「へし切長谷部より手紙が届いています。」

主へ

 お元気にしておられますか。先程一通目のお手紙を転送しました。ご確認をよろしくお願い致します。

 主に毎日お手紙をしたため、俺の成果をお知らせしようと思っていたのですが、本丸を出る直前に管狐から厳重注意されてしまいました。
 政府から情報の規制がかけられており、主にお渡しできるのは数行の手紙だけ。それも期間中に主へ転送されるのは、三通のみと。ですから今俺がしたためているこの手紙が貴方の元に届くことは、ありません。当然本丸に持ち帰ることもできません。
 主にお伝えする情報の精査と日々の記録の為に、貴方へのお手紙を書こうと思います。

 事前に伝えられた修行というものは極めて漠然的なものでした。己を主の刀としてさらに研ぎ澄まし、強さを極めるものだと修行より帰還したあるものから伺っております。ですが俺の練度はとうに上限に達し、現状の段階ではこれ以上強さを求めることなど不可能。

 そんな時分に天啓が下ったのです。強さを極めるために旅に出よと。
 その思いのままに主に修行を申し出て、ご許可を頂きました。特殊な道具を装備すれば、己の辿るべき旅路がわかり、周囲の人間から奇異の目で見られずに済むと管狐からうかがっています。

 そして俺はわずかばかりの荷物を持ち、本丸を旅立ちました。馬にまたがらず、独りで、己の足で戦場を歩くというのは、なんとも心もとないものですね。常の出陣であれば、他の連中がいて、馬にまたがり、刀装を装備しているのに。まるで人間のように一人で歩く……。そう、お守りすら装備が許されないことに俺は驚きました。顕現してからずっと肌身離さず懐に忍ばせていたお守りです。主から賜ったお守りの装備すら許さないとは、一体政府は何を考えているのでしょう。懐からいつも身に着けているお守りの感触が消え、少々心もとなく感じます。

 修行とは山籠もり等で強靭な肉体を手に入れるものだと思っておりました。どうやら俺の予想は大きく外れたようです。何せ俺の修行の地として指定されたのは、安土。管狐の誘導されるままに辿り着いたのが、まさか俺の前の主、織田信長の領地だった時は愕然としましたよ。
 結局のところ、俺の持つ弱点とは、肉体ではなく心にあったと、そういうことなのでしょうか。
 貴方に届くことのない手紙ですから、己の心に正直にしたためましょう。

 俺は恐ろしいです。

 前の主と人として対面しなければならないことが、恐ろしいのです。きっとあの男の口から、俺が下げ渡された理由を聞かねばなりません。その時に、俺はへし切長谷部として存在しうるのか。正気を保っていられるのか。それがわからないからこそ、恐ろしいのです。







主へ

 体調など崩されていませんか。どうかお風邪等召しませぬように。貴方のお変わりのないことこそが、今の俺にとっての第一です。

 主と会えなくなるのは、そちらの体感時間で四日。ですが俺にとってはより長いものとなりそうです。
 当然のことかもしれませんが、織田信長と簡単に対面するのに時間がかかります。織田信長は安土の領主。俺が手元にあった頃よりも、さらに広大な地を統治し、高い地位を得ました。そんな人間に、俺のような身元の知れないものが近付くことは容易ではありません。
 ですのでまず俺は名もなき野武士として、織田軍に加担することに致しました。当然歴史に関与する真似は致しません。そうすると修行どころではありませんからね。主がそれをお望みでないことは重々承知の上です。ご容赦ください。

 安土で俺に与えられたのは、安土城下の粗末な家屋でした。家屋は少々痛んでおり、以前住んでいた人間の痕跡が見られますが、概ね生活はできます。先程夕餉を頂きました。本日の献立は雑炊と味噌汁と沢庵のみでした。食べるものも生活の場も、今まで主と共に過ごした本丸とは大違いです。俺は随分貴方に甘やかされていたようだ。
 俺は為すべきことをし、必ずや己の過去と向き合い主の元へ帰還致しますので、どうかご安心ください。







主へ

 お元気ですか。
 先程出陣して参りました。出陣と言っても、両陣営はにらみ合うばかりで、戦闘は起こりませんでした。常なら出陣するとなれば遡行軍との切迫した戦いがすぐに行われましたので、若干拍子抜けしております。俺を指揮するものに「そう逸るな」と宥められてしまいました。お恥ずかしい限りです。
 管狐からは「修行にどれほど時間をかけても良い。あくまで己の心身を鍛え切ったと満足できるまでは本丸に戻るな」と言われておりますので、じっくりと腰を据えて目的を達成しようと思います。
 夕餉に芋雑炊を頂きました。せっかく出陣したのに身体を動かすことなく日が暮れてしまったため、どうにも目が冴えております。

