餓えた狼

 私が審神者になって、少し経つ。
 はじめのうちは清光と私しかいなかった本丸も、少しずつ仲間も増え、賑やかになりつつある。

 先ほど我が本丸初めての太刀である『和泉守兼定』さんが仲間になった。
 彼の相棒だという『堀川国広』君が、たいそう喜んでいた。

 国広君はとても世話焼きな性格で、他の男士が嫌うような雑事を進んで行ってくれる。
 家事や雑談の最中に、よく兼さん、兼さんと少し寂しそうに呼んでいたので、早く呼び寄せてあげたいと思っていた。国広君の喜びようを見て、私も嬉しくて仕方がなかった。
 と。
「やはり太刀の顕現は嬉しいものですか、主」

 背後から、皮肉っぽい笑みをたたえながら、足音もなく一人の男がにじり寄る。
 朱色の柄が目を引く刀を右手に下げた、打刀の『へし切長谷部』さんだ。外から差す日の光に彼の髪がきらりと輝いた。

「へし切さん」

 うっかり私がそう呼んでしまう。
 しまったと思った時には遅かった。長谷部さんはほんの一瞬不愉快そうに眉間に皺を寄せてから、私に一礼する。
「できれば、へし切ではなく『長谷部』と呼んでいただきたいのですが」
「ああ、ごっ、ごめんなさい、長谷部さん」
「名前すら憶えていただけないとは、やはり俺のような打刀では、主の右腕として力不足ですか? 俺のような打刀ではなく、能力の秀でた太刀の方がよろしいのですか? 俺を選んでいただければ、主の命を何でもこなしてみせますのに」
「長谷部さん、私はいつだってあなたを頼りにしていますよ。どの刀種でも私を主に選んでくれた人は、最期の時まで大切にするつもりです」
「左様ですか」
「……なかなか信頼していただけませんね」

 皮肉な笑みを浮かべ自嘲的な長谷部さんを前に、私は途方に暮れて密かにため息をついた。
 彼とは出会って七日も経っていない。まだ信頼関係を築けるほどの間柄ではないだろう。

 長谷部さんが本丸にやってきたばかりの時は、随分血の気の多い者がやってきたと驚いたものだ。
 審神者になったばかりの私に対して、とても従順な態度で接し身のこなしも鮮やかで、瀟洒という言葉は彼のためにあると思うほどだった。

 なのに何せ、長谷部さんは『家臣の手打ちや寺社の焼き討ちでもしてみせる』とまで言う。長谷部に前の主について聞いてみると、『織田信長』の名前を上げたので、妙に納得してしまった。
 信長の生きた時代から七百年以上経った現在でも、『なかぬなら 殺してしまへ 時鳥』という歌や冷酷な行いが語り継がれるほど、荒い気性の武将として知られている。

 自身の刀の扱いもまた荒っぽいものだったらしく、  長谷部さんはたびたびかつての主を非難する。
 信長の狼藉によって不名誉な命名をされたこと、そして何より直属の家臣でさえない人物の手に渡ることになってしまったのが、どうしようもなく許せなかったらしい。

 いや、許せなかったではなく、許せないという言い方が正しいだろう。
 何せ信長に対する怒りは七百年経った今も、  長谷部さんの胸の内にくすぶっているのだから。

 信長は冷酷無比な人物であったものの、武将としての手腕は確かなもので、天下統一の足掛かりを作った。
 長谷部さんは自分を粗末に扱った信長に屈折した感情を抱える反面、もっと主の力になりたかったという真っ直ぐな忠誠心も持っているのが、言葉の端々から読み取れる。
 そして、今の主である私が、信長のように自分を見捨ててしまうのではないかと、どこかで恐怖していることも。

 私なりに、彼を不安にさせないよう気にかけているつもりだけど、彼に必要なのは慰めの言葉ではないだろう。
 武具としてこの世に生まれた彼が、今一番必要としているのは戦事だ。
 長谷部さんに向き直り、声をかける。
「 長谷部さん」

 私の声音が変わったことを敏感に感じ取ったらしく、長谷部さんが居住まいを正した。
「はっ」
「維新の函館に出陣してください。部隊長はあなたです」

 私がそう告げると、 長谷部さんの眉がぴくりと動いた。
「函館に? 俺の練度も上がりましたし、先の戦場を攻略するのがよろしいのではないかと」
「いいえ、函館です。今回太刀が手に入ったとはいえ、彼はまだ我が部隊にやってきたばかりです。彼の練度を上げるためにも、函館に出陣しましょう」

 私の言葉を聞いて、兼定さんに目戦を移した。相棒の堀川国広君にまとわりつかれ、鬱陶しそうにしている兼定さんに長谷部さんは目を細める。
「……主のお考えあってのことですね。ですが、太刀の練度向上が目的であれば、俺ではなく奴を部隊長にしては如何です?」
「あなたの言う通り部隊長は経験値を多く取得できますが、まだ戦の経験を積んでいない者に部隊長を任せるのは、いささか不安が残ります。それに今まで清光と一緒に部隊長を務めてきたあなたであれば、安心して部隊を任せられます。持ち前の機動と打撃で、部隊を牽引してください」

