから足元にお気をつけて」
 私の前を歩いていた長谷部が、気を付けるよう声をかける。私は我に返った。彼の言う通り階段の照明は暗く、足元が少々危うい。
「わかった」
 階段を一段上がるたび、ぎ、ぎ、ときしむ音がする。

 すぐに視界は開けた。
 だだっ広い板張りの二階。壁は取り払われ、視界が広く開けている。明かりを灯した行燈がいくつか床に置かれている以外、照明はない。
「ああ……」
 二階に上がって、違和感に気付いた。地面が見えないのだ。
 二階から見える場所は全て海となっていた。遠くの方に山と屋形船が見える。まるで普段の本丸ではないようだ。
 そしてそんな夜景を目にし、皆が外を見てわいわいと騒いでいたのだ。
 私が上がってきたことに気が付くと、何故かぱちぱちと拍手された。皆私を待っていたようだった。
「主、こちらです」
 長谷部が手で示す先には、『花火』と書かれた札があった。あの札に触れれば、花火が打ち上がるらしい。長谷部の誘導するままに札に触れようとしたが、思いの外高い所にあるため、届かない。
 四苦八苦する私に気付いた長谷部が、すぐに札を引っ張って、身を屈める。私が札に触れれやすいようにしてくれたのだ。
 私は渋々と長谷部の手から札を取ろうとした。指先が長谷部の掌に触れる。
「え?」
 私は思わず手を引っ込めた。
 温かったのだ、長谷部の手が。刀剣男士とは元を辿れば刀の逸話が生み出した妖だ。今目の前にいる長谷部の肉体は、私が与えた仮初の物に過ぎない。元は刀の身体なのだから、冷たいのだと思っていた。
 しかし私の想像に反して、彼の手は温かかった。まるで血が通っているように。
「どうされましたか?」
 長谷部がわずかに不思議そうな顔をする。
「……なんでもない」
 長谷部の手に触れないようにしながら、花火札に触れる。
 ひゅうん……と遠くで花火の上がる音がした。そして花火が夜空に花を咲かせる。一つ、次は連続して花火が上がる。
 その度に目の前にいる長谷部の髪が、花火に明るく照らされたが、目の前の男は花火になど目もくれず、私の方をじっと見ている。
 周囲の刀剣男士達は皆、花火に夢中で掛け声を上げるものもいるというのに、何故長谷部は私のことを見ているのだろう。
 私が眉根を寄せると、長谷部ははっと息をのんだ。
「失礼致しました。主、もう一度お願いできますでしょうか?」
 からんと花火札を私の方に渡す長谷部。私は請われるままに札に触れた。
 するとまた花火が上がり始める。
 長谷部は花火の眩しさに目を細め、そしてぼそぼそと何かを呟いた。
「何?」
 傍にいる私に話しかけたのだろうと思い聞き返すと、長谷部は頬を朱色に染めて首を振った。
「いえ……、ただの独り言です。お忘れください」
「そう」
 長谷部はそう言って再び花火の方を向いてしまった。私も花火に向き直る。

 見事、だった。
 これは偽物だと頭ではわかっている。しかし花火の鮮明な色、水面に映し出される光の模様、討ち上げ終わった後の余韻……。全てが昔見た花火大会のものと同じだった。
 隣をちらりと見やる。長谷部が上っていく花火の軌跡を目で追いかけている。紛れもなく楽しそうな横顔は、初めて見るものだった。いつも真面目に引締められた表情しか、私は見たことがなかった。そんな長谷部が心から花火を楽しんでいる。

 今まで私は景趣や刀剣男士そのものを、私の霊力と政府の技術が生んだまやかしだと頭ごなしに決めつけていた。
 けれど、今日くらいは……もう少し心の動きに素直になっても良いかもしれない。
打ち上げが終わってしまった夜空に花を添えるべく、そっと長谷部の手の中の札に触れた。


花火上がり、地固まる


 俺は花火を眺めるふりをしながら、主の横顔を見つめていた。
「よかった」
 人知れず声が漏れる。
 俺は秘かに感激していた。あれほど景趣は機械の見せるまやかしだと言い切っていた主が、今は打ち上げられた花火に目を奪われている。
 本丸にいる間の主は、いつもつまらなそうな顔をしていた。どれほど景趣が目を引くものであっても、感情を動かされる素振りすら見せなかった。そしてどれほど長谷部達刀剣男士が主に好意を傾けても、主は応えてくださらなかった。
 何故か? それは景趣も刀剣男士も、政府の力と主の霊力で作られたまやかしに過ぎない、そんなものに心動かされるのはおかしいと思い込んでおられるからだ。
 頑なだった主が今、“景趣”によって打ち上げられる花火に心を奪われていることが、俺にとって喜ばしいことだった。

「何?」
 主が俺を見上げる。聞こえていないと思い込んでいた独り言が、主の御耳に届いていたらしい。
「いえ……、ただの独り言です。お忘れください」
 俺は首を横に振ってごまかした。もしも主が花火に感動していることを知られてしまえば、主はすぐにこの場を去ってしまうと気付いたからだ。
 俺は花火に夢中なふりをして、顔を横に向ける。それにしても、見事な花火だ。風に乗って漂う仄かな火薬の臭い、水面に反射する花火の明かり、少し遅れて聞こえる花火の打ち上がる音。俺は目の前の花火を、とてもまやかしとは思えなかった。
「そう」
 主はやや納得のいかない様子で俺の顔を見つめていたが、花火に目を移した。
 どんどん夜空に打ち上がる花火に、皆夢中になっていた。もちろん、主も。
 やがて最後の一発が打ち上がり、残像を残して消えていく──。

 すると主が俺に手を伸ばした。
 何かあっただろうか? と身を屈めると、俺の掌の上にあった花火札に触れた。
 再び花火が夜空を駆ける。
 主も花火をもう一度、ご覧になりたかったのか。
「すごい……」
 主の口から感嘆の声が漏れた。が、俺は聞こえないふりをした。

「よかった」

 今度は主の耳に届かぬよう、口の中で呟く。
 俺が今まで何より心を痛めていたのは、主が本丸での生活をつまらないと思い込もうとしていたことだ。周りの何もかもを偽物だ、まやかしだと知っていた主にとって、まやかしに心を動かされるのは屈辱的だったのだろう。だからいつも難しい御顔をして、俺達に決して心を開いてくださらなかった。
 けれど、今宵の花火には素直に「すごい」と思っておられるなら、いずれは俺達に御心を開いてくださる日が来るかもしれない。
 そしてあわよくば……と腹の中で考えてしまうのは、業の深いことなのだろうか。

 俺の下心など露知らず、主は花火を熱心に眺めているのだった。




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2020年10月6日

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