 ですので少し主と俺のことについて、お書きしようと思います。
 俺は二年と九月程前に主の元に顕現致しました。主は来て早々の俺を近侍に任命してくださり、二年後に主と色恋の関係になりました。そして修行に出る直前、主と『俺が修行から帰還したら、婚礼の儀を執り行う』とお約束しております。それは貴方もご存知ですよね? なんて……いえ、主が俺の言葉をもう忘れたなどとは思っていません。ただ確認したかっただけです。確かに貴方と婚儀の約束をしたと。

 俺と主の関係が本丸の連中の知るところになると、あまり良い顔をされませんでした。付喪神と人の恋ですから、皆主の身を案じているのでしょう。
 俺はずっと、主と恋仲になってから、いいえ、より正確に言えば近侍の命を御受けしてから、貴方が他の連中に目移りしないかと気がかりでなりませんでした。ですがその葛藤も、俺の修行が完了すれば終いです。婚礼の儀を結びさえすれば、貴方と俺は晴れて夫と妻という関係になります。貴方の元に帰る日が、今からとても楽しみでなりません。
 主も俺と同じ思いであることを願います。きっとそうですよね?







主へ

 主はお変わりなく過ごしていらっしゃいますか。
 本日も出陣いたしましたが、昨日と変わらず両陣営に動きはありませんでした。しかし歩卒まで指示が行き届いていなかったようで、少々小競り合いが発生しました。幸いにも死傷者は最小限に留めることができました。こうしてみると、いかにこの時代の戦で統率を持って行うことが困難かがわかります。今俺達は主と通信機があること、刀装兵は俺達付喪神の指示に確実に従うため、統率が乱れることはよほどのことがない限りありません。俺達の戦とは、それだけ現代の利器に恵まれたものだったと実感致します。

 主は今頃出陣の指揮を執っておられるのでしょうか。最初は頼りなげで戦の知識がなかった主ですが、日を経る毎に見識を深め、俺達の指示を仰ぎ、徐々に刀剣の主に相応しいお顔になられましたね。俺は最初に主とお会いした際、失礼ながら「果たして一年持つだろうか」と疑っておりました。ですがそれは俺の杞憂にすぎませんでした。今の主はとてもご立派です。もっと胸を張ってください。







主へ

 主の御加減は如何でしょうか。貴方はすぐに無茶をされるので、俺は心配しております。何卒ご無理をなされませんよう。本丸の連中が主を止めていればよいのですが。
 本日は出陣せず、めいめいに武具の手入を行いました。俺が身分に似つかわしくない刀を持っているため、野武士に少々怪しまれてしまいました。上の者にそれはどこの刀匠のものかだとか、いくらで手に入れただとか聞かれた時には、肝が冷えました。

 人に己の価値を評価されることそのものは喜ばしいのですが、今回ばかりは勘弁願いたいものです。どうにもこの拵えが悪目立ちするようなので、家屋にあったぼろ布を被せることに致しました。不格好になりますが、致し方ありません。
 俺と共に戦う野武士は皆、粗末な品々を手にしていましたが、それは大事そうに扱っていましたよ。刀は武士の魂、なのですから、当然のことでしょうが、そういったところは好ましく感じます。

 刀と言えば、主は付喪神が刀剣男士として顕現する意味を、ご存知でしょうか。俺達は武器として生まれたため、常に戦を欲しています。しかし太平の世が長く続き、刀は武具としての価値を失いました。歴史的資料や美術品としてしか価値を認められず、武具としての本分を果たせないまま、気の遠くなるような時が経ちました。
 そんな折に歴史修正主義者による過去への攻撃が開始されました。その時にね、歴史遡行軍に堕ちた付喪神がいたのですよ。

 戦いに飢え、己の存在意義すら見失った刀の付喪神が、自ら進んで遡行軍へ堕ちたのか、あるいは歴史修正主義者の呼びかけに応じたのか。それは俺にもよくわかりません。
 恐らくは主のご存知ないことでしょう。俺も噂程度にしか存じ上げません。が、確かに遡行軍に堕ちた付喪神はおりました。この出来事は俺にとっても他人事ではありませんでした。何せこの太平の世でまた戦に参加できるとあらば、武具としてこれほど誉れ高いことなどないでしょう?