 そこまで言うと、やっと 長谷部さんはふっと肩の力を抜いた。
「承知致しました。この長谷部、主に良い報告ができるよう最善を尽くします」
「よろしくお願いします。部隊員は和泉守兼定、堀川国広……、あとは誰がいいでしょう」

 ちらりと 長谷部さんに目をやると、彼が唇をわずかに緩めたことに気付いた。私に頼られたことが嬉しかったようだ。
「恐れながら申し上げます。せっかく初期の戦場に赴くのですから、和泉守兼定以外にもまだ練度の低いものを連れていくのが妥当ではないでしょうか。特にまだ育成の進んでいない短刀を中心に編成されるのをお勧めします」

 言われて刀剣男士の一覧を見やると、確かに 長谷部さんの言う通り、能力値が他の刀種に比べて、短刀達の練度が低いことに気付いた。
「ああ、本当ですね。では、部隊長はへし切長谷部、隊員は和泉守兼定、堀川国広、小夜左文字、前田藤四郎、薬研藤四郎とします。……よく気付いてくれました。ありがとうございます」
「本丸の様子を把握するのも、近侍の務めですから」

 長谷部さんは私に頼られたことに喜んでいるのを隠そうとしているけれど、喋り方が淀みなく少し誇らしげにしている。嬉しさを隠しきれずに喜びを噛み締める長谷部さんは、思っていたより若く見えた。
「主の期待に、応えてみせます。では、これより出陣の準備に入りますので、失礼致します」
「お願いしますね、気を付けて」

 恭しく礼をしてから、 長谷部さんは身をひるがえし、隊員たちに呼びかける。じゃれ合う  国広君と兼定さんは、長谷部さんに出陣の旨を伝えられて、我に返ったようだった。

 長谷部さんが部隊長として隊員に準備をせかす檄を飛ばしている最中、ちょうど遠征を終えた部隊が戻ってきた。
「ふいー、戻り戻りー」
 遠征部隊長の清光をはじめ、部隊員たちが遠征先で確保した資源を抱えている。
「皆、お疲れ様でした。お茶の用意がありますので、汚れを払ってから、召し上がってくださいね」
 私が声をかけると、皆は顔を綻ばせて彼らは我先にと足洗い場に殺到した。
「とりあえず資源はこんな感じ。今の遠征先、悪くはないんだけどさぁ、入りがよくないよね、入りが。これじゃあ俺デコれないよ」

 全ての資源を受け取った清光がぼやく。
 清光の視線は自分の汚れた手足や手洗い場を交互に見ていて落ち着かない。見た目を気にする清光は、汚れてしまった自分を主に見せるのが恥ずかしいらしい。
「そろそろ新しい遠征先を試してみたいけど、そうすると第一部隊の練度が下がるからね。困ったものです」
「だよなぁ……」
「こつこつ遠征を続けて節制を心がければ、資源もたまっていくよ。清光にはいつも助けられています。ありがとう、清光」

 そう言って頭をなでると、きょとんとした清光だったが、すぐに嬉しそうに笑んだ。
「ちょ、ちょっとくすぐったいってぇ。主って本当に俺を撫でるの好きだよなー」
「ああ、ごめんなさい。遠征と出陣の兼ね合いはまた後で考えるとして、お休みしましょう。清光の好きなお茶菓子も用意してますよ」
「わかった、主も早く来てよー」
「はい」

 パタパタと足音を立てて足洗い場に向かう清光と入れ違いで、函館に出陣する長谷部さん達がやってきた。
「では、出陣して参ります」
「ええ、いってらっしゃい。ご武運を」
「主に刃向かうものは全て、俺が斬って差し上げましょう」
 そう言って、戦場に赴く長谷部さんの背中は、部隊長にふさわしい大きなものだった。
「じゃ、行ってくるぜー。主」
「行ってきまーす!」
 兼定さんと国広君も長谷部さんの後に続く。その間にも国広君が人の身で行う戦闘の作法だとか合戦場での注意事項だとかを、事細かに兼定さんに伝えている。兼定さんはそれをやや鬱陶しそうに聞き流していた。

 ふたりのやり取りが面白くてついクスクス笑っていると、さらに後ろから小夜左文字君、前田藤四郎君、薬研藤四郎君の三人がやってくる。
 前田君はわざわざ足を止めて、きちんと礼をしてから「全力を尽くします」と私に宣言した。そして後ろからやってくる二人の様子を気にする素振りを見せた。
 薬研君は「行ってくるぜ」と言いながら、遅れ気味の小夜君に目をやった。無口な小夜君はぺこりと会釈してから、刀の位置の微調整をしている。
「皆さん、いってらっしゃい。無事に帰ってきてくださいね」

 世話焼きな国広君に賑やかな兼定さん、そして血の気の多い長谷部さん。そして短刀の皆。ここにはいない他の人達。
 日々少しずつ賑やかになっていくこの本丸の未来を思い描いて、私はひとり、くすりと笑うのだった。




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