独占欲を込めて

 長谷部と結婚して数か月が経った。

『主をお慕い申し上げております』

 長谷部から告白された日のことは、今でも鮮明に覚えている。
 私の元にやってきてから二年程経ったある日のこと。
 恋慕の情など持ち合わせていないかのように振る舞っていた長谷部が、突然怒涛のように私をどれほど慕っているかを熱弁してきたのだ。私が『私も長谷部を愛している』と答えた途端、長谷部は相思相愛になれた喜びを叫び、今度は如何に私の傍に侍っている刀剣男士達に嫉妬し何度臍を噛んだかを吐露した。
 感極まった様子の長谷部は『刀解しましょう! 他の連中は本霊に戻し、俺と主だけの終の棲家を築きましょう!』と捲し立てたのである。

 へし切長谷部とは我慢強い刀剣男士ではある一方、非常に嫉妬深い神でもあったのだ。
 あの時私は無我夢中で抵抗し、他の刀剣男士達を刀解する話は回避し、長谷部の好意だけはありがたく受け取り、結婚することと相成った。

 その後私は審神者業と家庭を両立しながら、幸せな日々を送っている。先日修行から戻った長谷部は以前より穏やかになり、嫉妬深さも鳴りを潜めた。私が他の刀剣男士と仕事外の話をしていると面白くなさそうな顔をするが、その程度で治まっているならよいことだ。

 が、一つ気になることがある。
 時折以前のことを思い出そうとすると、記憶が途切れているように感じるのだ。


 あれは長谷部と恋仲になる以前のこと。私は長谷部を伴って、仕事で政府の施設を訪れた。
 施設で用事を済ませてさあ帰ろうという瞬間から記憶がないのだ。
 記憶が暗転し政府施設にいたはずの私は、何故か本丸奥にあるあまり使用していない薄暗い蔵の中でうずくまっている。そして夕暮れ時になって長谷部が迎えに来て、私の記憶は再開するのだ。

 今まで思い出せなくともさして支障をきたさなかったので気にも留めなかったが、状況は一変する。
 ある梅雨の日、私はじめじめと蒸し暑い執務室で書類仕事をしていた。外はしとしとと雨が降り続け、庭の紫陽花が深い青色に咲き誇っていたのを覚えている。隣で私の補佐をしていた長谷部は、「一度休憩致しましょう。冷茶を持って参ります」と言って厨の方へ出て行った。ぴんと伸びた背筋が去っていくのを見て、唐突に私の頭の中に『くらい蔵の中に私を置いていく長谷部』というイメージが浮かんだのだ。
 思わず持っていたペンを取り落とす。ころころと書類の上を転がるペンを持ち直すこともできず、私は呆然と頭の中で回想する──。




 長谷部と恋仲になる以前のこと。私は長谷部を伴って、仕事で政府の施設を訪れた。
 施設で用事を済ませてさあ帰ろうという時に、私の大先輩にあたる審神者と施設の廊下ですれ違った。恰幅の良い初老の男性で、私が審神者になったばかりの頃からお世話になっている方だ。
 お久しぶりですねと挨拶を交わして互いの近状を報告し合っていたところ、先輩は「私ももう老いた身。今月末で審神者を辞する」と言う。私は激しいショックを受けた。思いとどまって頂けないかと言うも先輩の意志は固く、首を振ってはくれなかった。
 先輩と二言三言交わし別れたが、歩くことすらおぼつかなくなるほど、私は動揺していた。
 ただならぬ様子の私に、長谷部は「お気を確かに」「大丈夫ですか」と声をかけてくれたようだったが、あまり記憶にない。

「まさか辞められるなんて…」

 先輩は私にとって父のような存在であり、大きな心の支えだったのだ。
 まだ私が新米審神者だった頃、たまたま万屋を訪れた際に無数の歴史遡行軍が攻撃を仕掛けてきたのだ。
 周囲にいた刀剣男士達が即座に敵を倒してくれたが、その場にいた多くの審神者はパニックに陥った。刀剣男士達は己の主を落ち着かせようとしていたが上手くいかない。供を連れずに出かけていた私は、不安で一人泣くばかりだった。そんな時に先輩が私の頭を撫で、慰めてくれたのだ。
 そして先輩は蜂の巣をつついたような状態だった万屋内に大声で喝を入れ、次々に現場の指揮を執った。
『恐らくは第二波、第三波が押し寄せてくるはず。共闘しよう!』
 先輩の読みは当たり、次々と敵は襲撃してきた。しかし先輩の指揮のおかげで死者や刀剣破壊を出すことなく襲撃を乗り切ることができたのだ。
 その後先輩は外出に供を付けなかった私の不用心さを叱り、審神者としての心得を教えてくださった。厳しくも優しい方だった。先輩に付き従う刀剣男士達も皆心優しく歴戦の者達だった。私が挫けそうになった時は、いつも先輩に連絡を取って励ましてもらった。

 そんな人が急にいなくなってしまう。そう聞いて私は悲嘆にくれた。私の動揺ぶりを見て、長谷部は静かに激高したらしい。今思うと、先輩が私にとって特別な存在だと気付き、悋気したのだろう。遠慮がちに私の両肩を支えていた手に、力が込められる。ぎりぎりと音がしそうなほどの怪力に、背中をのけぞらせて逃げようとした。