 政府にとって俺達付喪神は、敵になりうる厄介な神的存在でした。だから政府は慌てて俺達付喪神に「政府の陣営としてその刀を振るってほしい。審神者という持ち主も与えるから」と打診してきたというのが、この戦争の顛末であり、審神者の本来の役割なのです。

 つまり元を辿れば審神者とは荒ぶる付喪神を抑えるための、生贄だったのです。
 政府が付喪神と審神者の婚姻を黙認しているのは、付喪神が堕ちることを防ぐためです。俺達刀剣男士は人の信仰により永らえています。人間からの情もまた、信仰心として俺達の養分となります。貴方が俺に愛情を注げば注ぐほど、へし切長谷部という付喪神の存在は、より強固で絶対的な存在になるのです。

 残念ながら今お書きしたことを主にお話しすることはできません。何故なら俺が歴史修正主義者との戦に参加する際に、この件を口外しないという盟約を政府と交わしているからです。  もしも審神者の実情や政府の思惑を話したら、主はどんな顔をするのでしょうね。俺達を恐怖し怯えるようになるのか、己の置かれた状況に失望し悲しみ嘆くのか、はたまた開き直り今まで通りの日常を過ごすのか……。
 ですが不思議です。貴方の泣くところは想像できても、貴方が俺を捨ててお逃げになることだけは全く想像できないのです。







主へ

 果たしてこんな心持で、筆をとってよいのでしょうか。俺は……。
 いえ、この手紙は例え届かずとも、主に宛てたものです。ですので正直に事実を述べたいと思います。
 本日は出陣し、ついに敵陣営と激突しました。俺が討ち取ったのは敵の足軽二人。まずまずの戦果ではないでしょうか。もちろん俺は手傷を負っておりません。戦闘はつつがなく終了し、織田の陣営が勝利を収めました。これはあくまで史実通りの出来事ですので、歴史改変には該当しません。
 せっかく武功を立てたのに、主からお褒めの言葉を頂けないことが残念です。俺の本来の目的は覚えておりますよ。今の俺の立場は織田信長に接触するための仮初の物。帰るべきは貴方のいらっしゃる本丸なのですから。
 ここまでは良いのです。問題はその後です。

 先程戦勝記念ということでささやかな宴を行っていたのですが、俺の部隊を指揮する者がのっそりと立ち上がりました。そして酔った赤ら顔でこう言ったのです。「女を買いに行くがお前も同行するか」と。
 俺は女人と肉体関係になったことはありません。無論関心がないと言えば嘘になります。
 俺は不覚に男の一言に硬直してしまったのですが、それを指して男共が俺を「おぼこだ」「おぼこだ」と囃し立て始めました。

 その上「その年でおぼこなら将来の為にも女を買うべきだ」「女はいいぞ」と腕を掴まれました。
 何とか振り払い住処に戻ったのですが……。どうすることが正解だったのでしょう。
 このようなことを主に打ち明けても、困らせてしまうだけですね。ただ……。女人の初夜は痛みと出血を伴うと聞いております。であれば、主の初夜に御不快な思いを強いないためにも、俺は経験を積むべきだったのでしょうか。

 いえ、今までも経験を積もうと思えば積める環境に、俺はおりました。
 政府が経営する万屋街には、刀剣男士専用の遊郭があります。主がご存知かはわかりませんが……。できれば主の御耳に入っていないことを願います。こんなことは主が知る必要のない情報です。
 ともかく、日々の給金を使って遊郭を使えば、女人との経験を積むことはできたわけです。俺が主の元に顕現されてから三年弱。その間に経験を積むことなど考えもしなかったのですから、今更くよくよと思い悩む必要もないでしょう。

 俺の住処は隙間風が響く以外は静かなものです。野武士共が女を買いに出払っているおかげで、宴の声も聞こえなくなりました。
 だからでしょうか。主に触れた時の感触をまざまざと思い出してしまうのです。
 湯帷子の隙間からわずかに覗く白い谷間。手袋越しに触れた貴方の小さな手。華奢な肩。抱き寄せた際に感じた主の身体の温かさ。

 ああ、全く。
 修行中の身でありながら、どうしてこうも煩悩にまみれてしまうのか。


 この未熟者が 恥を知れ







主へ

 昨晩は見苦しい所をお見せして、誠に申し訳ありませんでした。今後はこのようなことがないよう、猛省致します。大変失礼致しました。
 先程野武士共と剣術の稽古をして参りました。皆荒っぽい気性をしていますが、悪い人間ではありません。ただ一点気に障ることがあります。

