深まる朱

 私の部屋で長谷部と二人で雑談していた時のこと。
 秋から冬にさしかかる頃合いで、本丸の木々が紅葉で色とりどりに枝を伸ばしていた。一日の業務を終えた私と近侍の長谷部は、少し障子を開けて手軽な紅葉狩りと洒落込んでいた。
 長谷部の淹れてくれたお茶をすすりながら、庭の池に映る紅葉が綺麗だとか、銀杏の実を拾う頃合いだとか、何てことのない雑談をしていた。

 和やかな空気、おいしいお茶、秋にしてはやや暖かい日差し。
 この三つが揃ったタイミングだったので、私はこみあげてくるあくびを噛み殺しきれず、ふわあと間抜けな吐息をもらしてしまった。すぐ隣に座っていた長谷部が、口をつけていた湯呑をちゃぶ台に置くと目を細めて私を見た。
 だらしない、という心の声が駄々漏れている視線が一瞬。すぐに苦笑に溶けて消える。
「大分お疲れのようですね。昨晩は眠れましたか?」
「ううん、ちょっと」
 曖昧な返事からすぐに私が昨夜夜更かししたことに、長谷部が思い至ってしまったらしい。
「寝不足ですか。もしや雑務を一人でこなされていたわけではありませんよね?」
 長谷部が目を眇める。以前私が一人で仕事を抱え込んで遅くまで起きていたことを、根に持っているようだ。
「違う違う。本の続きが気になって読んでいく内に丑三つ時になっちゃって……」

 剣呑な空気を漂わせ始めた長谷部に、私は慌てて手をパタパタ振って弁明する。逆効果だったようで余計に長谷部の眉間の皺が深くなってしまった。
「主が寝食惜しんで読んだ本はどれですか?」

 内心そんな大げさなことじゃないと思いつつしつつ、本棚から一冊のハードカバー本を引き抜き、長谷部に手渡した。
「これです、これ。最近出たミステリ物。結構面白いの」

 長谷部は受け取った本を色んな角度から胡乱な目つきで睨んでいる。
「みすてり、とは」
「探偵小説って言えばわかる? ある洋館で人には不可能な殺人事件が起こって、その犯人を主人公が突き止める物語だよ。読む?」

 私が長谷部に問うとこくりと頷いた。そして何故かカソックも脱いでから、両手を広げた。
「主、どうぞこちらに」
「え?」
 長谷部の真意がわからず、私は首を傾げた。
「眠いのでしたら、こちらでお眠りください」
「今の時間に寝たら、また夜に眠れなくなるよ」
「少ししたら起こして差し上げますよ」
「……じゃあお言葉に甘えて」

 綺麗に揃えられた太腿に頭を乗せようとしたところで、長谷部が両手で制した。
「違います。こうです」

 あれよあれよという間に、正座する長谷部の膝の上に座る体勢にされてしまった。ご丁寧に上からそっとカソックをかけられる。
「どうぞお休みください」
「この体勢で?」
「ええ、俺は主から賜ったみすてりとやらを読みますので、どうぞお気遣いなく」
「そういう問題じゃ……」

 文句を言いかけた私を華麗に黙殺し、長谷部は私の目の前で本を読み始める。
 後ろから聞こえる心音も呼吸も全て穏やかで、私一人顔を赤くして恥ずかしがった。長谷部にすっかり翻弄されている。私がもたもたしているのに気付いた長谷部が、ゆらゆら上体を揺らし始めた。
「子供じゃないんだから、そんなことしないで」
「はい」

 お返事だけはいいけれど、ゆらゆらは止まず、とどめとばかりに肩の辺りをぽん、ぽんと叩く。こんな状態で寝られるはずもない……と不服に思っていたが、長谷部の温もりと穏やかな心音と頁をめくる音に、とろとろと瞼が重くなってくる。