「いったっ!」
 私は叫んだが長谷部は低い声で呟く。
「何をそんなに動揺するのです」
「だって」
「“あんな老いぼれ”、いてもいなくても同じでしょう? 主だって今しがた会わなければ、意識の外にあった存在でしょう?」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題でしょう?」
 間髪入れずに長谷部が言う。青紫の目が爛々と輝き、私の目をひたと見据えていた。
「俺がいるではありませんか。不安がらずとも大丈夫ですよ」
「そうじゃなくて、あの人は」
「あの人?」
 長谷部の声が一層低くなった。
「あの人とはどういうことですか? “あれ”が主にとって特別な存在だったと? 今の今まで俺との会話で名前すら出てこなかったのに?」
 長谷部は信じられないというように肩を竦める。
「冷静になればお分かりになるはず。あんな老いぼれより俺の方が頼りになると。いつも主を傍で支えているのを誰とお思いですか? 俺の献身よりも“あれ”の存在の方が大切だと、そう仰せなのですか! どう考えてもおかしいでしょう俺の方が主の為に身も心も尽くしているというのにっ!」
 長谷部は私の反論を一切許さなかった。
 激怒に顔を歪ませた目の前の男が、突如黙り込む。すると私の肩を揺すぶりながら、けたけたと笑い始めた。
「ははは、こんな理不尽が許されますか? まかり通るのですか? 主の元に顕現してから、俺は一体何のために努力したというのですか?」
「貴方にとって一番は俺のはずですそうだそうに決まっているそうなんでしょう?」
「ねえ主? ねえ?」

 両肩にかかる長谷部の手は、獲物を捕らえた猛禽類の爪のように食い込んでいた。
 私は痛い痛いと悲鳴を上げたかった。しかしできない。長谷部が表情を変えて言葉を重ねるが、青紫の瞳が私から離れないのだ。

 長谷部の怒りは強烈で唐突なものだった。当時の私は何が長谷部の逆鱗に触れたのかわからなかった。
 しかし結婚した今ならわかる。
 突然降って湧いて出た“先輩”という新たな脅威に、長谷部は激しく動揺し、嫉妬したのだ。

 長谷部の嫉妬心と執着心の強さは、私の想像を遥かに超えた激しさだった。
 あの愛の告白をされた時、本丸におわす他の刀剣男士を一振り残らず刀解させたがったことを思えば、それはきっと長谷部に詳しくない人にもわかってもらえるだろう。当時の長谷部にとって恋敵となるのは刀剣男士のみだった。何故なら私の特別な存在が、刀剣男士以外存在しないと長谷部が思い込んでいたからだ。
 そこへまさか“本丸外の人間”という存在が己の障壁になると、長谷部は考えてもいなかったらしい。
 上記のことは結婚した今だからわかることだ。

 だが当時はまだ長谷部に恋愛感情を持たれていることすら、私は知らなかった。つまりここまで長谷部を怒らせる原因に、私は全く心当たりがなかったのだ。

 恐怖のあまり口を開くことすらできず硬直する私に、焦れた様子で長谷部が手首を掴む。政府から本丸に繋がる転送門まで引っ張られ、そのまま本丸へ帰城する。長谷部の足は止まらず、私は強引に本丸の奥にある蔵へ引きずられる。

 私は長谷部に肩を押され、蔵の中に放り込まれた。

「主がこれほど聞き分けのない方だとは思いませんでした。そこでしばらく頭を冷やされてください」
 重々しい音がした。蔵の扉が閉められたのだ。私はそこでやっと我に返り、扉に縋った。しかし扉はびくともしない。
 私は、長谷部の手によって、蔵に閉じ込められたのだ。



 私の記憶は途切れる。











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 私はふと気が付くと、薄暗い場所にうずくまっているのに気が付いた。目を凝らすと普段はあまり使われていない蔵だとわかった。目線より高いところにある窓枠から漏れる光で、時刻が夕方に差し迫っていることを知る。
 おかしい、私は政府の施設にいたはずなのに。

 ギィイイと不快な音を立てて、扉は開いた。扉の向こうには長谷部がいた。
「ご気分は如何ですか?」
 長谷部が問いかける。その表情は影になっていて見えない。
「どういうこと? 私、今まで何を…」

「“主は政府の施設から戻られてから、蔵の整理をすると言って熱心に片付けておられたのですよ”」

 長谷部の声が耳に優しく響く。
 そうか。私は思い立って蔵の整理をしていたのだ。私はそう納得した。
「もう夕餉の時間も近いですし、本日はそろそろ……」
「そうね」
 私は頷き立ち上がる。私が蔵から出ると、長谷部が蔵の扉を閉めた。その間、ずっと長谷部の視線は私をなぞり続けていた。



 そして回想は終了する。
 私はあの日、政府施設で用を済ませてから、自発的に蔵の掃除をしたはずだったのに。

 私は長谷部に閉じ込められていた──?

 取り落としてしまったペンをそのままに、私は考え込む。今の今まで政府の施設で起こった出来事を、すっぽりと忘れていた。
 長谷部はあれ以降先輩について一切言及しなかった。私が審神者を辞する先輩への餞別の品を万屋で選んでいた時、長谷部は何も言わず背後に控えていた。先輩に別れの言葉を告げた時も。

 果たしてその時、長谷部はどんな表情で私を見ていたのだろうか。

 開け放たれた障子の先にある庭。美しく咲いた紫陽花に、ぴ、と雨粒が一つ滴る。

 ふと視線を感じ、私は後ろを振り返る。
 夫の長谷部が、盆を持って無表情で立っていた。


 長谷部がじっと、私を見ている。




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2020年7月14日

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