 主は俺が野武士共に何と呼ばれているか、お分かりになりますか。
 おぼこ侍ですよ。
 遊女を買う買わないで揉めたことが、彼奴等の目にはよほど面白可笑しく見えたようです。俺の顔を見れば「おぼこ」「おぼこ」と呼びます。これはあんまりだと思いませんか?
 へし切におぼこ。果たして次は何と呼ばれるのでしょうね。これ以上変な名前で呼ばれるのは御免こうむりたいものです。

 念のため、信長の前では『長谷部国重』と名乗ることに致しました。俺を打った刀工の名です。あの男のことですから周囲の悪乗りに乗って、俺をおぼこと呼ばいそうな気がしますが、まあ、いいでしょう。
 むしろへし切の名を呼ばれた時の方が、正常でいられるのか不安が残ります。もしも主が俺の隣にいてくださったらどれほど心強いことか。ですが今この場に主はいらっしゃらない。独りで乗り切らねばならぬのです。







主へ

 お元気にしておられますか。俺のことをお忘れではないでしょうか。長谷部です。
 本日は戦はありませんでした。野武士共も戦がひと段落ついたため、束の間の休暇を楽しんでいるようです。昨日と同じく野武士と剣術の稽古を行いました。野武士らの間で俺の佩刀が噂になっているようで、しきりと刀を見せろと詰め寄ってきて、断るのに難儀しました。……さすがにまずいでしょうか。とりあえず刀は肌身離さず腰に差しておくことにします。

 なかなか刀を見せようとしない俺に、野武士共は諦めたようですが、今度は未婚の村娘と引き合わせようとしました。何故野武士共はこうもお節介を焼くのでしょう。事情も知らずに連れてこられた村娘は、純真そうな瞳で俺を見ていました。その真っ直ぐな目つきに、俺は主を思い出しました。いけませんね、主以外の女子を見て、貴方を連想するなど。

 さて、本日は俺が心待ちにしている婚礼の儀についてを記しましょうか。
 婚礼の儀とは、貴方の名と魂の一部を頂戴することだと、主にご説明した通りです。婚姻の儀を行うことで、何物にも俺達の魂を分かつことはできなくなるのです。
 例え主が解放を望んだとしても、名と魂は頂戴しておりますので、お返しすることは致しません。
 一度婚礼の儀を行えば、貴方の魂は永い時間をかけて俺に吸収され、へし切長谷部という付喪神を構成する一部となるのです。

 貴方の魂に来世など存在しない。過去も現在も未来も、全てこの俺の手中となり、逃れることは決してできません。
 婚姻後も現世に留まり、今までと変わらぬ生活を送ることは可能ですが、それはあくまで俺が慈悲で与えた猶予期間に過ぎません。俺が本霊に戻ると決めれば主の同意がなくとも、俺の任意のタイミングによってで貴方の魂ごと本霊に戻ることも可能なのです。
 神に嫁ぐとはそういうことなのですよ。貴方は本当にわかっておいでなのですか。







主へ

 本日はある地方で反乱が起きているそうで、俺も鎮圧部隊に参加するよう指令が入りました。
 少々遠い地への遠征となりますが、必ずや主の元へ戻ります。これから旅支度をせねばなりませんので、本日は手短にまとめさせて頂きます。
 ご了承ください。







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主へ

 ご無沙汰しております。こうして筆をとるのは久方ぶりとなります。主はお元気でしょうか。俺は片時も主を忘れたことはありませんよ。
 あの後は反織田勢力の鎮圧に追われ、なかなか手紙を書く時間が取れずにおりました。敵軍の抵抗が激しく織田方は苦戦を強いられ、安土に戻るまで一年弱かかりました。
 もちろん俺は傷一つ負っていませんし、この時代の歴史は史実通りに進んでおりますのでご安心ください。
 さて先程やっと荷解きが終わりました。安土の城が夕日で黄金色に輝いているのが窓から見えます。そろそろ夕餉の時刻です。

 主は今何をされていますか? 食事はきちんと取っていらっしゃいますか? 俺の代わりに近侍になった奴は、主命を果たしていますか?
 本丸から出て少々日が経ったせいか、貴方を恋しく思う気持ちが募ります。普段は主の近侍として、いつもお傍に仕えていられました。貴方の声も、お顔も、俺の望む限りいつでも拝見することができました。それがどれほど貴重だったことか、身に沁みて感じております。