 たまにはこんな風に甘えてみてもいいか。

 目を閉じて筋肉質な腕の中で寝返りを打って、長谷部の体に身を任せる。とくとくと長谷部の鼓動が聞こえる。
「おやすみなさいませ」

 いつもより優しい囁き声が頭の上から降ってきた。
 長谷部が身体を少し前のめりにして、障子を閉める。
 背後で障子の合わさる静かな音が聞こえた辺りで、意識がふっと途切れた。




「……るじ、主」
 何度か肩を揺さぶられて目が覚めた。
 まだ覚醒しきっていないぼやけた意識は、長谷部の居心地の良い腕の中にいたいと本能のままに頭をすり寄せる。
「その、甘えていただけるのはとても嬉しいのですが、もうすぐ夕餉の時間ですので、そろそろ起きてください」

 苦笑交じりの声に急速に目が覚める。
 自分の恥知らずな行動にぎょっとする。普段はよほど疲れていたとしても、ここまで誰かに甘えることなどないのに。
「おはようございます。本来の時間で言えば『こんばんは』と申しあげた方がよろしいのでしょうか。よく眠れましたか?」
「……おはよう」

 気まずく長谷部の顔を見上げると、障子越しの橙色の灯りにほんのりと照らされていた。目を細めた長谷部の笑顔とかち合い、もう一度視線を下に移動した。
「そこまで恥ずかしがらなくてもよいのでは? その、あまりにも居たたまれなくされると、少々傷つきます」

 うう、と呻いて長谷部の視線から隠れるように被せられたカソックに潜り込み、顔を長谷部の胸板に押し付けた。
 が、髪の隙間をぬって、長谷部の白い手袋が私の頬と耳を撫でる。そんなことをされれば、余計に私の羞恥心を煽られるというのに、長谷部はわかっていてわざとやっているのだ。
「ああ、耳まで赤く染めて……。外もちょうど主と同じように色づいていますよ」

 障子の開く音につられて、視線を障子の外、庭に移す。
「わあ……!」

 長谷部の言う通り、藍色になった空を背景に、紅葉した葉がはらはらと落ちていく。
 灯籠の温かい光にライトアップされた色とりどりの葉が、池の水面に映る様は実に幻想的だった。思わず感嘆の声を上げてしまうのも無理からぬ話だ。
「見事ですね。これも主のお力によるものなのですか?」
「ふふ、内緒」

 機嫌よく笑ってみせると、長谷部は不思議そうに私の目を覗き込んできた。
 適当な口実をつけて人差し指で池を差すと、長谷部は目を細めてそちらを見やった。

 本丸の背景は、政府から支給される景趣を変えることでどんな季節にもできる。
 正確には刀剣男士たちが遠征で集めた小判を政府に献上することで、報酬として景趣を受け取ることができる。

 かつてこの国が黄金の国ジパングと呼ばれていたのも、今は昔。元々この国の領土にあった金は、ほとんど取り尽されてしまった。異国との外交以外で金を入手することができないか悩んだ国が新たに発案したのが、刀剣男士と審神者を利用した方法だった。
 遠征先で時折刀剣男士が商いや人助けなどの報酬によって、当時の人々から貨幣を受け取ることがある。それを審神者が政府に提出することで、金の収入源としている、らしい。そしてその報酬として審神者に贈られるのが、目の前の景趣なのだ。
 何とも夢のない話である。
 もちろん、我々審神者と刀剣男士の使命は、『歴史修正主義者及び遡行軍を殲滅し、正史を死守すること』が第一だ。金を政府に献上する行為は、あくまで副業程度のものだ。

 けれどそんな政府の思惑も景趣のからくりも、長谷部に教えてあげない。
 そんなことを教えたら無粋だと、雅を介さぬ私でもわかることだ。
 例えこの本丸を彩る四季が、政府によってもたらされたまがいものだとしても、長谷部とふたりで見惚れていれば、こんなにも心が満ち足りるのだから、何も知らせぬまま夢を見ていたいのだ。




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