 主は以前修行に出した連中の手紙を読んで、気を揉みながら四日間待ち続けていましたね。俺は主に不安な思いを抱かせないようにしているつもりです。主は今どんなお気持ちで俺を待っているのでしょうか。主が俺を修行に出したことを後悔されることがないよう、最良の結果をご報告致します。
 一年弱戦に身を投じながら、俺は考えを巡らせておりました。この修行で俺はどうなりたいのかと。今までは俺がさらなる強さを手に入れるために、信長と対面する必要があることだけは漠然と感じておりました。
 では信長と対面し、どんな情報を引き出せば俺は過去と決別できるのか。さらに言えば俺という刀が主にとってどんな刀でありたいのか。そして俺にとって主がどんな存在なのかを、ずっと考えておりました。

 主と長く離れたことで、俺は改めて確信致しました。間違いなく俺は一人の男として貴方に懸想しているということを。俺の胸を満たす思いを、神の寵愛などという一言で済ませることはできない!
 ねえ主。貴方は審神者の能力こそあるものの、所詮は凡庸な一人の人間に過ぎません。主は俺達付喪神を手に余る存在だと感じたことがありませんか。
 付喪神にはそれぞれに逸話があり、その多くは今なお過去に囚われております。もちろん俺も例外なく、ね。俺が信長に執心していることを、主はご存知でしょう。顕現したばかりの時分は、常に信長のことばかり話していたように思います。今でも気を抜くと、信長のことを口にしてしまうほどです。
 俺に名を授けたにも拘らず、あっさりと直臣でもない奴に下げ渡した信長を、俺はどうしても許せない。神を名乗っておきながら、人の過ちを許せぬ体たらくです。
 なのに、主はそんな俺を許してくださった。「そのままの長谷部でいい、そんな長谷部が好き」とおっしゃってくださった。それがどれほど俺にとって救いだったか、主は御存じですか。
 数百年もの間、俺という付喪神の中で執着心を受け止めるには、貴方はあまりに小さき存在です。俺の情念を受け止めることを、困難だと感じたことがありませんか。俺の全てを受け入れようと背伸びをする貴方が、愛おしくて堪らないのです。主は俺に異性として情を傾けていることを告白された時、「長谷部の前の主への嫉妬を募らせた独占欲によるものなのか、純粋な好意なのか、わからない。それでも長谷部が好きで、ずっと一緒にいたい」とも言いました。それを聞いた時、俺の胸に温かな火が灯るのを感じました。主と俺の思いは完全に重なっていたことを。
 俺もまた貴方に好意を寄せつつも、これは本丸の他の連中に対する嫉妬とないまぜになっていないかとも思っておりました。主と俺だけがいればいい、他の刀など皆いなくなってしまえばいいのに。果ては貴方の今までの記憶を全て俺一色で塗りつぶしてしまうことさえ望んでおりました。
 どうして貴方はこうも俺を魅了して離さないのでしょうね。貴方だって大勢の審神者の一人に過ぎなかったのに。

 主、俺は貴方への思いをより鮮明に意識できたと同時に、この修行の目的を理解しました。

 俺は織田信長に手放された理由を、知りたいです。俺に欠けたところがあって信長に手放されたのであれば、それを補い、今度こそ主に捨てられることのない刀になりたいのです。もう過去に囚われるのは御免です。貴方だけ、貴方のことだけでこの心を満たしたいのです。
 俺もまた数多存在するへし切長谷部の分霊の一つにすぎません。ですが、俺にとって貴方が特別なように、貴方にとっても特別な存在になりたいのです。貴方が俺に魂を捧げてくださるように、俺も貴方のために全てを捧げたいのです!







主へ

 お元気ですか。こちらは戦もなく平穏な日々が続いております。野武士に稽古をつけたり、安土の町を散策などしております。城下にいると、嫌でも安土城が視界に入ります。巨大な城の影が見える度、まるで信長に監視されているような錯覚に陥ります。
 ……どうもすることがないせいで、感傷的になっているようです。

 信長に対面した時どう『俺』の話を切り出すか、色々と策を練っております。あの男のことですから、もしかしたら『俺』のことを忘れているやもしれません。それはそれでいいのです。諦めがつくというものですから。ただ、もし信長の口から俺の予想外の言葉が発された時、俺が我を忘れずにいられるかが問題です。

 そしてもう一つ思うことがあります。主、貴方についてです。
 俺が貴方に結婚を申し込んだ日のことを、覚えておいでですか?
 結婚を申し込んだ時の俺は、緊張のあまり全身が情けないほど震えていました。俺は貴方に遠ざけられることを想像するだけで、身の裂かれるような思いがするからです。俺が婚礼の儀について詳細をご説明しても、主は顔色を変えることなく頷いてくださいました。主が俺の願いを異質と恐れることもなく、諾々と頷いてくださったことに、俺は救いを見出してしまいました。
 ですが貴方は付喪神と人との関係にあまりにも無知だ。そして己の魂や来世の重要性も全くわかっていらっしゃらない。だから俺はたまらなく不安になるのです。
 貴方はそう容易く自分の魂を差し出して、本当に良いのですか。人の命は尊いものです。それを一時の感情に駆られて、手放すような真似をして、本当に良いのでしょうか。
 俺は誰かに主を取られまいと、躍起になっておりました。貴方の元に顕現されて二年、ずっと貴方への思いと他の連中への嫉妬と焦燥感に身を焦がしていました。そんな最中に主から「長谷部が好き」と言われ、有頂天になった俺は後先考えずに結婚を申し込みました。今考えれば婚礼の儀の仔細を知らぬ相手に、いきなり結婚を申し込むなどあってはならない事態でした。人の無知に付け入って、魂を奪ったも同然の所業です。俺はあの時、確かに説明漏れのないようお話ししたつもりですが、それでも貴方に正常な判断ができるだけの暇はなかったかもしれません。
 主。主。後悔の念ばかりが疼きます。
 俺は俺という付喪神が存続できなくなるその時まで、貴方と共にいたい。天地天命に誓って、その気持ちに嘘偽りはありません。
 ですが……、やはり俺は他の連中が言う通り、道を誤ったのでしょうか。







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主へ

 先程主の元へ二通目の手紙をお送り致しました。ご確認をよろしくお願い致します。
 主、朗報です。明日信長との対面が果たされることとなりました。俺の武功が、信長の耳に届いたようです。俺は信長との対面に数年時間を要する覚悟でおりましたので、とんとん拍子に話が進んで少々驚いております。
 昨日の手紙はつい鬱々とした内容になってしまいました。ですがそれも本日迄。今はただ、主の命を果たすべく、全力を尽くすのみです。
 どうか見ていてください。俺の行きつく果てを。







主へ

 先程信長との対面が終了致しました。申し訳ありません。目的を果たしたにも関わらず、すぐの帰還を果たせそうにありません。もうしばしの猶予を俺にお与えください。
 信長に心変わりをしたというわけでは、決してありません。俺の主は貴方だけです。
 ですが……。いえ、今の俺は、ひどく動揺しております。この感情を言葉に表すことなど、とてもできそうにありません。
 ご容赦ください。







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主へ

 お元気ですか。先程最後の手紙を転送致しました。ご確認をよろしくお願い致します。
 安土は反乱も起こらず、いたって平穏です。遠い地で領民が反旗を翻したと噂が立っているようですが、本日をもって退去する俺には、関係のないことです。
 信長との対面から三日が経過しました。やっと冷静に振り返ることができましたので、信長との対面の様子を書き起こします。

 あの日、俺は安土城の一室に通されました。しばらく待っていると、足音高く信長はやってきました。
 信長は首を垂れる俺を見て、「おぬしが珍しい刀を持っているというおぼこ侍か」と言い放ちました。傍に控えていた小姓の森蘭丸から俺の名は長谷部国重だと紹介され、俺自身も「長谷部国重と申します」と名乗ったのですが、仮初の名を呼ばれることはついぞありませんでした。
 信長は俺の「おぼこ」という呼び名と身分に不釣り合いな高価な刀を持っていることに興味を示して、俺を呼んだのです。
 俺は思いました。ああ、変わらないなと。天下人、魔王などと大層な呼ばれ方をするようになった男ですが、俺を使っていた頃と何も変わっていませんでした。ずかずかとわざわざ足音を立てて己の存在を訴える癖も、変な渾名をつけてしつこく呼ばう癖も。
 ですからとても……、懐かしい気持ちになりました。

 信長は俺の武功をひとしきり褒めた後、「おぬしはまだ嫁を取っておらぬそうだな。儂が仕立ててしんぜようか」と言ってきましたが、丁重にお断りしました。
 すると縁談を断られたのが気に食わなかったらしく、信長は上座から降りてきました。そして俺の顎をぐいと掴み上げ、俺の目をじろりと覗き込んできました。
 前の主の癖です。何事にも興味関心を抱くと、まずはじっくりと気の済むまで観察するのです。
「おぬしは結婚をしていてもおかしくない年頃だな。なのになぜ女子を娶らぬ? 何故おぼこなのだ?」と、しきりに尋ねてきました。「夫婦になる約束をした方がいる」とお伝えしたところ、気が済んだようで顎から手が離れました。その後は俺の結婚相手がどんな相手なのかをしつこく尋ねてくるのには辟易しましたが。

 さて質問攻めが終わると、今度は俺の刀に関心が移ったようでした。俺の刀……つまりは『俺自身』のことです。
 俺の本体を見ながら信長は「随分上等な刀を持っておるな、見せよ」と言いました。渡すべきか悩みましたが、信長に『俺』を渡しました。
 信長はしばし拵えをまじまじと見つめた後、俺の刀身を鞘から引き抜きました。そしてじっと厳しい表情で俺の刀身をねめつけました。この時ばかりはさすがに緊張致しました。
 すると信長は「この刀、何やら見覚えがある。どこで見たか……」と思案し、傍に控えていた蘭丸に『俺』を渡しました。蘭丸もしげしげと『俺』を眺めた後、「上様が以前お使いだった大太刀に面差しが似ているようです」と告げました。「黒田殿に下賜した御刀にございます」と蘭丸が補足すると、信長はなんと「おお!」と膝を叩いたのです。
 その上「へし切か!」と言うのですよ、前の主が。心臓が飛び跳ねました。
 俺が呆然と頭を垂れる間、信長はしきりとへし切のことを褒めたたえました。切れ味の冴えた刀だっただとか、茶坊主を成敗した時は棚ごと圧し切っただとか。

 そんなことはわかっているんですよ。己の切れ味など、俺がよく知っています。俺が知りたいのは、何故信長は使い勝手が良いと愛用していた刀を、いともたやすく直臣でもない人間に下げ渡したのか、その一点でした。
 俺は恐る恐る二人の会話に入りました。
「そのへし切という御刀を随分気に入っていらっしゃったようですね」
「うむ。何もかもが思いのままに力を入れずとも斬れる、良き刀であったわ」
「では……どうして手放されたのですか? 良き御刀だったのでしょう。勿体のうございます」
「良き刀だからこそじゃ」
「と言うと……?」
 すると信長は黒田如水様の名を出しました。初めて如水様と会った時、如水様が才覚にあふれた人間かを信長は感じ取ったそうです。万が一如水様に敵対されれば、この戦は間違いなく敗北すると確信した、と。
 だからこそ、最大限如水様の機嫌を取るために、当時自分が好んで大事に使っていた俺を贈った。信長はそう言いました。

 俺は「そうでしたか。直接拝見することができず、残念です」などとおべんちゃらを言いました。しばし雑談した後、信長と蘭丸は去りました。
 俺と信長の対談は終了したのです。俺だけが安土城の広い一室に取り残されました。その後俺が住処にどう戻ったのか、覚えておりません。


 俺が前の主の口から引き出したかったのは、「へし切は大事な刀だった。何の落ち度もない良い刀だった」という言葉だったのかもしれません。
 俺は前の主に愛用されていたと思ったら、ある日突然初対面の相手に下げ渡されたのですよ? 許せるわけがないでしょう。へし切という名までつけておいて。大切に扱っておきながら、ある日突然用済みだと捨てられる落胆と怒りは、きっと他のどの刀にもわからないでしょう。

 その後俺は新たな主となった黒田家で、信長から下賜された御刀として、丁重に扱われました。長政様は俺を鑑定にお出しになり、「長谷部国重作の刀だ」ということに気付かれ、俺に「長谷部」という名を与えてくださいました。
 名を与えるという行為は刀にとって、それは大事なことなんですよ。己の存在した証であり、付喪神を形作る逸話の元になりますから。俺が今こうしてここに存在しているのは、信長と長政様によるところが大きいのです。
 長政様をはじめ黒田家の皆様に、俺は非常に大切にして頂きました。それは誰に何を言われようと確信を持って言えます。後に黒田家から国に寄贈されたことも、恨んでなどおりません。刀としての役目を終えたから俺は手放されたのだと、納得しております。
 ですが信長に関してはそうではありませんでした。あれほど大事に使っていたのに、何故ああもあっさりとさして関わりのない人物に俺を下げ渡したのか、それだけが俺の気がかりでした。

 人は刀が用済みになった時か、刀が使えなくなった時に手放すものだと思っていました。ですが俺の切れ味は全く問題がなく、信長に愛用されていました。これでは矛盾が生じてしまいますよね? だから俺は信長に捨てられた理由を、ずっと考えていたのに……。

 人とは大事な刀だからこそ、政治の道具として下げ渡すこともあるのですね。

 今の主は戦の指揮こそ取っておられますが、政治的な駆け引きはされていません。だから……俺を手放す必要など、ありませんね。大事な刀で、想い人である俺を捨てるなど、考えられません。貴方は俺を刀ではなく、人として見ておられるのですから。ねえ、そうでしょう?


 いいえ、俺がどれほど主に一途であってほしいと願っていても、無駄なことなのかもしれません。
 人間は勝手な生き物です。俺は戦や前の主を通して、それを学びました。今回の修行で人間にはほとほと愛想が尽きたと言えるようになれればよかったのに。
 前の主との再会で、俺は俺自身に何の落ち度もなかったことに安堵しました。
 しかしそれと同時に呪いをかけられたのかもしれません。俺という付喪神に深く根差した、終生解けぬ呪いです。
 例え俺自身に不足がなくとも、人の気まぐれによって捨てられることがあるという、呪い。これは俺が刀の付喪神である限り、逃れられないものです。
 俺にかけられたこの呪いは、胸に穿たれた穴は、主、貴方の魂を頂戴することで塞がれます。貴方が俺の傍にいると誓ってくださったなら、俺の心は凪いだ湖面の如く穏やかなものになるでしょう。
 俺には貴方が必要なのです!




 ……本当はわかっております。これは俺の我儘に過ぎず、永い時間をかけて解かねばならぬ問題だということを。

 主。貴方は今何をされていますか。俺が修行に旅立ってから、そちらではどの程度の時間が経過しているのでしょうか。俺との婚儀について、真剣に向き合っていらっしゃるのでしょうか。

 主は想像されたことがありますか。
 仮に俺と婚礼の儀を執り行い、俺と主の関係が確固とした物になったとしても、数年後、数十年後、いつか俺という存在が、貴方の中で色褪せた存在になり、顧みなくなる時がいずれ来るということを。

 人はいつか物に飽き、そして死ぬ生き物です。いずれ繋いだ手を離さねばならぬ日が来るのです。
 貴方は俺に肉体を与えてくださった。俺を手塩にかけて育ててくださった。貴重な道具を消費し、俺の修行を後押ししてくださった。そして今も俺の帰りを本丸で待っていてくださる。
 そんなけなげな貴方にいつか捨てられてしまう日など想像できません。したくもありません!

 貴方は俺が結婚を申し込んだ時、「死んだ後もずっと長谷部と一緒にいたい」と言ってくださった。俺はそれが、とても、とてもとても嬉しかった。貴方はご自分の死後のことすら俺に任せてくださった。
 俺に全幅の信頼を寄せてくださること。それが俺にとってどれほど誉れ高く喜ばしいことか。きっとこの感情は俺だけが持つことを許されたものです。
 せめて俺が人であったならば、人間の夫婦として死が二人を分かつまでお傍にいられたのかもしれません。
 ですが、俺は刀で、貴方は人。この事実は覆りません。
 結局俺は俺の愛し方しかできないのです。俺が思いを押し殺すことができたならよかった。
 しかし俺は主への思いを既に伝えてしまいました。俺の思いをなかったことにすることは、もうできません。


 だから主。
 俺が本丸に戻ったら、改めて貴方に結婚を申し込みます。


 主は今頃本丸の連中に俺との婚儀を止められていることでしょう。もしかしたら付喪神に嫁ぐ恐ろしさをまざまざ自覚し、婚礼を取り止めたいと思っておられるかもしれません。
 それでよいのです。それが人間の防衛本能というものです。

 もしも俺が本丸に戻った時、主のお気持ちが変わっていたなら、その時は潔く、貴方との婚礼を諦めます。

 強さを求めて修行に出たというのに、俺は弱音ばかりいてしまいます。
 ですがそれもここまでです。
 この手紙を破り捨て焚火にでもくべたら、過去も恐怖も全て清算し、貴方だけの刀になることを、ここに誓います。
 弱音は全て、この時代に捨てていきます。
 ですから、俺が貴方のお傍に仕えることだけは、どうかお許しください。


貴方のへし切長谷部より



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2020.06.06

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